名古屋を拠点に活動しているシンガー・ソングライター、
藤森愛 が初の弾き語り作品となる1st EP
『I(アイ)』 をリリースした。これまでのバンド・スタイルから一転、アコースティック・ギターと自身の声だけで挑んだ本作は、彼女のひとりのアーティストとして成長を遂げようとする姿勢と、現実から目をそらすことなく紡がれた想いが結実し、内省的でありながら聴き手を鼓舞する力強さにも満ちた、稀有な魅力を放っている。
――藤森さんは名古屋のご出身なんですよね。
「はい、今も名古屋に住んでいます。最近は月一回ぐらいの頻度で東京に来ているせいか、こっちに出てこないの?って、すごく良く聞かれるんですけど、関西でのライヴも多いですし、育った場所に愛着もありますし。名古屋という看板を背負って……とまでは言わないですけど、あくまで名古屋から全国へ発信したいという気持ちはありますね」
――名古屋で育つ過程で音楽とも出合って。
「わりと幼いころから音楽には触れていて、保育園のいちばん年長さんのクラスのときにエレクトーンを習い始めたのがきっかけです。とにかくひとりで弾くのが嫌いで、『パイレーツ・オブ・カリビアン』とか、『千と千尋の神隠し』の映画の曲をコピーしてアンサンブルで演奏したり。オーケストラっぽい感じでした。小・中学のころは合唱部に入っていて、歌うことも好きでしたね。どちらも中学3年まで続けていたんですよ。高校でも合唱部に入りたかったんですがたまたま無くて、軽音部に。そこで、いわゆるJ-POPを聴き始めました。それまでは全然接点が無かったというか」
――そのころはどんなアーティストを聴いていたんですか?
――バンドは続けなかったんですね。
「一緒にやってくれるメンバーが周りにいなかったのが大きいです。あと、高校の時にはオリジナル曲を作り始めていて、“バンドやりたい”よりも“この曲を聴かせたい!”という気持ちが強くなっていたこともあります。もちろんそんなに曲数があるわけではなくてカヴァーもやってたんですけど、バンド・メンバーを集めるよりも、自分ひとりでストリートに出る方が早い(笑)」
――“前へ前へ”だったんですね(笑)。
「それから一年ぐらいはひとりで弾き語りをしていて、名古屋のボトムラインなどのライヴハウスに出演し始めたタイミングで、バックバンドに手伝ってもらえることになりました。初めはやっぱり“バンド楽しい!”って思ってやっていたんですけど、続けているうちに……当時の自分にあまり知識が無かったせいもあると思うんですけど、“楽しいでいいのかな?”という疑問が生まれてきました。自分がイメージしてるサウンドをバックバンドのメンバーに伝える術も、技術も無いけど“自分の音楽って何なんだろう?”という漠然とした想いがあるまま……」
――音源を作る際もモヤモヤは抱えたままだったんでしょうか。
「一枚目のシングル〈ホログラム〉(13年)のときは人生初めてのレコーディングだったので、何が何だか分からないまま進んでいって。ミニ・アルバム
『Regulus』 (15年)ぐらいからちょっとずつ、自分のイメージしているものに近づいている気がしていました。段々と周りからの反響が増えたりとか“やっぱり、そうなんだな”って実感することも重なっていたし。これはいちど自分を磨き直すべきだ!と思って、シングル
〈ベイビー×2!!〉 (15年)のツアーが終わった後、今年のあたまからまたひとりで、演奏面では一切サポートを付けずに活動することにしたんです」
――1st EP『I』は、その武者修行の一環でもあるわけですね。
「武者修行、そうですね。もちろん、そのバックバンドのおかげで楽曲のアレンジに対する意識も責任感も持てるようになっていたので、今作品は“ひとりで録る”という強い覚悟で臨みました。録るって決めたはいいもののホントにできるかな?って不安もありましたけど(笑)。ギター・ソロを流暢に弾けるわけじゃないし、ひとりでできることは限られる。じゃあどうやって表現するんだ?ってところから試行錯誤が始まって。ギターとかコーラスの重ね方を変化させたり……。表現の幅は確実に広がったと思います。作り上げたことで自信にもなりましたし、やってみたら結果的に良い作品が出来たなって(笑)」
――EPは聴いていて勇気が出るというか、思わず動きが止まってしまう、気づかされるような楽曲が並んでいて。
「“覚悟”とか、“決断”“挑戦”という想いが強かったので。“ひとりで録る”って決めてから作った楽曲も入っているし、その部分も強く反映されてるかな。今まではけっこう明るい曲……“みんなに楽しく共感してもらいたい”っていう部分が強かったんですけど、今回は自分の内なる部分の音楽性を全部出してみようと思って。鋭さ、暗さも入ってますし“藤森愛の世界観はこれだ”と言える」
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――「Mayday」のタイトルは遭難信号のことですか?
「そうです。〈ベイビー×2!!〉のリリース・ツアー中だったと思うんですけど、ずっと新曲ができなくて切羽詰まってて(笑)。ツアーで培った想いみたいのものを込めたくて、どうしてもツアー中に一曲作りたかったんですね。かなり公演数もある中で焦りもあったんですが、できないならできないなりのもどかしい気持ちを形にしようと思って心の叫びを書いていったら、そのまま〈Mayday〉というタイトルになりました。“伝えたいけど、上手く伝えられない”っていう」
――ちょうど『I』に至る過程ともリンクする。
「そうですね、まさに。一曲目の〈明日はやってくる〉は、3.11(東日本大震災)について歌った曲です。気仙沼で開催された復興支援のフェスに出演して、初めて3.11のことを深く考える機会となったというか。甚大な被害だったことはもちろん分かっていますが、これまではどこか他人事のように感じてしまう瞬間もあったような気がするんです。でも、いざ被災地に行って、そこで歌うとなると自分に何ができるんだろうと思って、やっぱり曲を作ろうと。“どんなに闇が続いてても明日はやって来る”という、希望を込めた曲にしたかったんです」
――“希望は必ずやって来る”というのは収録曲全てに通じるテーマのような。
「『I』というよりも、私の作品全てに反映されていると思います。やっぱり闇のままで終わりたくないんですよね。どんなに闇が続いてても、絶対に最後は光がやって来る。絶望を与えたいんじゃなくて、希望を与えたいので」
――現実の厳しさが出発点としてあるようにも感じたのですが。
「だいぶ滲み出てるのかもしれないですね(笑)。全部が全部うまくいっていることなんて無いし、辛いこととか大変なことの方が多い。その部分を隠さず、私は全部出したいと思って……。赤裸々ですよね(笑)」
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――『I』は、藤森さんの今後の活動における、重要な意味を持つ作品だと思います。
「ありがとうございます! 今は、必ず良いものができる……かは分からないですけど(笑)、自分の音楽に自信を持てるそんな作品です。以前から観てくださっている方からも“バンドも良いけどひとりも良いよ”って言ってもらえるようになって、ある程度は自分の技術が上がっているのかなって。でも逆に、曲がバンドっぽい、バンドアレンジにしたら似合いそうって言われることもありますけど(笑)」
――12月にはホームである名古屋でのワンマン・ライヴが決定していますが、その後の活動についてはどんなヴィジョンをお持ちですか。
「春先ぐらいまでにはもう一枚CDを出したいなと思っていて、内容はまだ考えているところですが、これから先の心の転機とか、良い出会いの影響を受け、ツアーをしながら、曲を作りながら、イメージを固めていこうと。……『I』とは違う一面も見せたいですね、『I』はどちらかというと闇の部分が強かったので、次は“見たことの無い藤森愛”を出せたら。それが何なのかはまだ分かんないんですけど(笑)」
――自分に課した覚悟とか決断、挑戦を乗り越えたことで見えてきたこともあるでしょうし。昔の曲を演奏するときはちょっとマインドが違ったりも?
「今でも昔の曲は大切な存在なんですけど、昔と今ではイントロからアレンジ、歌い方も変化していますし。歌ってるときの気持ちは確実に前とは違っていて……。以前は、ちょっと背伸びしてる曲だなって思ったり、がんばってるなって思う歌詞が多かったり、ホントはそんなこと思ってないんじゃないの?とか(笑)。バンドの中で歌っていた時の“自分が一番大きくなきゃいけない”っていう想いから、“自分の中の一番を届けたい”っていう想いに今は変わってきています」
――決断を経た現在は、気負うことなく自由に音楽活動をできているのでは。
「そのまま、ありのままを出せるように、常に意識はしていますね。『I』は、ひとりになって原点に立ち返るという想いも強かったので。じゃあ、今度はそこから発展するしかじゃないかって(笑)。私がひとりで活動を始めたころ、色んな人に助けてもらったり、音楽を聴いて救われたことが多かったんです。“このアーティストは、この詞は、私のことを分かってくれてる”って思いながら。私もそんな、人の痛みを分かってあげられるようなアーティストになりたいと思って……歌ってます!」