スペシャルインタビュー 坂本慎太郎

坂本慎太郎   2018/01/17掲載
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 2018年1月17日、恵比寿リキッドルームにて、ついに坂本慎太郎がソロとして初めてのライヴを日本で行なう(1月29日には追加公演も行なわれる)。
 それに先駆けて、坂本慎太郎は2017年10月27日にドイツのケルンで、そして30日にベルリンでライヴを行なった。前者はケルンで毎年開催されている“WEEKEND-FEST”という音楽フェスへの出演で、後者はベルリンのUrban Spreeというライヴハウスでのワンマン・ライヴだった。この2回の演奏をもって、坂本はライヴ活動を再開した。バンド・メンバーは、ソロ・アルバムでもレコーディングをともにしてきたAYA(OOIOO/b)、菅沼雄太(ds)。ゆらゆら帝国解散以来(ライヴという意味では2009年12月30日以来)、約8年ぶりとなるライヴで、しかもドイツ公演という舞台に、坂本は何を考え、どう臨んだのか。そして、今後の活動についての心境を聞くべくロング・インタビューを行なった。
――まずは、2017年の夏、“WEEKEND FEST”への出演という発表がされた日、誰もが度肝を抜かれたわけですが、そもそもこのオファーはいつどのようにしてあったんですか?
 「ええと。3月くらいだったと思うんですけど、zelone records宛にメールでオファーが来ました。それで、4月の頭くらいに“やる”と決めて返事した感じです」
――もしかして、その時点で、“ライヴを始めよう”と思っていたんでしょうか?
 「そうではないですけど、一応ソロで3作、自分で納得のいくアルバムを作れて、次にもう1枚この流れで4枚目を作るという気分でもなかったというのはありました。かといって、ライヴをやる計画を立てていたわけでもなくて。まあ、次にどうするかな、みたいなときにドイツでのフェスという話が来て。フェスが10月末で、半年あればなんとかなるかなという感じで、思い切ってオファーを受けました」
――セカンド『ナマで踊ろう』(2014年)あたりまでは、取材をするたびに、僕も「ライヴはしないんですか?」と聞いていた記憶があります。じっさい、zeloneのサイトにもオファーはかなり届いていたんじゃないですか?
 「ソロになってしばらくは、フェスのオファーとかも結構あったんですけど、そのうちだんだん来なくなりました」
――断り続けているうちに“坂本慎太郎はソロのライヴはしない”というのが共通認識みたいになっていったということもあるんでしょうね。そこを乗り越えて、ドイツでのフェス出演が実現したのは、純粋にタイミングだけが理由だったんでしょうか?
 「そうですね。レコーディングしてからしばらくは菅沼(雄太)くんとAYAちゃんはずっと“ライヴやりましょうよ”とか“とりあえずスタジオで音を出しましょうよ”という感じのことは言ってくれてたんですけど、いまいち僕がふんぎりがつかずで。“じゃあ、やる気が出たらやりましょう”みたいな感じで2人も気長に待ってくれてはいました。とはいえ、ここまでやらないと、なかなか腰が重くて(笑)。そのときにドイツからオファーが来て、ドイツは行ったことなかったし、ケルンに遊びに行きたいなと単純に思ったのがまずあった。それが大きいですかね。“とりあえずドイツで”って2人に言ったら、すごくノッてきてくれました。そこからは僕もだんだんやる気になってきて、なにができるかを考えていった感じですかね」
――ライヴをやっていなかったこの期間にも、ハプニング的なものも含めてじつは何度か演奏の舞台には立っていて。そのなかのひとつが宇川直宏さんがキュレーションされたイベントでは(2016年2月9日に恵比寿 リキッドルームで行なわれた“チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード”)、このトリオで出演しましたよね。そのときは坂本さんは座って、スティールギターでした。じっさいにこの3人でライヴをやるとなると、どういう準備が必要でした?
 「オファーの時点ではスタジオにもぜんぜん入ってなかったし、なにからやったかちょっと思い出せないくらい、いろいろやることがありました。ゆらゆら帝国みたいな音でやる気は最初からないから、機材とかも含めて、どういう音でやるのかを決めていくのに最初は苦労しました。音量も小さく、3人しかいない。それに自分がこの数年、レコーディングではベースとかスティールギター中心で、そんなにギターをちゃんと弾いてなかったし。まずは、ギターの音作りでも試行錯誤しましたね」
――じっさい、スティールでやる曲もあるかもと想像はしてました。でも、結局はSG一本でした。 
 「身軽で少ない機材でいこうとしていたし、スティールと普通のギター両方をドイツに持っていくのは避けたかったんです。なので、スティールではなくギター一本でいくというのをまず決めました。最初はレコーディングで使ってたギターを考えてたんですけど、全曲を弾ききるとなると合う曲合わない曲があったりして。エフェクターも最小限にして、持ち替えずに一本でやりきると考えて、やっぱりSGになりました。そこからもいろいろリハで改良して、最終的に今のセッティングができたという感じです」
――SGでやるという話を聞いたときは、心がざわっとしました。もちろん、立って弾くわけだし。
 「最初はSGをあえて避けて考えていた部分もあったんですけど、どうしても1回SG弾いちゃうと弾きやすいなという感じになって。そこは操作性優先でいこうと決めました。やっぱり長年使ってるから、圧倒的に弾きやすいし、音もやっぱりよかった、あとは、限られたエフェクターの組み合わせでやれるように考えた結果でもあります」
――リハーサルで最初に着手した曲はどれでした?
 「わりとすんなりできそうだと思ったのが、〈幻とのつきあい方〉とか〈ずぼんとぼう〉とか、ですかね。でも、もう大丈夫というところまで来るのには結構長い道のりがいろいろありましたよ。レコーディングでも3人でリハーサルを重ねていたとはいえ、それは後から上に楽器が乗る前提の演奏なので。いざ3人だけの音でやりきると考えたときに、どうしてもすごくこぢんまりした感じになったり、スカスカすぎちゃってさみしい印象だったり、という感じも最初はあったんですよ。そこからグルーヴみたいなものが出るまで、というのがいちばん力を入れて練習したところでした。音数が少なくても持つ、みたいな状態がバンドにはあるんですけど、そこまで持っていくために結構練習をしました」
――ひたすら練習を重ねて生まれるものが大事だったということですか。
 「練習と、終わった後のミーティングもかなりいっぱいやって、ちょっとずつ改良していきましたね。バンド演奏となると、いいノリが出るまでは、やっぱり時間がかかるなと思いました。菅沼くんもAYAちゃんも上手いんですけどね、ただ合わせただけじゃない感じの、“場”ができるみたいなところまでいくのは」
――その“場”っていうのは、もっとありていな言葉で言うと“バンド感”なのかもしれないですね。やっぱり、それは一朝一夕では生まれないですよね。
 「そうですね。一音、バーンと弾いたときに場のムードができるような感じってあるんですけど、やっぱりそれって各楽器の音色だとか、タイム感だとかが微妙に影響してて。なかなかそれは時間がかかりました」
――ライヴでは、ツインリヴァーブのアンプをギター用に2台使ってましたよね。
 「ちょっとずついろいろ試して2台にしてみた感じですかね。ファズとかのひずんだ音、ノイジーな音は使わないと決めてたんですけど、そういう中でギター・ソロを弾くときにコード楽器がなくなっちゃう。そこでレコーディングどおりのアレンジだと持たなかったりするからベースが補強するとか、2本のギターの音を1本にまとめてサイドギター的な音を組み立てたりとか、ずっといろいろ試した中でできたセッティングです」
――そういう練習と試行錯誤を春からずっとしていたわけですね。
 「本番まで7ヵ月くらいあったんですけど、意外とすぐだなと思いました。2017年は、頭の中がライヴに向けての心配事ばかりでした。でも、最初に練習を始めたときはかなり不安だったし、途中までは“大丈夫かな?”とも思ってましたけど、あるタイミングでぐっと演奏がよくなったんですよ。こういう感じだったらいけるかなと思った瞬間はありました」
――ちなみに、以前は“ソロでのアルバムの曲順や構成をばらしてライヴを組み立てることを考えられない”ということも坂本さんは言っていたと思うんです。そこが解けたのは、やっぱり3枚出したことで見えた部分があったんですか?
 「ああ、それはあるかもしれないですね。1枚出してライヴするっていっても、アルバム1枚分しか曲がなければ、せいぜい30、40分しかできないし、それを繰り返してたらすぐマンネリになっちゃうし。一応3枚出したことで曲はいっぱいあるし、できそうな曲をその中から選んでやるという感じにはできました」
――曲が増えたからというのももちろんなんですけど、サードの『できれば愛を』の存在が大きい気がしてます。直接ライヴ活動に結びついたかどうかは別として、ファーストの世界観も、セカンドの世界観も、『できれば愛を』の世界観によってミックスできると感じてました。
 「そうかもしれないです。“ファーストもセカンドもライヴは想像できないし、あんまり見たいとも思わないけど、『できれば愛を』を聴いてライヴの姿が目に浮かんだ”って言ってた友達もいました」
――それこそ、「できれば愛を」のMVもピース・ミュージックでのスタジオ・ライヴでしたし。あれを見て気持ちがわさわさしたところもあったので。
 「そうでしたね」
――そして、いよいよケルンに向かって、“WEEKEND FEST”初日、10月27日のステージに立ったわけですが。
 「最終的には“これなら大丈夫でしょ”というところまではバンドの状態は持っていけてたし、ケルンの街の雰囲気も、会場やフェスのスタッフの人たちの雰囲気も全部がすごくよかった。なので、本当にストレスなく臨めましたね。わりと旅行気分で行ったところもあったので、その感じでいけました(笑)」
――たしかに出演者はデヴェンドラ・バンハートだったり、フアナ・モリーナだったり、すごい顔ぶれだったんですけど、フェス自体はすごくアットホームでしたよね。
 「ライヴが始まる前に僕も客席を普通にうろうろして、会場やお客さんの雰囲気を見てましたけど、その時点で、もう“なにやってもOKだな”と思えたし、この感じなら今まで自分たちが練習してきたこととすごくばっちりはまる感じしかなかった。もっと場違いな感じのイベントだったら、“受けるかな?”とか、よけいなことを考えてたかもしれないですけど、ぜんぜん違和感がなかったんです。たぶん、オファーする側も吟味して出演者を選んでいて、そういうムードがおのずとできてたんだと思います」
――前年(2016年)のフェスが、スラップ・ハッピーの再始動初演の舞台になっていたんですよね。そのことが坂本さんが出演する決め手のひとつでもあったと聞いてます。
 「そうですね。それも大きかったし、ケルンってCANの縁の土地だったというのもあるし、昔のジャーマン・ロックとかよく聴いていて、ドイツ自体に興味がありましたし。去年のフェスの映像を見ても、すごく雰囲気がよさそうで。ソロで僕がやろうとしてたことが自然にはまりそうな予感がして、それがそのとおりだったんで、よかったです」
――とはいえ、日本からのスタッフも含めて、周りにいた僕らは緊張してましたけどね。
 「メンバー以外には一音も聴かせてなかったですからね」
――ケルンは会場の壁や床が木だったこともあって、音もすごくよかったんです。
 「自分が今ソロでやろうとしてる音楽って、基本的にすごくせまい場所でやるイメージなんですよ。じっさいに目の前で演奏してたり、ちょっとしたニュアンスで伝えるみたいなもので、でっかい会場でドカーンとやるような曲じゃないと思ってたんで、3人で演奏してる音がそのまま出るのがいいかなと思ってました」
――ケルンでは本編11曲、アンコールで1曲という構成でした。
 「もともとケルンは持ち時間が1時間と決まっていたので、そのぶんのセットを組みました。ベルリンはもうちょっと長くやったほうがいいかと思って、プラス何曲か足すという予定で練習してました」
――ライヴ中のお客さんの反応ですごく印象的だったのは「ずぼんとぼう」でしたね。あの曲で、お客さんのノリが変わったというか、ドイツの女の子とかがスイッチが入って踊り出した印象があるんです。とくに前のほうで見ていた子たちが、ずーんと沈みこむように踊る姿がとてもセクシーでした。
 「僕の中では、あの曲はいちばんライヴで受けそうだなと思ってました。ライヴでやるイメージもしやすかったし。むしろ自分としては、〈幽霊の気分で〉とか〈鬼退治〉みたいな、軽くてちょっとポップな曲がライヴではまるかなという不安はちょっとありましたね。場所によっては空回りしそうな予感もあったんです」
――ぜんぜん大丈夫どころか、みんなすごく踊ってましたよ。
 「そうですね。だからわりと自信にはなりました。〈ずぼんとぼう〉はサウンド的にもわかりやすいおもしろさがあると思うんですけど、〈幽霊の気分で〉とかはもうちょっと普通の軽い曲で、日本語がわからない外国で、どうなのか? と思うところがあったんです。わかりやすく変わった要素というのがないから、軽く流されてしまうというか。軽く流されてもいいんですけど(笑)。場所によってははまらないんじゃないかと思ったんですよね。でも、普通に受けて、みんな喜んで踊ってたから、ちゃんと伝わるんだなと思いました」
――あのあたりでお客さんもエンジンがさらにかかって、「ナマで踊ろう」のあたりは、“リアル「ナマで踊ろう」ってこういうことだ!”って思えるくらいに踊りまくってナンパしまくって、みたいな最高の光景でした。この世の終わりみたいな景色が歌われているのに、みんな無心に踊っているというのが。
 「前からそうですけど、外国でライヴをやると、ほとんどみんな予備知識がない状態で見てて、最初は様子見みたいな感じなんだけど、だんだんつかんでいくと最後はワーッとなる。そういう感じがやっぱりおもしろいですよね。ダイレクトに反応が返ってくる」
――そういう本編があってからの、まさかのアンコール「ディスコって」がすごく祝祭的に感じられたんですよね。
 「ケルンではイベントだからアンコールはやらないと思ってたんですけど、急遽やることになったんでベルリンでやる予定だった曲から〈ディスコって〉をやったんですけど、あの曲でドイツ人がみんな踊ってたのが、やってて自分でも感動しましたけどね」
――ケルンの2日後には、今度はベルリンに移動してのライヴでした。
 「ベルリンは会場の雰囲気がケルンとはまったく違ってて、もうちょっとライヴハウスっぽい感じで、音もぜんぜん違ったんで、リハでちょっと苦労はしましたね。でも、やっぱり一回ケルンでやってたのがでかかったですね。順番が逆だったらちょっと違ったかなと思うんですけど。一回やったことで気持ちの面でも落ち着きがあったし、演奏自体もこなれていたというか。ケルンではエフェクターの操作を間違ったりとか、細かいミスもあったんですけど、ベルリンでは演奏はすごくうまくできたし、お客さんのノリもすごくよかった」
――ベルリンは場内の密集度がすごかったですね。小さめのライヴハウスでしたけど超満員でした。
 「ベルリンでも、さっき言った自分では普通じゃないかと思うような曲でもすごく盛り上がってたんで。“こういう曲でも伝わるんだな”と思いましたね。無理にエキセントリックなものとか、エクストリームなものとか、そういうのじゃなくて、肩に力が入ってないような感じなんですけど、そう見せかけてちゃんと力は入ってる(笑)。そういうことがちゃんと伝わるんだなと」
――その感覚って、レコーディングのときに思っていたことが伝わったというものでもありますか?
 「出したときは曲とかレコードとしてはすごくいいと思ったんですけど、“これ、ライヴでやっておもしろいのかな?”という感じもすごくあったんですよ。みんなで共有して盛り上がるような感じはイメージできなかった。逆にそういうところでやると、すごくかっこわるいものになりそうな感じがしてたんです」
――『幻とのつきあい方』の時点では、ゆらゆら帝国が解散してまだ時間も浅かったし、あの時代の感覚がまだ残っていたというか、だからこそそこに抵抗を覚えていたという部分もあったんでしょうね。
 「そうですね。ゆらゆら帝国みたいな、ああいう感じのライヴはもうまったくやる気がなかったし、やろうとしてもできないというのもわかってたんで、やるなら違う感じと思ってたんですけど、あんまりそんなにライヴ自体をやる気がしなかったんです。いいイメージが浮かばなかった」
――じゃあ、ドイツで2回ライヴをやって、いいイメージを残せたというのは、めちゃくちゃでかいことですね。
 「やっぱり、きっかけが必要で。やり出しちゃうと流れでいけるというのはあると思うんですけど、最初の一歩はなかなか。それなりの理由がいるというか。とくにやる理由もなく、ずっとやらなくてもいいのに、予定だけ立てて、それに向かってゼロから練習するというのはなかなか難しいですね。そういう意味で、ドイツっていうのは、逆にハードルが高くて想像がつかなかったので、思い切りがついたというところです。あと、日本でやってないのにドイツでやるっているのはおもしろいなと思って、そこでやる気が出たというのもあって(笑)」
――とはいえ、この1月に日本でも、恵比寿リキッドルームで2公演が行なわれるわけで、それはまたひとつの決断だったと思うんです。
 「やっぱり、長い期間すごく練習したんで、バンドがだんだんいい感じになってきたら演奏自体はすごく楽しいし、ギターを弾くのも楽しくなってきたりして。ドイツだけで終わらせるのはもったいないという気持ちが普通にありました」
――リキッドルーム公演にはサックスとパーカッションで西内徹さんも参加されますよね。菅沼さんから聞いた話ですけど、西内さんが“10年待ってた”と言っていたそうで、その発言もすごく印象深いんです。西内さんのカウントは、初めて参加したゆらゆら帝国の『空洞です』から始まっていたんだなと。
 「まあ、そうですね。やっぱりそういう期間というのも必要だったりするじゃないですか。菅沼くんにしてもAYAちゃんにしても、かなり僕と長くやってると思うんですけど、それだけ時間を重ねてやっと出てくるものもある。なかなか奥深いなと思います」
――2回ライヴを見て、すごく単純に、今、坂本さんのバンドはすごくいいと思うんですよ。リキッドルームでそこに西内さんが絡むのも想像するだけでドキドキするし。
 「やっぱり人選はすごくこだわるというか、それは普通だけど、いろんな要素があるじゃないですか。へただと困るけど、うまけりゃいいってもんでもないし。人間性とかも音に出てくるし。そういった意味でも、今いい感じだと思うんです」
――そこにたどり着くのにこの長さが必要だったとも言えますね。
 「やっぱりそれくらい時間がかかるもんなんだなというのは思いましたね。ミュージシャンはいっぱいいますけど、寄せ集めとかじゃ絶対に今の雰囲気は出せないし、バランスというか、絶妙な感じにはなってると思います」
――今後も“もうやらないとは言ってない”というくらいのスタンスで、自分のペースでライヴをやっていくんでしょうか?
 「そうですね。なんていうんですかね、自分のやる気がなくならないように自分で持っていってるところがあるんですよ。やっぱり、バンドで演奏するって、すごく微妙で繊細なものだと思うんですよ。たぶん、いいときって瞬間的なものだから、そんなに長くは続かない。その状態に慎重に向かっていくのと、そこをキープするというのはすごく難しくて。そういうことをずっと考えてます。自分が自分の音楽につまんなくならないように。今はすごくいい感じなんですけど。でも、これを普通にいっぱいライヴをやりだしたら、新鮮さとかは当然なくなるだろうし。わりと今は、昔バンドを組み始めたときの新鮮さを自分でも感じられてるんですけど、その気持ちをなるべく長く維持したいから、なかなかこの先には慎重になりますね」
――でも、また始めたことを続けていきたいという気持ちはあるということですよね。
 「そうですね。あと、場のムードって言っちゃうとすごい単純な感じだけど、場の力ってあるなと思っていて。そういうのも含めておもしろい感じになれば、ライヴはやりたいですね。ソロで作った3枚のアルバムでやろうとしてたことが自分の中ではっきりあるんですけど、それがライヴをやることで鈍くならないように気をつけたいというのがすごくあるんですよ。“やっぱり普通に演奏したら楽しいじゃん。楽しきゃいいじゃん”みたいな方向に引っ張られちゃうと、おもしろくないなというのがあるんです。そのへんは一石投じたいというのはありますけどね。お客さんは、酔っ払ってぶわーっと踊ってくれたらいいし、べつにどう見てくれてもいいんですよ。ただ、自分の気持ちとして、あるんですよね、すごくわかりにくい部分が。そこを“ま、いっか”ってないがしろにしてしまうと、自分のやってることの意味がないような気がしてるんです」
WEEKEND-FEST 2017 公式アーカイブ映像
取材・文/松永良平
写真/Christian Faustus
会場写真/松永良平
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