限定100枚のCD-R『I'm Serious(好きにやってみた)』に続き、実兄のPUNPEEらとのユニット、
PSGも活発化するなか1st
『MY SPACE』をリリース、その評判を確固たるものとした“Skate Board Bridge”こと板橋地区レペゼン、現在22歳のトラックメイカー&ラッパー、
S.L.A.C.K.(スラック)。
“音楽とスケートボード”という、“ありふれた”日常から形作られた2ndソロ・アルバム
『WHALABOUT(ワラバ)』をリリース、ストリート・ミュージックの最先端をラフに進む彼に話を訊いた。
――S.L.A.C.K.は“怠け者”を意味してるわけですが、この1年は1stアルバム『MY SPACE』に、PUNPEE、GAPPERとのユニット、PSG名義のアルバム
『David』、そして今回の2ndソロ『WHALABOUT』のリリースと、名前とは真逆なハード・ワーキングな活躍ぶりですよね。
「ははは。確かに。まぁ、この名前は超若い時に付けたんですけど、周りの外人からは“お前、その名前よく見つけたな! ぴったりだよ”って言われるようになってから自覚するようになった感じですね。曲作りは人に言わせると早いらしいんですけど、単純にそれが趣味なんで常に作ってる感じだし、曲作りを始めた時から“もの作り=アルバム”って考えてたし、小6くらいで初めてアルバムを1枚作って、そのカセットを適当に友達に配ったんですけど、それから遊び感覚でまとまった作品をガンガン作るようになっていって、その延長線上でお金が発生するようになった感じ。どうやって稼ぐのかも知りたかったから、CD-R(『I'M SERIOUS』)を100枚だけ作って、これが足がかりになればいいなって。だから、すげえ気合い入れてる他の人と比べて、アルバムを作るのはたいした作業じゃないというか、気付いたら貯まってる、みたいな、音楽に対してはそういう軽い気持ち。音質とかも何も考えずに録って、“何、この音質、新しい”みたいな。聴く人が勝手に考えて広げてくれればいいし、そんな感じでぼーっとやってて、自分のセンスがどれだけ飛んじゃってるか。あとは運任せっすね」
――小6で音楽を作り始めたきっかけって何だったんですか?
「その時、兄貴(PUNPEE)が中3でビート作ってて、家ではスペシャとかケーブルで洋楽のPVが見られる環境だったのと、親父がガンガン聴いてたヒップホップとかブラック・ミュージックを耳にしてて。“あ、黒人って、こんなノリだよね”って思ってたし、あと、バンダナとか見た目の格好良さ。ダサいんだか、カッコイイんだか、よく分からないだけど、カッコつけてるところに惹かれてて。ある時、兄貴から“ビートにラップ乗せてみてよ”って言われてやってみたのが最初かな」
――親父さんがラップを聴いていた?
「そうっすね。(父親は)54歳なんですけど、今だと
ファボラスの新しいアルバムとか聴いてたりするんですけど、もともとは
ビートルズとか
ストーンズ、
キンクス、
ザ・フーあたりから、一通りの音楽を聴いてきて。だから、俺がロックにハマった時も家にレコードが一通りあって、すぐにのめり込めたっていう。そういう意味では環境が良かったかもしれない。一時期は楽器が弾ける兄貴たちとスタジオに入って、バンドをやってたこともあって、その時は
ニルヴァーナのデモとか
モルディー・ピーチスみたいな音楽を作ろうってことでわざと汚く録ったアルバム3枚ぶんくらいの音源を作ったりしてました。その頃はロックとかサブ・カルチャーが好きだったりして、ヒップホップはダセぇと思ったりもしたんですけど、そうやって離れて客観的に見てみたら、ダサさに気付かないまま、“俺はカッコイイだろ”って言い切っちゃってる感じが逆にカッコイイって思うようになって。今のヒップホップって、お洒落になっちゃってるから、それはどうなんだろうって思ってて。俺、やっぱり、例えば、ロックでいうところの
ラモーンズ、マッシュルーム・ヘアでライダースにぴちっとしたパンツでコンバースみたいな分かりやすい格好、ヒップホップでいうところのパーカーにダボダボのズボン、フードって格好で、音楽はスゴイっていうのがあなどれないんじゃないかって(笑)。だから、端から見たら価値観が何周もしちゃってるというか、兄貴とも“お前、やってることがまだ半周でしょ”とか冗談に言い合ってますね(笑)」
――ラップも独特ですよね。スキルは飛び抜けているのに、自分のスゴさをとうとうと語るラップの紋切り型なスタイルではなく、音楽としての言葉のグルーヴ感が優先されているというか。
「たぶん、声の乗せ方にしても、俺は音のことを感覚的に捉えて、がーっと書くんです。リリックも、まぁ、適当に何でもいいやっていうか、世間話に近いもの。その日、曲を録ろうと思ってたのにリリックを書いてなくて、昼間スケボーしてた時に警察とか警備員とやり取りがあったとしたら、家に帰って、その時の気分をそのまま書いて、後から無理矢理タイトルを付けるみたいな。特にクソ普通な言葉、超どうでもいいことを無理矢理カッコよくして乗せるとか、色気がある感じで歌うとか、そういう笑っちゃう感じで乗せるのが好きっすね。そう、だから、ノってたいっす。ライヴしてても、やっぱり踊ってほしいし、曲として成り立っていれば……そうやって数を作って、そこからピックアップしていくタイプかも」
――トラックに関しても、レイドバックしたファースト、ルーズでファンキーなセカンドっていう違いはあるものの、恐らくはスピーディーに作っていくなかで音楽の肝はしっかり捉えつつ、ズラし方とかヨレた感じが最高だな、と。
「ヒップホップって、全部ユルいと思うんですけど、そういうヒップホップをもっと大げさにしちゃった感じ。普通にあっちの黒人アーティストに聴かせたいし、認められたいって思ってますね。あとはラップなんですよね。言語を変えずに、どうしたらあっちのやつらに伝わるか。根本的なノリがあれば、いいんじゃないかって思ってますね。だから、トラック作ってる時もやってる時は入り込んでるから、これでいいだろうと思っても、後から聴くと遅く感じたり、ドラムもズレズレだったりして。でも、それは体内のグルーヴ感が出てるってことだから、そこで作り直したり、きれいにしたりせずにそのまま。失敗してても、失敗したなりの良さを出して、聴くやつに勘ぐりを与えるっていう(笑)」
――西海岸のエクスペリメンタルなヒップホップへのシンパシーは?
「日本では海外の真似っぽいのとか、バイリンガル調なラップだとかのヒップホップを否定する人も多いと思うんですけど、まぁ、でも、黒人に憧れて、俺はヒップホップをやってるし、ヒップホップは黒人の音楽だから、やっぱり、単純に海外で認められたいっすね。俺の場合、ノリとかフィーリングで音楽を好きになることが多いから、向こうのやつらが反応してくれたっていう情報を聞くとやっぱりうれしいっすね。言葉の壁を越えたって思いますもん」
取材・文/小野田雄(2009年10月)