1993年の設立以来、常に先鋭的なポップス/ダンス・ミュージックを世に送り出してきたインディペンデント・レーベル、エスカレーターレコーズ。既発作品を選りすぐりでノンストップ・ミックスしたシリーズ・コンピレーション・アルバム『WE WERE ESCALATOR RECORDS』のリリースに合わせ、代表・仲 真史にレーベルの立ち上げから、これまでを語ってもらった。
90年代のいわゆる渋谷系再評価が進行している昨今、音楽産業が豊かだった時代の興味深い作品たちが今の耳でフレッシュに捉え直されている。だからこそ、後に渋谷系の起点と称される、とあるレーベルの作品から浮き彫りになるレーベルのスタンスやある種の思想性、その意義も同様に検証するに値するのではないかと思う。そのレーベルの名は
エスカレーター・レコーズ。今はなき渋谷の輸入レコード・ショップ、ZESTの名物バイヤーにして、現在は原宿の輸入レコード・ショップ、SHOP ESCALATORオーナーにしてDJでもある仲 真史が1991年に前身のトランペット・トランペット・レコードを経て、93年に立ち上げたインディペンデント・レーベルである。
そのレーベルから、昨年末から今年にかけて3枚のシリーズ・コンピレーション・アルバム
『WE WERE ESCALATOR RECORDS』が順次リリースされているのだが、その媒体資料には“渋谷系没10周年”という意味深い言葉が掲載されているのだ。そのことについて、 レーベル・オーナーの仲 真史はこう語る。
「
カジ(ヒデキ)くんがソロ・デビューしたのが96年、
NEIL&IRAIZAのアルバム『JOHNNY MARR?』を出したのが97年。で、その辺の俺らの知らないフォロワーが出てきた98年が、世間で言うところの渋谷系の終わりなんじゃないかってことで、“没10周年”にしたんだよね。レーベルの方は今年で17年目。周年企画はやってないよ(笑)。いつも後から人に言われて気付くんだよね」
コーネリアス・バンド〜
くるり〜
ラヴ・サイケデリコ〜
木村カエラを手掛ける日本最高峰のキーボーディスト、
堀江博久と日本アカデミー賞最優秀音楽賞の受賞経験もある
キュビズモ・グラフィコこと
松田岳二のユニット、NEIL&IRAIZAのアルバム『JOHNNY MARR?』の大ヒットによって、一般的な認知を得たエスカレーター・レコーズ。
ビースティー・ボーイズのマイクDが英国の音楽誌NMEで大絶賛した
YUKARI FRESHや韓国では一番人気の音楽テレビ番組に出演するほどの人気を博した
HARVARDなど、そのバック・カタログを編纂した本シリーズ作品からは、その時その時の海外シーンと連動しながら、世界水準のカッティング・エッジなポップス、ダンス・ミュージックを世に送り出してきたレーベルの先鋭性が長い歳月を経た現在も全く色褪せていないことを如実に物語っている。
「86年くらいのいわゆるインディーズ・ブームの頃にあったTRANS RECORDSとか子どもたちのCITYみたいなレーベルは、当時、ネオアコとかと一緒に聴いてたりしたけど、3年くらいで終わってるもんね。ただ、レーベルを始めたのは、単に音源をファンジンの付録に付けたかっただけだから、そこには何の意図もなかったよ。ただ、俺の場合、当時は洋楽志向っていうか、アンチ・ジャパニーズ・インディーっていう気持ちがあったし、海外のインディペンデントのスタンスを知って、レーベルの名前でレコードを買うようにもなってたから、CreationやRough Trade、Factoryとか、そういうレーベルに対する憧れはあって、やるなら向こうのインディー・レーベルに近いことをやりたいなってことだよね。とはいえ、当時はCDをプレスするところ、ブックレットを4色で印刷してくれるところもなかったし、誰も持ってなかったからPCでデザインもできなかった。流通も今みたいに整ってなかったから、そうするにはお金と手間暇をかけなきゃならなかった」
今でこそ、制作/製造/流通環境は整っているが、草木も生えない状況下でスタートしたエスカレーター・レコーズは同じ91年にスタートしたクルーエル・レコーズと並び、90年代以降のインディペンデント・レーベルのパイオニア的存在である。TOY'S FACTORYのレーベル内レーベルとしてスタートした
Hi-Standardのレーベル、Pizza Of Deathが独立運営を始め、インディーズという形態を一般に広めたのが99年であることを考えると、その先鋭性をお分かりいただけるのではないかと思う。
「お金のためにレーベルを始めたわけじゃなかったから、700円が手元に戻ってくるんだったら、690円まで使おうって感じだったし、その感覚は今も抜けてないんだよね(笑)。ただ、お金を儲けたかったら別のことやるでしょ。俺らみたいなジャンルって、絶対に儲からないからね。今って、メジャーに拾ってもらうことを考えて、現時点ではインディーズでやってますっていうような、歌謡曲的なインディーズも多いし、自分のやりたいことをちょっとだけ残しつつ、さらにお金も儲けたいっていう中途半端なレーベルも多いじゃない? それってさ、ビジネス的にも意味が分かんないよね。お金のこと言うなら、カラオケでヒットしそうな音楽をやればいいじゃんって思うし、そんなんだから、渋谷系から10年間経った2008年も全く変わらない音が鳴ってるっていう。今回のコンピレーションでは“10年も経ってるのに、何で10年前と同じ音を出してんの? それだったら俺たちが10年前に出したものの方が今の音楽のように聞こえるんじゃない?”っていうことも実は言いたかったりするかな」
カッティング・エッジなものは、メインストリーム化し、広く伝わっていく過程で、その背後にある思想や哲学は希釈される宿命にある。それは90年後半の渋谷にも見られた現象であったし、多くのインディペンデントな音楽におけるアート性とビジネス性のバランスもあの頃を境に変わってしまったのは事実だ。「ただ……」と、仲 真史は続ける。
「俺ももっと売れて、大きなところに行けるなら行きたいけど、海外に目を向ければ、自分たちのやりたいことを曲げずに上手くやっていたり、金持ちになっていたりもするじゃない? そういう状況になっていくのが正しいんじゃないかって思っているんだけどね。そこで俺はやりたいことをやっているんだけど、時にはそのやりたいことがブレたり、“こっちの方が気持ちいい”と思ったら、そっちの方にガンガンいっちゃったり。まぁ、そのたびになんとか戻るって感じだよね (笑)」
彼らは雑誌に広告宣伝を打つことがないし、声高に吹聴することも目的としていないので、それがいかに素晴らしい作品であったとしても、音楽誌に取り上げられる機会は少ないし、彼らの作品が海外で高く評価されていることを知る人も多くはないだろう。しかし、海外のアーティストやDJの多くは来日すると敬意を込めて、原宿のショップを訪問し、交流を深めた証を壁面のサインに残してゆく。また現在は国際的に一流デザイナーとして知られるロラン・フェティやシロップ・ヘルシンキは、たとえ忙しかったとしても、いち早くアート・ワークのデザイナーに起用してくれたエスカレーター・レコーズのアート・ワークを喜んで引き受ける。そんなふうに作品を通じ、クリエイターやリスナーとダイレクトに結ばれているエスカレーター・レコーズの全ては『WE WERE ESCALATOR RECORDS』に収められているし、それらはそう簡単に吹き飛ぶこともないだろう。彼らの音楽、その奧に耳を澄ませた先で何かが聞こえないだろうか?
取材・文/小野田雄(2008年2月)
【SHOP ESCALATOR】
レコ屋とカフェが併設されているSHOP ESCALATOR。店内正面のレコード・スペースには、仲さんをはじめ、目利きのショップ・スタッフよって厳選されたCD&アナログ盤がセンスよくディスプレイされています。また、こだわりぬいた水出しコーヒーや特性タイ・カレーなど、カフェ・メニューも充実。お近くに足を運ばれた際には、ぜひとも店内を覗いてみることをオススメします。
●住所東京都渋谷区神宮前2-31-3
宝栄ビル3F-A
●TEL03-5775-1315
●営業時間月〜金/12:00〜22:30
土/13:00〜22:30
日祝/13:00〜19:00
●オフィシャル・サイト http://www.escalator.co.jp/