冬のアイルランドを舞台に、不器用な大人たちの人生の再生を描いた映画『ダブリンの時計職人』が現在公開中。さる3月26日(水)には、東京・渋谷「アップリンク」にて本作の公開記念アフター・トーク・イベントが開催され、ゲストとして、
『アイルランドモノ語り』で読売文学賞を受賞した早稲田大学院教授・栩木伸明(とちぎ のぶあき)が登壇。日本から遠く離れた小さな国で慎ましやかに住む人々の息づかいを描いた本作のバックグランドを、多方面から紐解きました。
まず、栩木は本作とアイルランド・ダブリンの経済状況を照らし合わせ、
「この映画はまさに今のアイルランドです。2010年に撮影された作品で、ダブリンらしい街角のシーンはわざと出していない。でもダブリンらしい言葉、空気感が出ていますね。何よりも不景気な様子、リーマンショック後のアイルランドの経済状況が表れています。誰がホームレスになってもおかしくない状況が続いて、14%くらい失業率が続いている。約15年ほど“ケルティックタイガー”と呼ばれる好景気があったのですが。失業率はその好景気前の水準まで上がっています」と、説明。
麻薬の問題については、
「最近出てきた問題で、それ以前の80年代、90年代初めまでは問題にならなかったんです。なぜなら貧しすぎて麻薬に手を出せる人があまりいなかった。アイルランドではまだ新しい問題なんです」と、その実情を語る。
本作の登場人物、中年男性“フレッド”(コルム・ミーニイ)と青年“カハル”(コリン・モーガン)の絵にかいたような優しさ、純真さについても、
「フレッドは50代の後半でも“うぶ”なところありますが、アイルランドには彼のような人が本当にいるんですね。基本的にカトリックの教えは日本の儒教に近いところがあって、男女交際については厳しいのです。政府とカトリック教会は非常に強い関係を結んでいました。だから生命倫理、性倫理が強い。さらに文化検閲も行なわれました。それゆえ、イノセントなものが残ってしまった国だと思います。アイルランドでは90年代後半まで離婚はできなかったし、妊娠中絶ももちろんできませんでしたし、コンドームを売ることは禁止されていて、医師の処方が必要である上に使用は夫婦間と制限されていました。ゲイの人たちは罰則の対象になっていました。非常に厳しい制限がありましたので、みんな生真面目です。1回結婚しそこなったフレッドの生真面目さは本当にリアルですね。女の人の手を握ったことのない独身男性は、いるんです。それであんな愛すべきキャラクターになっています」と、その歴史的経緯を紹介。
また、
「カハルも本当にピュアな青年です。天使みたいな人ですが、自分のことはできないのに他人のことを助けてくれて、人の恋愛も応援してくれて、まさに無私の愛を注ぐわけです。こういう人はアイルランドで本当にいる。“免疫がない”と思ってもらえればいいと思います。貧しい国でしたから。麻薬も入ってこなかったし、民族衣装すらないんです。それすらも失うほど貧しかった。マテリアル、モノは失ってきたのです。でも言葉や音楽は残った。カハルが“葉っぱが落ちる瞬間を見たことがある?”と歯が浮くようなことを言います。なぜならアイルランド人は生まれながらに詩人なんです。そういったものの見方をするのです。即興でピアノを演奏し唄を歌うシーンがありますが、曲は友人フレッドを讃える歌。それができるのがアイルランド人なのです」と、解説。本作への理解をさらに深めることの出来る、貴重なイベントとなりました。