1960年代後半、当時としては強烈過ぎる爆音で異彩を放ち、ヘヴィロック/ヘヴィサイケ/ヘヴィメタルの父としてロック史にその名を刻む偉大なるブルーズ・ロック・バンド、
BLUE CHEER(ブルー・チアー)。結成時よりベース/ヴォーカルを担当するバンドの顔として活躍したDickie Petersonが10月12日朝、近年の活動拠点であったドイツにて死去。死因は明らかとなっていませんが、長らく持病に悩まされていたとのことです。享年61。
Dickieは1948年、トロンボーン奏者の父、ピアニストの母という音楽一家に生まれ、10代の後半からベースをプレイし始めます。1966年、引越し先のサンフランシスコにてBLUE CHEERを結成。1968年にはかの有名な
Eddie Cochran(エディ・コクラン)「Summertime Blues」の秀逸過ぎるカヴァーを収めたアルバム
『Vincebus Eruptum』(写真)でデビュー。この作品はラウドなロックの原点として後世に語り継がれることとなります。
その後もDickieを中心にメンバー・チェンジを繰り返しながら地道に活動。1999年には30年越し、最初で最後となってしまった来日公演を敢行。そのときの模様は
『Hello Tokyo, Bye Bye Osaka - Live In Japan 1999』や『Live in Japan』といったライヴ盤で聴くことができます。
現代へつながるロックに絶大な影響を及ぼしたBLUE CHEER=Dickie Peterson。功績を讃えるを共に、謹んでご冥福をお祈りいたします。