一人お部屋にてadidasのシューズを掲げた経験をお持ちの貴方なら分かるはず! いつの頃からか、切っても切れない間柄となった“ヒップホップ×adidas”。その相思相愛な関係性について、CDJournal.com的考察をまとめてみました。
ダボダボ、ピッタリ、その着こなし/サイズの違いこそあれ、ヒップホップに心酔した方ならば、一足はお持ちのことでしょう“adidas”スニーカー。勝利の“V”と3本線、そして月桂樹の組み合わせによって生まれた“トレフォイル(TREFOIL)”マークに身を包み、なんとなくなポーズ(肩幅に足を開いて腕を組む、無駄に両手を広げる、キャップはエロ被り)をとってみては一人ほくそ笑む、インドア・ヒップホッパーも御用達のadidasブランド。ヒップホップ・シーンとのファースト・コンタクトは、RUN(Joseph Simmons)/
DMC(Darryl McDaniels)/DJ Jam Master Jay(Jason Mizell)によって結成された2MC&1DJ“
RUN DMC”との出会いでした。
1983年、シングル「It's Like That/Sucker M.C.'s」で華々しくデビューを飾ったRUN DMC。彼らのシンプル&タイトに研ぎ澄まされたグルーヴは、アンダーグラウンドな音楽だったヒップホップを、一気にメジャーへプッシュ・アップ。1986年には、今や老舗レーベルとして崇め奉られる“Def Jam Records”主宰者の一人である
リック・ルービンをプロデューサーに迎えた3rdアルバム
『レイジング・ヘル』を発表、
エアロスミスとのコラボレート曲「ウォーク・ディス・ウェイ」など大ヒット曲を生み出し、名実ともに“King of Rock”の称号を手にします。
そんな彼らのファッションといえば、カンゴール・ハット、ゴールド・チェーン、セットアップ、カザールのサングラス、そして紐無しadidasスーパースター!『レイジング〜』にも収録されている“オレのadidasのスニーカー賛歌”「マイ・アディダス」を発表するやいなや、世界で熱狂的なadidasブームが巻き起こることに。約20年にも及ぶこととなった、RUN DMCとadidasとの契約はこうして始まったわけです。極太靴紐・標準装備/靴紐無しでも履ける……など、リクエストを取り入れたシグネチャー・モデル“ウルトラスター”が発表されるなど、スポーツ選手ではないにもかかわらず“ラップをする広告塔”として一企業の顔となったRUN DMC。単なる“ヒップホップ×スポーツ・ブランド”コラボレートの原点というだけでなく、「
田中裕子×水性キンチョール」「
輪島功一×
坂田明×
江口のりこ×水性コックローチ」「
高坂真琴×コンバット」など、意表を付いたキャスティングで話題を集める、現代のタイアップ戦略の原点ともいえる組み合わせだったのではなかろうか!? と思ったり思わなかったり。
成り上がりアメリカン・ドリームの場としても発展してきたヒップホップ・シーンにおいて、メイク・マネーかつ知名度アップなこの手法は見事なまでに浸透。各ブランドとのコラボレートはもとより、ラッパー自身がファッション・ブランドを立ち上げるなど〔
ウータン・クラン(WU-WEAR)、
L.L.クールJ(Todd Smith/TD)、
P.ディディ(Sean John)、
ジェイ・Z(Roc-A-Wear)、
ファレル・ウィリアムス(Ice Cream)〕、そのビジネス規模/効果も計り知れないほどビッグなものへ進化を遂げるのでありました……。
その後も、
ビースティ・ボーイズ着用“CAMPUS”などの名品を世に送り出しつつ、今やすっかりヒップホップ定番クローズとして定着したadidas。近年では
ミッシー・エリオットとの共同プロジェクト“Respect ME(リスペクト・ミー)”をスタートさせるなど、その道の大御所として、さらなる飛躍を遂げようと邁進を続けております。ちなみに、ひねもすラッパー・
かせきさいだぁ≡の“≡”(変換する際は「ごうどう」で)もadidasの三本線をイメージしたとか。
かたや、2005年にadidasとの契約を解消、新たにフランスのスポーツ・ブランド“Le Coq Sportif”と契約を結んだDMC。そして実兄
ラッセル・シモンズとともにスニーカー・ブランド“Run Athletics”を設立したRUN(現Rev Run)。RUN DMCのメンバーも、他の大物ラッパー同様、自身のブランドを立ち上げることに。“RUN DMC=adidas”な僕らから言えば、何とも複雑な気分……。
※ 記事は掲載日時点での情報をもとに書かれています。掲載後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。ご了承ください。