9月29日にニュー・シングル
「花鳥風月/言葉にすれば」をリリースする
森山直太朗と、「トイレの神様」が大きな話題をよび、注目を集めている
植村花菜の対談が実現。ソングライター/シンガーとしてのスタイル、考え方を巡って奥深いトークが展開する、貴重な対談になったと思う。
――お2人が初めて会ったのは、どんなシチュエーションだったんですか?
植村 「以前、関西テレビの音楽番組をやらせてもらってたときに、森山さんにゲストで来ていただいときですね。すごく気さくでいい方やな、と。ちょっと変わってましたけど(笑)」
森山 「植村さんはそのとき、たぶん(番組の)お衣装だと思うんですけど、スクールっぽい格好をしてたんですよね」
植村 「そのときの番組のテーマが“50's”だったんですよね」
森山 「そのあたりの時代は僕のなかでストライクだったから、すごくイメージが良くて(笑)」
植村 「あのときはあんまり喋ってなかったですから。喋るとイメージが変わるって言われるので」
森山 「そういえば大阪の<情熱大陸Special Live'10>(野外音楽イベント)のとき、僕が屋台をレポートするっていう仕事があったんですよ。で、お店の人たちに“いちばんいろんなものを食べてたアーティストは?”って聞いてみたら、それが植村花菜だったっていう」
植村 「食べるの大好きなので(笑)。そのぶん、走ってるんですけどね」
――ハーフ・マラソンの大会に出ちゃうくらいですからね。
森山 「あ、そうなんだ」
植村 「もともとはライヴのときの体力作りのために走りはじめたんですよ」
森山 「“食べたい”っていう快楽とストイックに走る感じが隣り合わせになってるんだろうね。俺もそう。我慢するのはイヤだから、食べたいときは思い切り食べる。ツアー先で食べて飲んで、夜中に走ったりしてるからね。だったら食わなきゃいいのに、って思うけど」
――あの、そろそろ音楽の話もしていいですか?
森山 「イヤです(笑)」
――いやいや、そう言わず。まず、お2人の曲作りについて聞きたいのですが、たとえば「花鳥風月」はどんなテーマで制作されたんですか?
森山 「これはですねえ、御徒町(共同制作者の御徒町凧)との会話の延長線上というか……詞先が多いんだけど、テーマってホントにないんですよね。気づいたら出来てるっていうか、テーマって聞かれると、いつもアタフタしちゃうんですよ。いつもそうじゃないですか」
――そうですね。インタビューしてても、「あれ、何の話でしたっけ?」っていうことになりがちなので。
森山 「そうそう(笑)。大きく言えば“身を任せる”っていうことなんですけどね。やっぱりピンと来ないでしょ?」
――植村さんはわりとテーマがはっきりしてる気がするんですが。
植村 「そうですね。歌詞に関しては“このことを伝えたい”とか”こういうことを書きたい”っていうのがあるときが多いです。曲が先のときは、出来上がったメロディを聴きながら“どういう歌詞が合うだろう?”って考えたり」
――「トイレの神様」の場合は?
植村 「あの曲は、言いたいこと、伝えたいことがあったわけじゃないんです。おばあちゃんとの思い出、後悔とか感謝の気持ちをそのまま歌ってるだけなので」
森山 「僕は曲がどうこうというより、歌うときのスタンスや佇まいにシンパシーを感じるタイプなんですけど、そういう意味で<情熱大陸>のときに、植村さんが押尾コータローさんと一緒にやった<トイレの神様>は、あの日のベスト・パフォーマンスだったと思いますね。わかりやすく盛り上がるわけでもなく、ただ泣いたりするんでもなくて、いいものに触れてるときの振動があったと思うんですよ。全部がフラットで、みんなが一つになって――それは音楽をやっていくなかで、信じたい、肯定したい瞬間でもあるんだけど。それはきっと、曲の成り立ちもあると思うんだよね。“こうしたい、ああしたい”ってことじゃなくて、何の衒いもなく、ただそこにあるような曲だから」
植村 「うん、そうですね」
森山 「何の主張もなく、響きだけで共感を呼ぶというか。でも、押尾さんとふたりでやるって、よく英断したよね」
植村 「あの、新しいアルバム(セルフカヴァーを中心とした『花菜 〜My Favorite Things〜 』)にも、同じカタチでレコーディングした<トイレの神様>が入ってるんですよ。セルフカヴァーしようにも、自分でギターを弾いてしまうと、やっぱり同じになってしまう。どうしようかな?って考えたときに“ぜひ押尾さんに弾いてほしい”って思って」
森山 「なるほど、ちゃんと伏線があったんだね」
植村 「押尾さんのギターにはすごく歌心が思うんですよね。温かい人柄も出てるし。ほんとに情熱大陸の2会場(東京・大阪)だけだったんですけどね、ライヴでやったのは」
森山 「コラボレーションって、得られるものも多いけど、ときに失うものもあると思うんですよ。関係性がないと、ただ歌うだけになってしまうというか。人が感動するのはたぶん歌の内容とかではなくて、その人がどれくらい自分と向き合って舞台に立ってるのか、そのなかでどれくらい成長の過程が見られるのかというところじゃないかなって。同じ歌を何百回も歌っていくなかで、その緊張感を持続していくのって、なかなかどうして……」
植村 「難しいですよね」
森山 「何も考えず、いつも真っ白な状態で歌うのか、そのときどきで何かを課していくのか。<情熱大陸>のときに花菜ちゃんがやったことはきっと、後者だと思うんだけど」
――今日の対談に際して、「目的があって歌うのか、それとも、衝動で歌うのか」というテーマを考えてたんですが、そのことも関係してますか?
植村 「うーん……」
森山 「ずいぶん難しい話ですねえ(笑)。目的と衝動っていうのは順番にやってくると思うし、いつも隣り合ってるものじゃないですか。そのうえで、あえて分けるとしたら、僕は“衝動(で歌うタイプ)”だと思いますけどね。でも、目的も大いにあるんですよ。それこそ音楽を始めた頃っていうのは、誰かにほめられたり、認められたい、驚かせたいっていうことがあって。それも目的ですからね、言ってみれば」
――なるほど。
森山 「ただ、それだけだと面白くなくなっちゃうんですよね。そういう目的だけじゃなくて、自分の衝動、実感、リアリティみたいなものにどれだけ従順でいられるかっていう。<花鳥風月>を作ったときのことを覚えてないっていうのも、まさにそういうことだと思うし」
植村 「“気づいたら出来てた”っていうのは、すごくわかります。私も両方ありますね。“こうなりたい、こうしたい”っていう目的もあるし、でも、曲を作るときのとっかかりは衝動だったりするし」
森山 「目的はね、求愛です(笑)。すべての人たちに対する」
――最後に“歌うこと”についても聞かせてください。植村さんはレコーディング中、メロディの正確な音程を楽器で確かめるということですが。
森山 「あ、そうなんだ?」
植村 「そうですね。メロディはわかってるんですけど、改めて正しい音を確認するんです。何て言うか、いろんな意味で歌は上手くありたいって思うんですよね。ピッチが正確ってことがすべてではないし、感情に任せて音がズレてしまうこともあるんだけど、基本的には“歌、上手いな”って言ってもらえるシンガーでありたいっていう。私の大好きなジョン・メイヤーが“リズムがすごく大事”って言ってるんですけど、ピッチとリズムに関しては、確実に取りに行きたいなって」
森山 「取りに行きたいって、すごいね」
植村 「また考えが変わることもあると思うんですけどね」
森山 「そうだよね。音程、ブレス、発音、鼻濁音とか、いろんなことがあるんだけど、俺もそこは絶対にこだわりたい。でも、間違えないように歌ってる自分がいたときに“それがナンボのもんなんだ”って思ったことがあって。結局、表現っていうのは心を開いて、素になった自分を――ちょっと抽象的な言い方だけど」
植村 「わかります」
森山 「花菜ちゃんが言うように、基礎っていうのは大前提だし、聴いてくれる人たちに対する礼儀でもあると思う。でも、それだけじゃないんですよね。“間違えたくない”っていう自分に対して、“関係ないじゃん”って言える自分がいれば、スコーンと表現が乗って、面白いくらいピッチが合ったりするんですよ。……って、こういう話でいいんでしたっけ?」
――もちろんです(笑)。
森山 「だから、ピッチは気にしてます。でも、それより大事なこともあるってことですね(笑)」
取材・文/森 朋之(2010年9月)
撮影/関 暁
森山直太朗Information
4thアルバム『あらゆるものの真ん中で』からのリカット・シングル「花鳥風月/言葉にすれば」(UPCH-80202)が発売中。詳しくはオフィシャル・サイト(
https://www.naotaro.com/)へ。