異常に屈折しているのに妙にポップでエキゾチックなサウンド、そして野蛮なまでにキュート&すっとんきょうなヴォーカル。1978年から83年まで、わずか5年間ほどの活動(リリースされたアルバムは3枚)で幕を閉じたが、その強烈な個性によって伝説的存在となっている。
そんな日本のバンド、チャクラの未発表ライヴ音源が2枚組CDとして突然リリースされた。題して『アンリリースド・ライヴ・レコーディングス 1981-1983』。収録された計24曲(81〜83年、5ヵ所でのライヴ音源)のうち7曲は当時正式にレコーディングされることがなかったレア音源だ。加えて、ファン感涙のこのアルバムを制作 / リリースしたのがなんとチリ人の熱狂的マニアだというからさらにびっくり。恐るべし、時空を超えたチャクラ・パワー。
ということで、チャクラのシンガーだった小川美潮さんに、当時のことも含め、いろいろと聞いてみた。
レア音源はほかにもたくさんあります
――まずは、今作誕生の詳しい経緯について教えてください。
「最初は2年ほど前ですね。チリのゴンサロ・フエンテスという熱心なファンの方が文ちゃん(チャクラのリーダー / ギタリスト板倉文)にFacebook上で接触してきて、さらに私ともつながった。世界中のチャクラ・ファンに向けて、チャクラの情報をもっといろいろ発信したいので、ウェブサイトを立ち上げたいと言って。結局サイトはまだアップされてないんだけど、そのやりとりの一環で、今回の音源リリースの話になったんです。このアルバムは、ゴンサロさんが立ち上げたインディ・レーベル「Guerrilla Music Production」からまずリリースされ(『LIVE & UNRELEASED ARCHIVE RECORDINGS 1981-1983』)、今回日本盤としても発売されたという流れです。去る12月6日に、チャクラのメンバーが集まったリリース記念パーティ・ライヴをやったんですが、そこにはゴンサロさんもわざわざチリから来ました」
――この音源の出どころは?
「多くは、当時ファンがカセット録音していたもので、10年ほど前に私がいただき、これまでも一部はネットに上げたりしていました。あと、私が持っていた記録用のライヴ・ビデオから音を抜きだしたものもあります」
――音盤化されていない音源が7曲入っていますが、そういうレア音源はほかにもまだあるんですか。
「たくさんあります。78年のチャクラ結成1ヵ月後にガソリンアレイ(東京・上馬)でやったライヴ音源とか。あと、文ちゃんが最初期のデモ音源もたくさん持っているので、いつか出したいと思っているんだけど……」
――今回、このCDを聴いた率直な感想は?
「面白いバンドだなとあらためて思いましたね。曲も面白いし、自分のMCも悪くない(笑)。なによりも、演奏がすごくしっかりしているし」
――2005年に私がインタビューした時の小川さんの発言に「ソロになってからは、人にウンコを投げつけるような音楽はもうやめようと思った」とあります。つまり、チャクラはそういう音楽だという認識だったわけでしょうか。
「いや、それは言い間違いか、聞き間違いだと思います。当時はパンク〜ニューウェイヴがはやっていたわけですが、ジョン・ライドンのP.I.L.を聴いて、“人にウンコを投げつけるようなこういう音楽はやめようね”とよくバンド内で言っていたんです。P.I.L.の音楽は好きだし、そういうのもアリだとはわかっていたけど、自分たちの方向はそっちじゃないよね、という認識だった。あと、アメリカ音楽はみんな大好きだけど、それを真似るのではなく日本人としてのフィルターを通したものをやろうという思いも最初からメンバー全員にあった。つまり……こんなのはイヤだぜと言うだけじゃなく、イヤだという気持ちを一度噛み締めたうえで、あっち(日本人としてのフィルターを通した音楽)をやるというポジティヴな姿勢を目指していたんです」
曲自体に世界観があり、それに合う歌詞を書いた
――78年、小川さんが19歳で参加した時は、バンド名はまだ宇宙警備隊でした。当時は、練習前にいつもみんなで体操したり、瞑想音楽を聴いたりしていたそうですね。
「私が入ってすぐにバンド名がチャクラに変わったんですが、その頃には体操はもうやってなかった」
――チャクラというバンド名も含め、メンバーは皆、精神世界に強い関心があったのでしょうか。
「いや、のちにお坊さんになったガンちゃん(故・友貞一正)にその傾向がちょっとあったぐらいで。ただ、バンド全体で、精神性を大事にするという感じではあったと思う。さっきも出たガソリンアレイでの最初のライヴでは、喜多嶋修の〈Yesterday And Karma〉(77年の『Osamu』に収録)もカヴァーしたし。私も、とくに違和感はなかった。高校生の頃、死んだらどうなるんだろうとか、“無”とは何かとかいつも考えていたし」
――チャクラの楽曲では小川さんが多くの作詞を手掛けていましたね。
「いつも曲が先にあって、そこに私が歌詞を付けるという手順でした」
――ヒネリの利いた複雑な曲が多いから、けっこう苦労したんじゃないですか。
「そうでもなかったです。作曲者が仮タイトルを付けていることが多かったので、そこから歌詞を自然にイメージできたんです。曲自体に、伝えたい内容、世界観があり、そこから私の言葉が引き出される感じだった。つまり、歌詞を書くというよりも、まずは曲があり、それに合う言葉を見つけるという流れなんです。私自身が言葉で伝えたいこともあまりなかったし。あくまでも曲、サウンドそのものにひとつの確固たる世界があったんだと思う」
――小川さんの歌詞に対し、メンバーから注文や文句が出ることはありましたか。
「いっさいなかった。たとえば、“今までにない言葉を何か考えてよ”とか言われ、“フンゴモ!”“ええーっ?”“じゃあ、ガッチョーネ”“いいねえ”……みたいな感じなんですよ。歌入れでもNGはほとんどない。文ちゃんからダメ出しがあったのは一度だけ。で、私が“ええっ、なんで? それはない!”と怒ったままもう一度歌ってみたら“それ、いいねえ”となった。その曲は〈おちょーし者の行進曲〉(81年の2nd『さてこそ』に収録)です」
――逆に、曲 / 音作りに関して小川さんが注文や文句をつけることは?
「それはよくありましたね。私は、気にくわないといつも文句を言うし。歌いづらいとか、いろいろ。でも、説明に納得がいけば素直に従う。楽曲構成を考える時など、私も一緒に参加し、積極的に意見を出していました。文ちゃんたちも、私をフェアに扱ってくれたし、私も基本的には、作曲者の意図をちゃんと汲んで歌うようにしていた。変なメロディとか難しいリズムとか、彼らの意図どおりにちゃんと歌えるようになってゆくことを私も楽しんでいた。どんどん吸収してゆくのが面白かったんです。とにかくチャクラは、全員がとてもまじめに音楽に取り組んでいた。当時はわからなかったけど、今振り返ると、もうけたと思います。いいバンドに入れて」
――2nd『さてこそ』では、細野晴臣さんが共同プロデューサーを務めましたが、矢野誠さんがプロデュースした1st『チャクラ』(80年)の時とはやはり違いましたか。
「当時細野さんはYMOなどでいちばん忙しかった頃なので、現場にはたまにしかいらっしゃらなかったけど、細野さんがいることで、現場の気分はたしかに盛り上がりましたね。細野さんは、食事の出前はいつもチャーハンだったので、クレジットも“チャーハン細野”になったんです」
――当時チャクラはナベプロ(渡辺プロダクション)所属だった関係で、『8時だョ! 全員集合』にも出ましたよね。
「一度だけですが。リハの時、いかりや長介さんが高木ブーさんの頭を本気で叩いていた。“バカヤロー!”と怒鳴って。すごく厳しくて驚きました。体育会系だなと。私は少年少女合唱隊にも加わったんですが、横には松村和子さん、石川さゆりさん、小林幸子さんが並んでました。私は『全員集合』以外にも、ナベプロ関係の番組やイベントによく駆り出されてました。そっちの世界に行く気はなかったけど、見てて面白かったですね」
――そもそもナベプロはチャクラをどういうバンド・イメージで売ろうとしていたんですかね。
「ニューミュージックにチャレンジしたかったんだと思う。チャクラは、ナベプロの中の“ノンストップ”という部署の所属でした。チャクラ以外にも山下久美子さんや、大沢誉志幸さんのクラウディ・スカイなどがいました」
文ちゃんは誰がなんと言おうが、どこまでもやる
――今作には5ヵ所のハコでのライヴ音源が入ってますね。
「とくに、名古屋のユッカや京都のサーカス・サーカスなどは思い出深いです。京都ではいつもウノハウス(UNO HOUSE)というバックパッカーが使う激安の宿に泊まってました。シーツと枕カバーをくれて、一泊千円(笑)」
――板倉文さんは、現在は音楽活動をやめちゃったようで、とても残念ですが、彼の才能はどういう点が特殊だったんですかね。
「ありとあらゆる音楽を聴いてきたからだと思うけど、ギター音色がとんでもなく多彩なんです。自分の音色に固執するギタリストが多いけど、文ちゃんはとても柔軟で、曲によっていろんな音色を出せる。引き出しが多いというか、自分の世界だけにとどまっていないというか。あと、普通の人だったら、ここまでできればいいんじゃないか……という地点でも、文ちゃんの場合は、さらにその先へ、自分のキャパシティを超えてまで行こうとする。そこに到達するまでは、誰がなんと言おうが関係なく、どこまでもやる。周りに迷惑かけても」
――自分だけの確固たる音楽的ヴィジョンを持っていると。
「そう。人の思惑とか全然関係ない。四六時中、音楽のことばかり考えているし、一緒にいても、彼は笑いどころとかも違う」
――チリのゴンサロ・フエンテスとは次も何か計画があるんですか。
「ジャズのスタンダード曲を実験的にカヴァーした2枚組コンピレーション・アルバムに、板倉文&小川美潮として参加しています。そのうちリリースされると思います」
Photo by Itokawa Yoshi
取材・文/松山晋也