――『NON-STANDARD collection-ノンスタンダードの響き-』は、1984年に細野晴臣さんが立ち上げたレーベル「ノンスタンダード」の全貌をコンパイルした作品。まず、鈴木さんがこの作品を監修するに至った経緯を教えてもらえますか?
「僕が細野さん関連のボックスセットを監修したのは、今回で2度目になります。1度目は2001年『
HOSONO BOX 1969-2000』&2002年のモナドのリイシュー(ノンスタンダードと同時に細野が立ち上げたモナドレーベルの作品をまとめた『
MONAD BOX〜MONAD SIGHTSEEING MUSIC』)。その時、単体でのリイシューも担当しましたが『銀河鉄道の夜』はあえて外しました。『銀河鉄道の夜』のオリジナル・サウンド・トラックは、細野さんにとって、とても重要な作品なので、別の形でリイシューしたかったんです。それが去年の12月に出た『
銀河鉄道の夜・特別版』なんですが、それと並行して制作したのが今回のコレクションになります。この2作の立案はほぼ同時だったと思います。今回、ノンスタンダードに関しては、僕は手伝いでいいかなと思っていたんですが、細野さんから“鈴木くんが監修したら?”と言われて決意しました」
――制作としては、まずは選曲からですか?
「いえ。どの曲を入れて、どの曲を外すかなんて考えたくなかった(笑)。なのでブックレットに掲載する総論から書き始めたんです。かなり変わったやり方ですけど、“ノンスタンダードとは一体、何だったのか?”と自分なりに整理してから曲を選びたくて。選曲している段階では“それぞれのディスクごとにテーマを決めたほうがいいのかな”と考えたりもしたんですが、いまの時代を考えると、それはあまり良くないなと。選者の趣味性はできるだけ出さないようにしたい。けど、中道を取ってヌルい作品になったら本末転倒だし、何よりもそれぞれのアーティストにも納得してもらいたい。新しいアルバムを作るよりも色々な心労がありました(笑)。アウトテイクの扱いも重要でしたね。未発表曲だけでまとめるのが順当なやり方ですが、結局は“ちりばめる”という形にしました。制作の初期段階で、正規の『S-F-X』には入っていない〈あくまのはつめい〉と〈北極〉を見つけていたので、“これが入ればもう充分、それだけでいいんじゃないか?”と思ったり。
ビートルズの再発シリーズの影響もありましたね。プロモーションで少し関わりましたが、『ホワイトアルバム』の
50周年記念盤も“ここまでやるか”という徹底ぶりだったので、ノンスタンダードも頑張りました(笑)」
――当時を知らないリスナーにとっても、きわめて興味深い作品だと思います。80年代半ばの音楽シーンにおけるノンスタンダードは、どういう存在だったんでしょう?
「僕の思い出話になってしまいますが、80年代の中頃、ムーヴメントは中途半端な時期だったんです。YMOは散開していて、渋谷系はまだ始まっていない。クラブカルチャーは少し出てきてたけど、ハウス、ヒップホップはやっぱり90年代のカルチャーですからね。オルタナティヴや音響系もなくて、主流になっていたのはニューロマンティックやジャングルビート、あとはZTTレーベルとか。言ってしまえば小粒なムーヴメントが点在している状況というのかな。ニューウェイブが失速して、次のカルチャーに手渡しする時期に生まれたのがノンスタンダードだったんです」
――シーンが移り変わる境目に登場したレーベルだったと。
「そうです。リスナーはまだYMOの幻影を追っている時期、でもクリエイターは次に向かっていた。ノンスタンダードはそうした葛藤を抱えていたんだけど、そこに音楽的に発露するものがあった。かつて“ノンスタンダードの音楽は古いんじゃないの?”と思っていた時期もあったんです。楽しめなかったんですよね。ところが、いま聴いてみると、どのアルバムも“とてもいいな”と感じるんです。その理由は最近の音楽のムーヴメントが変わったことと、僕が大人になったことの両方なんだろうなと思います」
――わかるような気がします。個人的にはアーバン・ダンスが聴けない時期があって。
「アーバン・ダンスの(成田)忍くんの音楽性は、誤解されてると思います。“みんながポストYMOを望んでるんだったら、僕がやりましょう”というサービス精神が、彼の中にはあった。ただ、そうした指向は普遍性を持ち得ない、確かに難しい。だから今回のコレクションで選んだアーバン・ダンスの楽曲は、言わばサービスしてないものなんです。忍くんが自由に音楽したであろうもの……これは全体を通して言えることですが、いまの時代に聴いてジャストだなと思うものを限定して選曲したつもりです」
――タイムレスな楽曲を中心にすることで、各アーティストの本質を感じ取れるというか。
「本質的な部分を、誤解がないようにしたかったんです。僕はメディアに時々露出しているので、どんな活動をしているか、ある程度は伝わっていますが、(ノンスタンダードに所属していたアーティストのなかには)いまは活動していない人もいる。ブックレットにインタビューを目一杯掲載したのも、そういうことなんです。自分の論旨だけではなくて、ノンスタンダードに関わっていたアーティストの話を実際に聞いて、僕のロジックとそうしたフィールドワークの両方で組み立てたかった」
――細野さんをはじめ、コシミハルさん、ピチカート・ファイヴの
鴨宮 諒さん、高浪慶太郎さん、成田 忍さんなどのインタビューも読みごたえがあって。鈴木さん自身も、新たな発見があったのでは?
「正直、当時はそこまで踏み込んで音楽の話をすることがなかったし――細野さんとはよく話してましたけど――今回、初めて聞く話も多くて。じつは
小西康陽くん(ピチカート・ファイヴ)とも制作中、出版社で十数年ぶりに会ったんですが、後日“デモテープを収録していいよ”という承諾をもらえた。そのデモテープは当時僕もよくウォークマンで聴いていたものです。思い出深い、すごく良かったから」
――ピチカート・ファイヴの「動物園の鰐」のデモ音源なんて、めちゃくちゃ貴重ですよね。
「当時、デモテープはノンスタンダードに限らず、色々な音楽家に渡したり、もらったりしていました。カセットテープは昨今、再評価されてますが、僕はテープの音がとにかく好きだった。発見だったのですが、カセットテープマスターはある意味、当時のデジタル音源よりも音がいい。リマスタリングもやりやすかった。1980年代、ノンスタンダードの作品は、カセットテープ、アナログレコード、CDの3種類でリリースされていたんです。でも、創世記のCDの音質はひどくて、意識的な音楽家はアナログでいい音を作ることを目標にしていました」
――80年代中頃は、アナログからデジタルに移行する時期でもあったと。
「そうですね。2001年のリイシューはほとんどデジタルのマスター音源を使ってリマスタリングしたんですが、今回はアナログ音源も使っていて。細野さんの『S-F-X』のアナログのマスターもすごくいい音だったから、そちらを採用しました。リマスタリングの技術も飛躍的に向上しているんです」
――ノンスタンダードはチェリーレッド、ラフトレードなど、海外のインディーレーベルと近いスタンスだった印象もあります。
「細野さんは、そういうプライヴェートなレーベルを意識していたかもしれないですね。そもそもノンスタンダードは、テイチクレコードのなかにあったレーベルなんです。レーベルは、細野さん、プロデューサーの牧村憲一さん、YMOのマネージメントをやっていた伊藤洋一さんがトップ3で、制作を(外注で)請け負い、テイチクはディストリビューションとプロモーションというスタンスだった。でも、両者にはボタンの掛け違いがあった。メーカーとレーベルは正直、理解し合えていなかったと思うし、テイチクのスタッフにしてみたら、“ノンスタンダードのアーティストはどう扱っていいかわからない”という感じだったんと思うんです。ノンスタンダードは結局、3年ほどで終わってしまったんですが、その後の渋谷系のムーヴメントを考えると、続けていれば回収できる時期が来たと思うんです。それを実現したのが、ポリスター内で立ち上げられたトラットリア・レーベルだったと思います」
――ノンスタンダードが渋谷系のムーヴメントに与えた影響は明らかだし、その後の日本のポップスにも大きな変化をもたらしたのでは?
「総論にも書いたんですが、間接的な影響はあったと思います。ただ、ジャーナリズムがそれを結びつけられなかった。たとえば、
はっぴいえんど、YMOがその後の日本のロックやポップスに与えた影響はジャーナリズムのなかでも詳細に語られている。けれどもノンスタンダードと90年代の渋谷系や、クラブカルチャーとのつながりは無視された。今回の作品が、そのつながりを見直すきっかけになったらいいなという想いもあります」
――80年代半ばの細野晴臣さんの作品に対する再評価も進むのでは? 『S-F-X』にしても、たとえば『
HOSONO HOUSE』などに比べると、語られることが少ない印象があるので。
「最近、細野さんはエレクトロに回帰していますが、『
HOCHONO HOUSE』(アルバム『HOSONO HOUSE』を自らリメイクした新作)と『S-F-X』は作品として近似値だと思います、ジャケットも似ていますし(笑)。『S-F-X』を聴けば『HOCHONO HOUSE』がさらにわかるというのかな。細野さんは巨大な図書館みたいなもので、階層がとにかく深い、でも覗けば、しっかりつながっている。『HOCHONO HOUSE』を楽しめる人だったら、『S-F-X』や『銀河鉄道の夜』も楽しめるはずだし、そういう聴き方をすることで、細野さんの音楽の理解度が深まると思うんですよ。“どちらかではなく、どちらも”という考え方です。ビートルズだけを聴いてもビートルズはわからなくて、彼らが好きだった音楽、周辺の音楽を聴くことでビートルズがわかる。それと同じ、1985年の『S-F-X』を聴くことで、2019年の『HOCHONO HOUSE』がわかるはずです」
――そう考えるとノンスタンダードの音楽は、2019年の現在だからこそ、初めて本当に理解されることになるのかも。
「そうかもしれないです。……当時の僕は、FOEが聴けなかった。“これをカッコいいと言っていいんだろうか?”と悩みました。“YMOは好きだけど、FOEを好きだと思っちゃいけないんじゃないか?”とか。全然、思っていいのに(笑)愚かでした。一体、自分は何を迷っていたんだろう? 日本語で歌うこともそうですよね。1980年代には“日本語で歌うのはオシャレじゃない”みたいな風潮もありましたが、リスナーもジャーナリズムも成熟して、今や誰もそんなことは言わなくなった。そういう状況になるまでに、30年くらい時間がかかっているんです。僕自身、ポップスを聴き始めて50年くらい経ちますが、やっと音楽をニュートラルに捉えられるようになってきました。そう考えると、いまだからこそ作れたノンスタンダード・コレクションなんです」
取材・文 / 森 朋之(2019年2月)