5月に発売され大きな反響を呼んだYOU THE ROCK★ × O.N.Oのアルバムに続くTHA BLUE HERB RECORDINGSからのビッグサプライズ。THA BLUE HERBのラッパー、ILL-BOSSTINO(今作ではill-bosstino名義)とdj hondaによるジョイント・フルアルバム『KINGS CROSS』が11月17日発売された。フィーチャリングはなし。1対1でじっくり創り上げた16曲を収録した今作について、ILL-BOSSTINOに話を聞いた。
――ILL-BOSSTINO(BOSS)さんとdj hondaさんのタッグでアルバム丸ごと一枚作り上げたというニュースを聞いたとき、そんな組み合わせがあり得るんだとすごく驚きました。当初は「1曲録ってみようか」みたいなところから始まったんですよね。
「そうです。レーベルをやっているので、録ったらそれをどうやってリリースするかということをすぐ考えちゃうんだけど、色んなプロデューサーと作る中の1曲になるかなとか、最初はそのくらいのイメージだったんです。だけど、hondaさんとした作業というのは、ビートだけじゃなくて、hondaさん自身が僕の声を録音して、ミックス、マスタリングまでして。アウトプットが全部hondaさんなので、音の質感が普通の人とは全然違うというか、すべてがhondaさんならではなんです。それをほかのプロデューサーのビートと一緒に並べて、エンジニアに渡して、ひとつのアルバムを作ろうとすると、1曲だけ確実に特異なものになってしまう。"混ぜるな危険"の状態だからね(笑)」
――鳴りからなにから特別だったんですね。
「ほかと混ぜられないから、これはアルバムまでいくしかないと1曲目を録ったときに思っちゃったので。あとは音と言葉の相性のよさも感じたし、作業の速さもすごいので、この人とアルバムまでやれば自分も成長できるような気がするという手応えがあった。それでこうなったという感じです」
――その結果、途轍もないアルバムができあがりました。
「それは僕も思います」
――BOSSさん自身は新たなソロ・アルバムを作ろうと考えていた時期だったのでしょうか。
「THA BLUE HERBは30曲入りの2枚組(『THA BLUE HERB』)を作っちゃったし、相方のO.N.Oも今年YOU THE ROCK★と出したりしていたから(『WILL NEVER DIE』)、僕もちょっと違うのをやってみたいなというのはありました」
――『KINGS CROSS』は16曲という曲数の多さに驚きました。BOSSさんはリリックを書くのにかなりの時間をかけられるという話をされていますが、今回はセッション的に作っていった曲もあるんですよね。
「そういうこともやってみました」
――そういった新たなチャレンジに向かったのはやはりhondaさんとの制作だからなのでしょうか。
「そもそもhondaさんとやらせてもらうこと自体が挑戦なので。ヒップホップに限らず、大きな意味での音楽の先輩が札幌にはたくさんいて。先輩方の音楽の知識に感化されて僕もどんどん音楽にハマっていって、それが現在まで続いているんだけど、少なくともヒップホップという意味では、先輩という存在はいそうでいなくて。結局、全部自分らが独学でやってきたという思いが強いんです。(DJ)KRUSHさんはたしかに大先輩なんだけど、同じ地元ではないし、何年間かに一度セッションさせてもらっていろんなことを学びとるという感じなので」
――そんななかでdj hondaさんは同郷で。
「でも、昔すごかっただけというなら絶対につるまない。そういうのが一番嫌なので。でも、スタジオに行ったときに、ビートの数の豊富さ、鳴りの凄み、作業のスピード、僕以外の人間とやってるセッションの多さに驚いたんです。いま、この時間も間違いなくスタジオで作業やってますよ。それを考えると本当にすごいなと。制作はついていくのに必死だったけど、地元の先輩に恵まれたということがすごくいい体験でした」
――そもそものきっかけとなったのは、B.I.G.JOEさんの曲でBOSSさんがフィーチャーされた「STILL」でしょうか。
「そうです。札幌でヒップホップをやってた僕らの前に、海外からの逆輸入のアーティストとしてhondaさんが現れたというか。なんというか、実体を伴わないような存在だったのに、B.I.G.JOEが一緒にやったことで驚いて。本当にやれるんだ、B.I.G.JOEのすぐ向こう側にいるんだと、初めて生身の存在として認識できたんですよね。そこで鳴ってたビートも本当にすごかったし」
――実存するんだ、みたいな感覚は僕もわかる気がします。KRUSHさんも世界を股にかけて活躍するアーティストですが、日本でもDJプレイを見ることができましたし、アンダーグラウンドなシーンとも親和性が高く、個人的には身近に感じられた存在だったんです。でも、dj hondaさんに関してはあまりにメインストリームすぎて、想像もつかないというか。
「本当のど真ん中ですよね。僕も90年代の頭からヒップホップが好きになって。一番ハマった時期はまだインターネットもなくて、メディアはあるにはあったけど、そこまでではなかったんですよね。自分でイメージするしかないような時代にhondaさんは現地にいたので、当時の色んな話とかを聞くと、あいつはどうだったとか全部答えてくれるんですよ。だから僕的にも答え合わせができたというか、青春に戻れるというか。すごく楽しい作業でした」
――だからといって後ろ向きではなく、ビートは現在進行形の音の鳴りがしているわけで。
「hondaさん的にいまの流行りは多分、全然眼中にないですよ。昔に比べられてどう思うとか、拠点を日本に移してからどうとか、アメリカ人と日本人のラッパーの違いとかは、hondaさんはまったく構ってない。ビートが鳴って、いいラップが乗るという、ただそれだけのために毎日作業しているという印象ですね。実際、あの人が90年代にアメリカに行って今日までの30年、ヒップホップにはいろんな隆盛があってトレンドも移り変わってきたけれど、変わらず今日もビートを作り続けているので。トレンドとは別次元に立ってる感じの人ですね」
――制作はどんなふうに進んでいったのでしょうか。
「あれこれ喋るよりもセッションしようよみたいな流れでした。もちろんいろんな話をしてくれるけど、与太話をするよりは2人で黙々と作業する時間のほうが圧倒的に長かったです。いいからこのビートに声入れなよ、みたいな感じでずっとやってた感じですね。もちろん終わったあと、たまに酒飲みながらくだらない話もたくさんするんだけど、基本的には仕事に没頭している。僕も作業が始まっちゃたらそういう人間なので、似ているなとも思いました」
――ゲストなしの完全に1対1の作品になりましたが、YOU THE ROCK★さんの『WILL NEVER DIE』からのフィードバックみたいなものはありましたか?
「同時進行はしてたけど、そういう面ではとくに気にしてなかったですね。純粋にこのビートに乗せたい言葉があるし、他の人の手に渡るなら自分で乗せたいという曲しかなかったので、そうしたという感じです。曲数に関しても、そろそろCDに入らなくなるからこのへんでやめようと感じでした」
――すごい(笑)。
「やればいくらでもできますよ。スタジオに行けば1日1曲は絶対にできるので。それに、THA BLUE HERBで30曲2枚組を作ってひと段落してるというのもあって、自由にできるという心境になってたのもあると思う。それはいい流れだったと思います」
――BOSSさんがdj hondaさんのスタジオを“道場”だと表現していたのが印象的で。
「常にビートを作って、常に誰かが来てRECしている。今日もやってるし、昨日も、明日も絶対にやってる。海外からもオンラインでやったりもするし、びっくりしますよ」
――ちなみにdj hondaさんからBOSSさんへのディレクションみたいなものはあったのでしょうか?
「言葉に関しては全て僕ですね。もう一本コーラス入れてみようか、みたいなことは多少あるけど、録りに関してはほとんど僕に任せてくれてました。hondaさんは生の状態というか、あまり手を加えないRAWな状態を大事にする人だったんです。僕もヒップホップは初期衝動の吐露というか、そういうものだと思っていて、ファースト、セカンドの頃はそれでやってたんだけど、だんだんテクノロジーも進化していって。僕自身もいろんなことを学んでいくなかで、どんどん完璧なものを作りたくなっていって、その当時の終着点があの30曲だったんです。これ以上やることはない、というところまでいったんですよね。そこで、生の状態を大事にするhondaさんとやらせてもらったので、今回は2回とか3回で終わり。ただここはちょっと直したいというところがあれば、細かいところも付き合ってくれるという感じでした」
――「A.S.A.P.」に"BOSS もうそれでいい 無駄に手を加えるな これでいい"というフレーズが出てきます。
「そういう場面はずいぶんありました。1曲目ができた段階で音を聴いたとき、自分が作ってきた音楽と鳴りが全然違ったし、アルバムまで一緒にやってみたいという気持ちが生まれて初めて出てきました。全部自分が統括してジャッジしてきた25〜6年だったんだけど、それも面白いかなと思えましたね。hondaさん自身には確信しかないし、その確信に委ねてみたいと思いました」
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――「A.S.A.P.」の話題になったのでうかがいたいのですが、dj hondaさんの視点で辿ってきた歴史が描かれているのがひじょうにユニークですよね。
「今回hondaさんとやらせてもらうことになったときに、僕の近しいまわりの人ですら"あのキャップの?"みたいな反応だったんですね。とにかくみんな名前だけはよく知っている。僕自身も最初はそうで、昔アメリカでやってた人という見出し的なものでしか知らなくて。ガツンとやられたのは実際にスタジオでビートを聴いたときで、これはすごすぎると思って動いたんだけど、そういう気持ちであったり、hondaさん自身のことを伝えないと、このプロジェクトは面白くならないと思ったんですよね。hondaさんは帰ってきてからいろんな日本人のラッパーとやってるけど、hondaさんのキャリアや人間的な部分をちゃんと伝えた人とか、そういうところまで周知してアルバムまで作った人はいそうでいなくて。楽曲はすごく好きなんだけど、それはレーベルの人間としてもったいないなと思っていて。あの人の存在とか生きざまとか歴史がすごいユニークだから、その部分も全部落とし込んでいけばドラマティックになるなと思ってたので、今回僕とやるときはそこをちゃんとやりたいと話してました」
――それが「A.S.A.P.」に結実した。
「この人はこういうところから来たというのは、ずっとやりたかったことですね。hondaさんは僕と組むことによってなにかが露わになることもわりと楽しんでくれているのかなと感じてます。この見せ方、hondaさんの伝え方に関してNGもらったことはなくて、全部任せてくれました」
――もちろん作品は残っているけれど、歩んだ歴史が点々と散らばっている状態だったので、BOSSさんがこうして曲で物語を書かれたことによって広く知られるという意義も大きいと感じています。
「そう思いますよ。いまはもうヒップホップのメディアというのはあってないようなものだし、そういうものを当初からいままで見届けて総括するようなライターさんもいないし。その時代その時代でdj hondaを取り上げて、そこで終わってるというのが現状なので。ずっと見ていくと、KRUSHさんと同様に一度も立ち止まってない姿であったり、常にその先に面白いことがあるというのがわかる。その足跡を追うだけで詩になるという感じですよね」
――僕も「A.S.A.P.」が入り口になって、調べたりしたことがたくさんありました。
「そうそう、掘り下げていくとYouTubeでもたくさん動画が落ちてたりするので、きっかけさえあればどんどんアクセスできるんですよね。ここからhondaさんの過去の作品にいったりするのもいいことだと思います」
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――BOSSさんのリリックのアプローチに変化はありましたか?
「いや、hondaさんのことを書いたりするのは新しい扉ではあったんだけど、全体的に語られている詩世界というのはこれまでの延長的なものです。30曲入りを作った2019年があって、2020年にコロナがきて、いま、国がこういう状態になっていてなにを思うかとか、僕自身が49、50歳になって人生をどう捉えているかという意味では、これまでの流れの現在版というか。そこは変わらないなというのはやっていて思いました。dj honda×ill-bosstinoという名義ではあるけど、詩に関してはいつもの僕なので」
――BOSSさんの変わらない側面は感じつつも、USのヒップホップの固有名詞がこんなに出てくるというのはなかったと思うんです。
「そこはやっぱりhondaさんとやってるとね(笑)。さっき言ったように当時の話を聞いたりしていたので、そこはワードとして入ってきますよね。そこはO.N.Oとやるときとはまた全然違う。向こうのヒップホップに憧れてた俺が、2021年に同じ人の作ったビートの上でやれている、追いついているという感覚もあったので、そこは入れたくもなりますよね」
――楽しんでいるというのも音から伝わってきます。
「純粋にめっちゃ楽しいですから。とくにアメリカの最前線にいた時代はすごく濃い時間を過ごしていたんだろうなと。そんなhondaさんと一緒にいると、憧れていた時代に一瞬に戻れるというか。若さを取り戻せるのがいいですよね」
――セッション的にリリックを書いていった曲もあるというお話ですが、そのスピード感はどんな感じだったのでしょうか。
「昼くらいスタジオに入って、hondaさんがネタを探して、音を作り始めて。その横で言葉を書いたりまとめたりし始めるんです。それを聴きながらどんどん作っていくというのがhondaさんのやってきた録音スタイルなんです。hondaさんに先に言わせてもらったのは、そのやり方だと、僕自身はいままでやってきた自分の作品のクオリティまでいける自信がないということで。現場のセッション的な感じとしてはありだけど、これまで残してきた作品の言葉にかけた時間を考えると……もちろん時間をかければいいというわけじゃないけれども、やっぱり推敲に推敲を重ねることは大事で。その繰り返しで作ってきたので。生まれてきたものをそのまま録るというこわさはもちろんありましたよ」
――そうだったんですね。
「でも、そういうセッション的な部分ではさらさらと書きはするんだけど、自分のいままで思ってきたこととか書き溜めてた言葉とか、いろんなものを混ぜ込んで作っていった感じですね。すべてがその場で生まれたわけではないというか、責任のないことはできないので、ちゃんとした言葉を乗せたい。その意味では、いつもと同じだけの時間はかかっていると思います。それより、言葉の内容うんぬんではなく、目の前で作られていくビートに合わせていく感覚というか、言葉をどう鳴らしていくかですよね。キーであったり、メロディであったり、フロウであったりに関しては、思い切りセッションでしたね。それまではビートをもらって少なくとも一週間は部屋に持ち帰って、練習して合わせていって、準備ができてから録るという感じだったんだけど、そこに関しては反射神経というか。その場で初めて聴くトラックに乗せるという意味ではセッション。勉強になりました」
――hondaさんも、それこそ黙々と没入しているのでしょうか。
「無言でひたすら作ってるんですよね。ソウル・ミュージックが2時間後にはバリバリのヒップホップに変わってます。ひとつのサンプリングを変化させて展開を作っていくヴァリエーションの多さにびっくりしますよ。気ままにどんどん変えていける。ジャズですよ」
――シンセで作っている部分も多いのかなと思っていました。サンプリングで作られているというのに驚きです。
「サンプリングなのに楽器を弾く並に自由にできる。なんの制約もないなこの人、という。驚異的ですよ」
――スクラッチは歌詞の内容に合わせていますよね。
「僕のいままでのキャリアの作品はすべてそうなんですけど、スクラッチのネタは今回も自分で全部選びました。hondaさんの作ってきた曲のみから選ぶというルールを僕が勝手に決めたので、本当に凄い面子の声ばかりで。しかも全部アカペラで持ってたりするので」
――それはすごい……。BOSSさんが選んだhondaさんのネタを、hondaさんがスクラッチするという。
「夢みたいな話です。すごく贅沢な遊びでしたね、本当に」
――それからリリックのなかで印象的だったのは、「REAL DEAL」で沖縄や熊谷に触れている点で。BOSSさんはシーンの移り変わりを長く見てきた人ですが、現行の面白い現場についてしっかり言及されていますよね。
「それは変わらないですね。THA BLUE HERBの前の作品もその前の作品でも、ずっとそういうことはしてきて。すごいものはすごいので、リスペクトですよね」
――一方で、「COME TRUE」では、リスペクト込みだとは思いますが……"あいつ 審査員席で息吹き返す"というフレーズも出てきます。
「そこにはリスペクトなんかないですよ。でもまぁ、みんな生活がありますから。もし僕が東京に住んでて、いろんな人との付き合いがあって、やらないかって言われたらわからない。ヒップホップにも音楽の創作以外のシノギがいろいろあるじゃないですか。僕はたまたま札幌にいて、そういうものがまったくない街に住んでいるので、そこは幸運かなと思いますね。音楽だけやってりゃいいというか。この街(東京)にいると、音楽やってりゃいいってほど甘くないのかもしれないし」
――どのフレーズもBOSSさんが純粋に音楽だけで長く続けてきたからこその視点だと思うんです。それができる人はほとんどいないわけで。
「でも、現にhondaさんという人がいますからね。だからこそ一緒に作ったわけだし。でも、たしかにラッパーという意味では、同世代はどんどん少なくなっていく状態ではありますよね」
――コロナ以降の世界をどうサバイブしていくかという大きな課題があるなかで、こういうふうに真正面から音楽で勝負するというアルバムを聴くと痺れます。
「それは僕も思います。昭和46年生まれのラッパーというのはたくさんいて、もちろんYOU THE ROCK★とかTWIGYも最近復活してはきてるから兆しはあるんだけど、もっと刺激がほしいなとは思います。まぁでも、さっきの審査員席の話だけど、ダメなものは朽ちていくし、淘汰される。実力の世界だから。売れなかったら消える。それが続けばやる気もなくなるだろうし、昔の生活を維持するために音楽と関係ないところでやらないといけないこともあるんでしょう。ましてやそこで仕事が入ってくるんだったら、受けるやつだっているでしょうってことで。俺だって面倒見切れないよ、好きにしなよって。どっちでもいいですよ。僕には追うべき先輩の背中があるし、やるべきことが見えてるので、それをやっていく。ただそれだけです」
――今回の『KINGS CROSS』はもちろんですが、レーベルとしてのTBHRは本当に面白い動きをしていると思うんです。こうなってくると、この先も想像だにしないものが出てくるのかと期待してしまうのですが。
「いま、やってることがめちゃありますよ。びっくりする企画をスタジオで進めてます」
――そうなんですね!
「来年もまたいろいろ控えています。ライヴできない時間が思いきり制作にいってるという感じです。その次にやりたいこともあるし、全部が初めてのことなので面白いですよ」
――それはすごく楽しみです。2枚組の『THA BLUE HERB』という大作を出して以降、むしろフットワークが軽くなっている印象があります。
「あれで30曲も作っちゃったので、作ろうと思えば作れるんだという自信を完全に手にしたのかもしれないです。ずっと枯渇しないですね。それに、こういう時代なのでインスピレーションはいくらでもありますよ。世の中がおかしくなればおかしくなるほど歌いたことが増えるのがラッパーなので、全然余裕ですね。いいビートがあれば、そこに対して乗っかっていきたいと思うし、努力もするし、絞り出すことができる」
――2年前のストリーミング解禁もそうですし、それと並行してYouTubeも積極的に展開されてきたことも変化を感じます。
「たくさんの人に知ってほしいという、それだけですね。若い人たちというか、世代ごとにヒットしてるものもあるし、めっちゃ盛り上がってるのもわかるんだけど、そこに自分らの音楽を投げてなにかが起きるかというと、そこまでは考えてなくて。聴いてほしいとは思っているけれども、その世代にしか言えないこともあるし、その世代にしか感じられないことってやっぱりあるんですよ。僕も20代に言ってたこと、感じてたことが30代、40代となって変化していったので。だから、僕らのほうがいくというより、いつ誰が来てもいいようにドアは開いておくという感覚でいます。どっちみち、いずれはみんな年を取るからさ」
――それは本当にそうですよね。
「そのうち遊びとかパーティだけじゃなくて、誰しもが音楽以前に人生を考えるので。結婚するし子供も生まれるし誰かが死ぬし、いわゆるライフ・ストーリーの本番が始まったときに、僕らの音楽がバシッとフィットする。その弾はめっちゃあるので、それ用にドアは開いてるという感じです」
――そこまでのスパンで見ているんですね。
「長くやってますからね。僕自身に起こった変化も自分で楽しんでるというか。もちろん昔もいまも同じ人間から出てきた言葉なんだけど、180度とはいかないまでも変わっていて。そこには連続性があって、20代から少しずつ変化してきた結果なんですよね。変わってしまった、なんて言われたりもしたもんだけど、変わり続けることが逆に面白いと思っているので、THA BLUE HERBはそこの長さを楽しんでほしい。そこをメディアはやってくれないから、僕らは自分たちで体系づけているという感じですね」
――東京のシーンに向けて発信したものが20年後に回収されることや、驚きのコラボレーションも、まさに長いスパンならではの面白さだと実感しています。
「いまはそういう時期になってるのがいいですよね。ユウちゃん(YOU THE ROCK★)もそうだし、hondaさんもだし。長い時間がドラマになって、曲になって、作品になるのは本当に面白いことだなと思ってます」
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取材・文/南波一海