TOP
ニュース
リサーチ
インタビュー
CDJ WEB SHOP
連載
検索
CDJ_staff
CDJ_audio
新刊案内
6月9日
ジョン・ロード(元ディープ・パープル)、誕生
(
ジョン・ロード
/ 1941年)
ディープ・パープルで活躍し、ロック・シーンを代表するキーボード奏者であるジョン・ロードが、英国レスターに生まれる。9歳でピアノをはじめ、クラシックに傾倒しつつロックも好み、60年代初頭からミュージシャンとしての活動をはじめる。激しく、凄まじいインプロヴィゼーションが印象的だが、クラシックの素養はそのプレイに確実に根付いている。ちなみに、リッチー・ブラックモアが本格的にクラシックを好むようになったのはロードの影響らしい。
−2006年05月26日作成−
あの名器の生みの親、レス・ポールが誕生
(
レス・ポール
/ 1915年)
ジャズ・ギタリストのレス・ポールが米国ウィスコンシン州に生まれる。8歳の時にハーモニカを吹き始めたのが音楽体験の原点であり、バンジョーを経てギターを手にする。17歳の頃から本格的にミュージシャンとして始動、1940年代に入ると自分の手でオリジナルのギターを制作し始め、52年に自らの名を冠したギター“レス・ポール”が誕生する。丸みを帯びたボディが特徴的で、ジャズからロックまで、数多くのギタリストが愛用している名器だ。
−2007年05月29日作成−
MALICE MIZER、Gackt参入後初のアルバム発売
(
Gackt
/ 1996年)
インディーズで驚異的な人気を誇っていたMALICE MIZERが、2ndアルバム『Voyage』を発売。この作品は、Gackt加入後初のアルバム。彼の幻惑的なボーカルが中世ヨーロッパを連想させる濃ゆい彼ら独特の音楽とピタリとハマリ、その後ますます女子ファンを増やすこととなった。ちなみにGacktが加入した理由は、“清水寺に眠っていたところを掘り出した”“三十三間堂にある仏像のうち、眉間にしわの入っていた1体に命を吹き込んだ”など諸説ある。
−2001年05月25日作成−
B'z、「ギリギリchop」を発売に
(
B'z
/ 1999年)
B'zが26枚目となるシングル「ギリギリchop」を発売。定位置であるオリコンチャート1位の座を獲得するのであるが、何より「何故そのタイトル?」という衝撃的なネーミングも話題となった。曲名の由来としては、ギリギリは決まっていて、あと強い言葉で別にchopでも固めでもキックでもよかったとか。「ちょっとでいい」に重ねて「chopでいい」と歌ってるところも聴きどころ。ロックの日(6/9)にはこんなハードなナンバーがぴったりかも。
−2002年05月27日作成−
スライド・ギターの名手、ブライアン・ジョーンズ脱退
(
ブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)
/ 1969年)
ローリング・ストーンズ結成前、キース・リチャーズはブライアン・ジョーンズのスライド・ギター演奏を見て驚嘆したという。音楽的知識も豊富だったことから、1963年のデビューからブライアンはリーダー格になった。だが、曲作りをしないことから徐々に影響力を失っていき、次第にブライアンは麻薬に溺れるように。さらにキースに恋人を奪われたことで自分の存在意義を見いだせなくなった彼は、音楽性の相違を理由にバンドを脱退。だが悲劇はこれでは終わらず、7月3日にブライアンはプールで溺死した。享年26歳だった。
−2003年05月27日作成−
『キテレツ大百科』放送終了ナリ
(1996年)
藤子・F・不二雄原作のSF漫画。87年11月2日に90分のTVスペシャル版が放送され、好評だったため翌88年3月27日から正式にスタートした。放送終了までに8年、全331話という長寿番組になった。主人公・キテレツが発明家の先祖・キテレツ斎が残した書物「奇天烈大百科」に記載されている数々の発明品を復元して活躍する話。当初、アニメは94年に終了決定だったが諸事情により2年後の96年まで2年以上もの放送延長となった。最終回は2年前に完成されていたものを放送した。
−2008年05月29日作成−
チャールズ・ディケンズ逝く
(
チャールズ・ディケンズ
/ 1812年)
英国の文豪、チャールズ・ディケンズが逝去。ヴィクトリア朝を代表する小説家。下層階級の主人公という設定で、弱き者の視点から社会を風刺した作品が愛され、イギリスの国民的作家になる。デヴィッド・リーン監督が彼の代表作『オリバー・ツイスト』や『大いなる遺産』を映画化。2005年にはロマン・ポランスキー監督も『オリバー・ツイスト』を製作、音楽を手掛けたのがレイチェル・ポートマンと豪華な顔ぶれになった。
−2007年05月22日作成−
ビートルズ365:ジョージ、パティ・ボイドと離婚
(
ザ・ビートルズ
/ 1977年)
ロンドン離婚裁判所にてジョージとパティの離婚が成立。パティは79年にジョージの親友であるエリック・クラプトンと再婚。ことの発端はインドに没頭するジョージに対し、パティが自分に気を惹かせるためにはどうしたらいいかとクラプトンに相談したこと。クラプトンはあて馬としての役を引き受け、結果パティはジョージの元へ戻り、ジョージは「サムシング」を完成させる。しかし、クラプトンは本気になってしまい、パティへの気持ちを「いとしのレイラ」にぶつける。その後、ジョージとパティは別居。パティはクラプトンに惹かれていく。そんな出来事がありながらも、ジョージとクラプトンの友情は壊れることなく続いていくのだった。
−2006年05月26日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
他の日を見る
翌日をみる
前日をみる
今日に戻る
ページを戻る
前のページに戻る
TOPに戻る
Copyright © CDJournal All Rights Reserved.
[ 会社案内 ]