9月13日

ラッパーの2パックが死去
2パック / 1996年)
ラッパーの2パックが死去ラッパーの2パックが死去。6日前、何者かによって銃撃され、4発の銃弾を受けたことによるものだった。享年25。常に暴力と表裏一体にあるようなイメージを持たれるヒップホップだが、それを決定づけてしまったのがこの事件だろう。東海岸と西海岸のシーンによる抗争は激しさを増し、翌97年にはノトーリアス・B.I.G.も犠牲となっている。しかし、死後も2パックの人気は絶大で、未発表作品が多数リリースされており、生存説まで出るほどだ。
−2006年08月28日作成−
プロデューサーとしてお馴染み、ドン・ウォズが誕生
ドン・ウォズ / 1952年)
プロデューサーとしてお馴染み、ドン・ウォズが誕生プロデューサーとして数多くの作品を手掛けているドン・ウォズが、米国デトロイトに生まれる。ブルースやジャズを好んで聴いていた彼は、大学をドロップアウトした後、ミュージシャンの道へ。79年にWAS(NOT WAS)を結成すると、80年代を通じて活躍した。93年のグループ解散後は、プロデューサー業に邁進。ローリング・ストーンズをはじめ、ボブ・ディランやボニー・レイットなどなど、その手腕はさまざまなアーティストの作品で発揮されている。
−2007年08月28日作成−
元・電気グルーヴのまりん誕生
砂原良徳 / 1969年)
元・電気グルーヴのまりん誕生電気グルーヴでプログラミングを担当し、99年4月に同バンドを脱退した「まりん」こと砂原良徳が北海道に生まれる。甲子園常連校の北海高校出身だが、「電気」に入るまではコンピュータ会社でバイトをしていた(しかも梱包の!)という。瀧&卓球のイジメにあうけなげな姿に女性ファンも多い。ソロになってからも名盤『TAKE OFF AND LANDING』(2nd)をリリースしたり、ACOのプロデュースを手がけたり、と意欲的に活動。クイズ番組『カルトQ』のYMOカルトキングの座を獲得したのは有名な話。
−2000年08月28日作成−
日本が誇るシンセ奏者、冨田勲、海外で10万人コンサート
冨田勲 / 1986年)
日本が誇るシンセ奏者、冨田勲、海外で10万人コンサートシンセサイザー奏者、冨田勲がハドソン河畔で10万人コンサートを行なう。日本では『ジャングル大帝』など手塚治虫アニメ音楽、または『きょうの料理』のテーマソングなど、放送音楽での功績の方が有名か。ちなみに『きょうの料理』のテーマ音楽は、NHKの待合室で30分で作った即興曲だという。シンセサイザーと出会ってからはアメリカに乗り込み、クラシックをシンセでアレンジした「月の光」がビルボード・クラシック部門1位を記録、また各国で大がかりな屋外サウンド・パフォーマンスを開くなど、世界にその名を轟かせた。
−2001年08月24日作成−
ポルノグラフィティ、大ブレイク曲「サウダージ」発売
ポルノグラフィティ / 2000年)
ポルノグラフィティ、大ブレイク曲「サウダージ」発売ポルノグラフィティの4thシングル「サウダージ」が発売。デビュー曲からアキヒトのハリのある早口な歌声と、キャッチーな楽曲が注目されていた彼ら。それらに加え、本作のメランコリックな曲調が、哀愁好きな日本人のハートをがっちりつかみ、ロングセールスを記録したのであった。メンバーがおじいちゃんメイクを披露しているPVは、真面目にやってるだけにかなり強烈でした〜。ちなみにバンド名の由来は、エクストリームの同名アルバムより。地方出身なので、都会の若者になめられないようにとのことだとか。
−2002年08月26日作成−
「新世紀エヴァンゲリオン」 セカンドインパクトにより人類の半数が死滅
(2000年)
「新世紀エヴァンゲリオン」 セカンドインパクトにより人類の半数が死滅『新世紀エヴァンゲリオン』の世界で発生した架空の大規模災害。2000年9月13日に発生。月が生成される時に起こった「ジャイアントインパクト」(=ファーストインパクト)次ぐ、全地球規模の危機をもたらした隕石の衝突による災害(公式発表によるもの。真実は……)。これを機に起きた紛争と合わせ、当時の世界人口の半数を死に至らしめた。なお、事件を最も近くで目撃した唯一の目撃者は葛城ミサト、またセカンドインパクトが起きたその時に生まれたのが渚カヲルである。
−2008年09月10日作成−
ロアルド・ダールが生まれた日
ロアルド・ダール / 1916年)
ロアルド・ダールが生まれた日作家・ロアルド・ダールがイギリス・ウェールズに生まれる。風刺の効いた児童文学を得意とし、多数のヒット作を生み出した。彼の書いた小説「チョコレート工場」は大ヒット映画『チャーリーとチョコレート工場』の原作として有名。意外にも丹波哲郎や浜美枝も出演した映画『007は二度死ぬ』の脚本を手掛けている。
−2007年08月28日作成−
ビートルズ365:ザック・スターキー生まれる。
ザ・ビートルズ / 1965年)
ビートルズ365:ザック・スターキー生まれる。テムズ川のほとりハマースミス区にある、クイーン・シャーロット病院にて、リンゴとモーリンの長男として生まれた。ザックという名は「力強そうで、これ以上縮められない名前を考えて」という理由からだった。リンゴは「ザックはドラマーにはさせない」と言っていたものの、現在はドラマーとして活躍中。96年からザ・フーのサポート・メンバーとして活動。97年から00年までライトニング・シーズ、00年からジョニー・マー+ザ・ヒーラーズでは正式メンバーとして(現在制作中の2ndアルバムに参加するかは不明)、04年から06年3月までオアシスのサポート・メンバーとして活動していた。
−2006年08月28日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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