9月24日

ダンディ坂野、「ゲッツだぜ!!」発売
ダンディ坂野 / 2003年)
お笑い芸人のダンディ坂野が、自身2枚目となるシングル「ゲッツだぜ!!」を発売した。苦難を重ね、前の年あたりから大ブレイク。この4ヶ月前にはデビュー曲「オー! ナイス ゲッツ!!」をインディーズでリリースしていたが、今度はなんとメジャーからの発売だった。曲はウルフルズの名曲「ガッツだぜ!!」の替え歌というベタなもので、周囲の反応はかなり冷淡。この後、予想通りと言っては失礼だが急激に人気が失速してしまいましたとさ。
−2006年08月28日作成−
ボビー・マクファーリンの「ドント・ウォリー〜」が全米1位
ボビー・マクファーリン / 1988年)
ボビー・マクファーリンの「ドント・ウォリー〜」が全米1位ボビー・マクファーリンが唄った「ドント・ウォリー・ビー・ハッピー」が全米シングル・チャートで1位に輝いた。口笛も印象的なこの曲は、初のア・カペラによる全米No.1ソングでもある。トム・クルーズ主演の映画『カクテル』に起用されたことでも知られており、サウンドトラック盤ともども大ヒット。グラミー賞を受賞、英国でもチャートの2位まで上がるヒットとなり、日本ではテレビやCMなどで頻繁に使用され、親しまれている。
−2007年08月28日作成−
不良少年ミック&キースが仲良く裁判傍聴
ブライアン・ジョーンズ / 1968年)
ミック・ジャガー&キース・リチャーズが揃ってブライアン・ジョーンズの麻薬所持の裁判を傍聴。ゴダールの映画『ワン・プラス・ワン』での力無い姿からもわかるように、ストーンズの退廃的イメージの象徴となってしまったブライアン。だがそのスライド・ギターの技術は突出しており、初期ストーンズの方向性は彼が定めたといっても過言ではない。キースに恋人を奪われ麻薬に溺れていったブライアンは、69年6月に音楽性の相違を理由にストーンズを脱退。翌月の3日に自宅のプールで溺死した。
−2000年08月28日作成−
自称“商業音楽家”KAN、誕生
KAN / 1962年)
自称“商業音楽家”KAN、誕生「愛は勝つ」で一世を風靡したKAN(本名・木村和)が、福岡県福岡市に生まれる。厳粛な家庭に育ったKANは、カトリック系の幼稚園に通い最初の音楽、賛美歌に触れる。クラシック・ピアノと野球を両立していた彼は、同時にロン毛&真赤なベルボトム・ジーンズを履くファッショナブルな小学生でもあったとか。法政大学合格とともに上京し、ビリー・ジョエルのコンサートを観て音楽の道を志す。大学卒業後に大林宣彦映画の音楽を担当し、90年、「愛は勝つ」の大ヒットで人気を獲得した。
−2001年08月24日作成−
“ジミ”だけど欠かせぬ存在、ミスチル・田原、誕生
田原健一(Mr.Children) / 1969年)
“ジミ”だけど欠かせぬ存在、ミスチル・田原、誕生ダウンタウンの浜田雅功にソックリな、Mr.Childrenのギタリスト、田原健一が福岡県に生まれる。高校時代、野球部に所属した田原は、野球は好きだが野球部がキライで、バットをギターに持ち替え、軽音楽部に入部。現メンバーの桜井和寿、中川敬輔とbeatnikを結成。高校卒業後、田原、中川と中学が一緒だった鈴木英哉を迎え、ミスチルの前身であるThe WALLSを結成した。野球好きな彼は、ミスチル野球チームの監督でもあり、ちなみにそのチーム名はジミケン。地味なケンが監督をしているチームだからだとか。
−2002年08月26日作成−
“もうけたぜー!”『つるピカハゲ丸くん』の原作者のむらしんぼが生まれる
(1955年)
1955年、『つるピカハゲ丸くん』としてTVアニメ化もされた人気漫画「つるピカハゲ丸」の原作者、のむらしんぼが北海道にて生まれる。学生時代、“島耕作”シリーズでおなじみ弘兼憲史に師事。1985年より小学館「コロコロコミック」にて4コマギャグ漫画「つるピカハゲ丸」の連載をスタート。強引すぎる節約術を用いたセコすぎるハゲ田一家の日常を描き、当時の小学生を中心に人気を博した。その“つるセコ”ぶりには、“エコ”が盛んに叫ばれる現在、注目に値する内容も多く含まれている。
−2008年09月22日作成−
映画監督、三隅研次逝く
三隅研次 / 1975年)
三隅研次が逝去。大映時代劇を支えた名監督。代表作は勝新太郎を主演に迎えた『座頭市』や『必殺仕掛人』シリーズなど。三島由紀夫原作の短編小説を映画化した『剣』、柴田錬三郎の原作を映画化した『斬る』『剣鬼』は「剣三部作」と呼ばれ、その美しい剣術さばきに重点を置いた演出と華麗な殺陣シーンはクエンティン・タランティーノやサム・ライミにも影響を与えたと言われている。
−2007年08月28日作成−
ビートルズ365:リンダ・イーストマン生まれる。
ザ・ビートルズ / 1941年)
ビートルズ365:リンダ・イーストマン生まれる。リンダ・ルイーズ・イーストマンはユダヤ系の弁護士の娘として生まれ、ニューヨーク郊外のウエストチェスターにある高級住宅街スカースデイルで裕福な幼少時代を過ごした。父リーはショー・ビジネス、とくに著作権問題を扱う弁護士であったため、リンダも多くの音楽家や画家と知り合いになったという。50年代にロックンロールを誕生のころから毎晩ラジオで聴いていたというリンダは、64年にビートルズが出演した『エド・サリヴァン・ショー』や、65年のシェア・スタジアム公演も観ているそうだ。リンダが18歳のとき、母ルイーズが飛行機事故で死去。このことでリンダは結婚を急ぎ、プリンストン大学の同級生ジョセフ・メルビル・シー・ジュニアと結婚。63年に娘ヘザーが誕生するが、わずか1年足らずで離婚した。ちなみに63年に発表されたジャン&ディーンの「リンダ」という曲は、リンダのことを歌った曲である。
−2006年08月28日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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