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10月16日
ヴェルヴェット・アンダーグランドで知られるニコ、誕生
(
ニコ
/ 1938年)
ロック・ファンには『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』に参加したことで知られる、ニコことクリスタ・パフゲンがドイツのケルンに生まれる。当時のドイツはナチス支配下にあり、過酷な幼少期を過ごしたらしい。15歳からショウビズの世界に入り、60年代以降は米国で人気モデルとして活躍。歌手・女優としても多数の作品を残している。マスコミを利用しつつもミステリアスな雰囲気を残す、独特の存在感のある女性だった。88年に死去。
−2006年09月28日作成−
HARCOこと青木慶則が誕生
(
HARCO
/ 1975年)
変名ソロ・ユニット、HARCOで活躍する青木慶則が、神奈川県に生まれる。もともとはドラマーとしてバンド活動を行なっており、HARCO名義での活動を開始したのは1997年のこと。キーボードやドラムをはじめ、マリンバなども演奏するマルチ・ミュージシャンでもある。そのどこか朴訥で優しげな歌声は、2000年代になると多くのCMで耳にすることに。2005年、スズキ「アルト」のCM曲「世界でいちばん頑張ってる君に」でブレイクする。
−2007年09月27日作成−
ファンキー・ジャズのパイオニア、アート・ブレイキーが死去
(
アート・ブレイキー
/ 1990年)
欧米はもちろん、日本にもファンキー・ジャズ・ブームを巻き起こしたジャズ・ドラマー、アート・ブレイキー死去。彼がリーダーとなったジャズ・メッセンジャーズは、1955年の結成からブレイキーが世を去るまで、常にトップ・バンドの位置を維持し、超名盤『モーニン/MOANIN’』などを生み出した。ブレイキーがこだわり続けたという、この〈ジャズ・メッセンジャーズ〉という名義。それは「メッセージが届いていない観客がいたら、それは俺たちの演奏に問題があるからさ」というブレイキーのエンターテイナーとしての志からのようだ。
−2000年09月26日作成−
元はイジメられっ子!? レッチリのフリー、誕生
(
フリー(レッドホットチリペッパーズ)
/ 1962年)
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト、フリーことマイケル・バルサリーがオーストラリアに生まれる。米ニューヨークに引っ越した彼は、独特の訛からイジメにあっていたが、メンバーのアンソニー・キーディスに出会うことで性格が180度転換。当時イカレ少年として名を馳せていたアンソニーと一緒に、他人の敷地内に入り込み雄叫びとともにプールに飛び込むなどは日常茶飯事だったとか。また、リバー・フェニックスとも親友だった彼は、リバーが病院に運ばれる時に付き添っていたという。
−2001年09月26日作成−
日本のジャズ・ヴォーカリストといえば、この人。阿川泰子、誕生
(
阿川泰子
/ 1951年)
ジャズ・ヴォーカリストの阿川泰子(本名:佐藤康子)、神奈川県鎌倉市に生まれる。洋画家の一人娘として育ち、高校卒業後上京、文学座研究生となる。そして、映画女優時代にクラリネット奏者鈴木章治と出会い、ジャズ・ボーカルを始め、'78年『ヤスコ・ラブ・バード』でデビュー。以来、日本の女性ジャズ・ボーカリストとしてオジサマたちのアイドルとなり、日本のフツーの人にジャズを広めた功績は小さくはない。
−2002年09月27日作成−
「ドラえもん」と『アルカノイド』を愛する、大山のぶ代が生まれる
(
大山のぶ代
/ 1936年)
1936年10月16日、声優/女優の大山のぶ代が東京に生まれる。『無敵超人ザンボット3』の神勝平役などでも知られるが、やはり有名なのは、国民的アニメ『ドラえもん』において、長年にわたり演じていた“ドラえもん”。その愛称の良さは、原作者の藤子・F・不二雄が「ドラえもんはこういう声をしてたんですね」と語ったというエピソードがあるほど。なお、ブロックくずしゲーム『アルカノイド』の高得点保持者としても有名。別宅には『アルカノイド』の筐体が置いてあるそうで、本人曰く「プレイしていなくてもBGMを聴くために電源を入れておく」とのこと。
−2008年10月15日作成−
市川崑監督の傑作『犬神家の一族』が公開
(
石坂浩二
/ 1976年)
市川崑監督自らが30年ぶりにリメイクしたことでも話題を呼んだ『犬神家の一族』。そのオリジナル劇場版が公開される。原作は横溝正史の長編推理小説で、石坂浩二が(リメイク版も含め)金田一耕助を熱演。空前の大ヒットを記録した“日本ミステリー映画の金字塔”とも称される傑作で、今も多くの人々から愛され続けている。
−2007年09月28日作成−
ビートルズ365:「デイ・トリッパー」レコーディング。
(
ザ・ビートルズ
/ 1965年)
EMI第2スタジオで、午後2時30分から7時まで「デイ・トリッパー」のリズム・トラックのリハーサルとレコーディングを行ない、唯一最後まで演奏したテイク3を最終テイクとした。午後7時から24時までのセッションで、ジョンとポールによるリード・ヴォーカルとバック・ヴォーカルをオーヴァーダビングして完成。ジョンとポールは66年のインタビューで「シングル曲の必要にせまられてむりやり書いた曲だった」と発言しているが、この曲はジョンが初めて意図的にスラングを盛り込んだ1曲でもあった。また、この日は午前0時になろうという頃、ジョージの新曲「恋をするなら」のベーシック・トラックを1テイク録音。ヴォーカルと他の楽器のオーヴァーダビングは翌日へと持ち越された。
−2006年09月28日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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