11月30日

D.パープルのロジャー・グローヴァーが誕生
ロジャー・グローヴァー / 1945年)
D.パープルのロジャー・グローヴァーが誕生ディープ・パープルのベーシスト、ロジャー・グローヴァーが南ウェールズに生まれる。60年代前半からエピソード・シックスで活動し、69年にパープルに引き抜かれるが、これはイアン・ギランの“バーター”だったらしい。とはいえ、バンドではプロデューサーとしても活躍し、パープルを離れたリッチー・ブラックモアのレインボーにも参加するなど、何かと重要なポジションにいる。普段から赤ら顔で、日本のファンの間では“赤鬼”と呼ばれることも。
−2006年10月30日作成−
ビリー・アイドルが誕生
ビリー・アイドル / 1955年)
ビリー・アイドルが誕生ロック・シンガーのビリー・アイドルが英国に生まれる。本名はウィリアム・ブロード。幼少期の4年間を米ニューヨークで過ごした後、英国へと舞い戻り、サセックスで育った。なんでも、勉強の良く出来た子どもだったそうだが、大学受験に必要な単位を取れずに転校。その頃からパンクに目覚め、セックス・ピストルズの親衛隊にまでなる。ジェネレーションXでデビューして以降、時代に即した活動ぶりで常に注目を浴びるカリスマ的存在だ。
−2007年10月30日作成−
渡辺美里が初の東京ドーム公演
渡辺美里 / 1989年)
渡辺美里が初の東京ドーム公演渡辺美里、東京ドーム初公演。10歳のとき歌手になることを決意した彼女は、1986年の「My Revolution」で大ブレイク。同年8月8日に初めて西武球場でコンサートを行ない、以降、2005年まで毎年西武球場公演を続けた。同会場でのコンサートはソロの女性アーティストでは日本初、史上最年少だった(ちなみにその後の記録保持者は安室奈美恵)。デビュー15周年の2000年には、シドニー・オリンピックで田村亮子選手に応援歌「荒ぶる胸のシンバル鳴らせ」をプレゼント。衰え知らずのソウルフル京都娘である。
−2000年10月30日作成−
『プロジェクトX』でもお馴染み、田口トモロヲが誕生
田口トモロヲ / 1957年)
NHK『プロジェクトX』のナレーションも好評だった、伝説のパンクバンド・ばちかぶりのVo.田口トモロヲ、東京に生まれる。'84年トモロヲを中心に結成されたバンド・ばちかぶりは、ケラ、町田町蔵ら多数のゲストを迎えてアルバム『ばちかぶり』をナゴムレコードから発売(ジャケットは蛭子能収)。その後メンバーチェンジを繰り返し'90年『音楽芸者』でメジャーデビューを果たす。同アルバム内の「産業」という歌には“ウンコ”を食べたら云々…というくだりが。トモロヲ氏、ライヴでほんとにやったとかやらないとか……。
−2001年10月24日作成−
獣神サンダー・ライガー(?)の誕生日
獣神サンダー・ライガー / 1964年)
獣神サンダー・ライガー(?)の誕生日人気覆面レスラー“獣神サンダー・ライガー”の正体、と言われているプロレスラーの山田恵一が1964年、広島県に生まれる。“獣神サンダー・ライガー”は1989年、永井 豪の同名漫画を原作とするTVアニメ・シリーズ『獣神ライガー』のタイアップ・レスラーとして登場。TVアニメの物語進行と連動し、“ライガー”→“ファイアー・ライガー”→“サンダー・ライガー”とその姿を変貌させていった。アニメ放映終了後も名前を変えず第一線のレスラーとして活躍。日本を代表するマスクマンの1人となった。
−2008年11月26日作成−
監督・製作・脚本・出演もこなす売れっ子、ベン・スティラーが生まれる。
ベン・スティラー / 1965年)
監督・製作・脚本・出演もこなす売れっ子、ベン・スティラーが生まれる。役者として『メリーに首ったけ』『ミート・ザ・ペアレンツ』『ナイト ミュージアム』などのヒット映画に出演し、また『リアリティ・バイツ』『ズーランダー』などの話題作の監督も手がけた、ベン・スティラーが生まれる。両親ともに喜劇俳優という家庭に育った彼が脚光を浴びたのは、とあるパロディ短編が『サタデー・ナイト・ライブ』で放映されたのがキッカケ。90年にはMTVで冠番組が始まり、その後、映画への出演⇒大ヒットと歩んでいく。
−2007年11月02日作成−
ビートルズ365:ビートルズ、ハンブルクから国外追放処分を受ける。
ザ・ビートルズ / 1960年)
ビートルズ365:ビートルズ、ハンブルクから国外追放処分を受ける。ビートルズは出演していたカイザーケラーよりランクが上のトップ・テン・クラブへの出演が決まった。そこでポールとピートは荷物を取りに戻り、見つけたコンドームを廊下の壁に打たれた釘に刺してライターで火をつけた(理由には灯りの代わりにしたなどのいくつかの説があり)。このことをカイザーケラーのオーナーのブルーノ・コシュミダーが警察に通報。彼らはトップ・テン・クラブへと向かったが、200ヤードほど進んだところで二人の警官によって、警察署に連れていかれ留置所に閉じ込められた。オーナーはこの事件のついでにジョージが未成年であることまで当局に報告。結果、国外追放処分となってしまった。この一件はオーナーがビートルズのトップ・テン・クラブへの出演を快く思っていなかったことが原因でもあった。
−2006年10月30日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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