12月13日

ワイルドなアメリカン・ロッカー、テッド・ニュージェントが誕生
テッド・ニュージェント / 1948年)
ワイルドなアメリカン・ロッカー、テッド・ニュージェントが誕生“ゴンゾ”ことテッド・ニュージェントが米国デトロイトに生まれる。幼い頃からロックに興味を持ち、ギターを手にしたという。60年代に入ると自らのバンドを結成、下積みを経て60年代後半にアンボイ・デュークスで成功を収めた。その後のソロ活動ではワイルドなロックンローラーぶりを遺憾なく発揮、出身地が自動車産業が盛んなこともあり、“モーター・シティ・マッドマン”と呼ばれることもある。イメージそのままに、趣味はハンティング。
−2006年11月28日作成−
エヴァネッセンスのエイミー・リーが誕生
エヴァネッセンス / 1981年)
エヴァネッセンスのエイミー・リーが誕生エヴァネッセンスの象徴ともいうべき女性シンガー、エイミー・リーが米国カリフォルニアに生まれる。DJやテレビのパーソナリティとして活躍した父親を持つ。幼い頃から9年にわたってピアノを習い、合唱隊にも在籍。モーツァルトからビョークまで、さまざまな音楽から影響を受けた。中学生の頃に出会ったベン・ムーディとエヴァネッセンスを結成し、メジャー・デビュー以降は破竹の快進撃。ゴシカルで深遠な世界観は、彼女なくしては成り立たない。
−2007年11月28日作成−
X JAPANなどで活躍、hide誕生
hide / 1964年)
X JAPANなどで活躍、hide誕生2000年7月20日、地元・横須賀にミュージアムが作られ話題となった、元X JAPANのhideこと松本秀人生まれる。X JAPANに入る前、hideはこの横須賀で「ヨコスカ サーベル タイガー」なるバンドで活動。バンドのチラシなども担当していた彼は、まだ〈ビジュアル系〉という言葉が一般的でなかったが当時から、〈ビジュアル〉という言葉を用いて宣伝活動をしていたという。その頃はミュージシャン兼美容師としても働いており、働いていた母親の店「美容室ミドリ」で、時折メンバーの髪の毛もいじっていたとか。
−2000年11月29日作成−
織田裕二が誕生
織田裕二 / 1967年)
織田裕二が神奈川県川崎市に生まれる。名門・桐蔭学園で小学校から高校まで過ごした織田は、「メンズ・ノンノ」のモデルを経て1987年に映画『湘南爆走族』でデビュー。ドラマや映画を中心に活躍する「高視聴率ヒット」男、裕二のCDデビューは1987年の「Boom Boom Boom」。その後も、マキシ・プリーストと共演した「Love Somebody」や、2004年末のWham! の名曲カヴァー「LAST CHRISTMAS」など、キャラクターの印象どおり、やや過剰な情熱あふれるヒット曲をリリースし続けている。
−2001年11月26日作成−
ジュディマリの生みの親、恩田快人、誕生
恩田快人(元JUDY AND MARY) / 1963年)
ジュディマリの生みの親、恩田快人、誕生JUDY AND MARYのリーダー・恩田快人、神戸市に生まれる。中2のときエレキを手にし、高校でさまざまなバンド活動をへて、'85年プレゼンスのメンバーとしてデビュー。その後、ジャクスン・ジョーカーに加入し、映画『いつかギラギラする日』に出演した際、エキストラだったYUKIと出会う。そして、YUKIが自分の作っていた曲のイメージにぴったりだと気付き、ジュディマリを結成。「そばかす」をはじめ、JAM初期〜中期のヒット曲はほとんど恩田の作った曲である。
−2002年11月25日作成−
自称ギャンブラー、声優・石川英郎が生まれる
石川英郎 / 1969年)
自称ギャンブラー、声優・石川英郎が生まれる1969年12月13日、声優の石川英郎が兵庫県で生まれる。青二プロダクション所属。代表作は『SLAM DUNK』の福田吉兆、『NARUTO -ナルト-』の“うちはイタチ”、『ONE PIECE』のフルボディ、『ファイナルファンタジーX』のアーロンなど。アニメやゲームのみならず、『¥マネーの虎』ほかのTV番組でナレーションを務めている。また、その活動は“声”だけに留まらず、ロック・バンド、AN's ALL STARSのメンバーとして音楽活動も行なっている。なお、大のギャンブル好きで、パチスロ、パチンコ、麻雀が趣味らしい。
−2008年12月11日作成−
バター茶ってどんな味!?『セブン・イヤーズ・イン・チベット』日本公開
ブラッド・ピット / 1997年)
バター茶ってどんな味!?『セブン・イヤーズ・イン・チベット』日本公開ブラッド・ピットが主演し、若き日のダライ・ラマ14世と伝説の登山家ハインリヒ・ハラーの交流を描いた、実話に基づいた映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』が日本で公開。チベットで人々に飲まれている“バター茶”を酌み交わす別れのシーンは秀逸。また、ダライ・ラマ14世はマーティン・スコセッシの手でその半生が『クンドゥン』として映画化されている。
−2007年11月30日作成−
ビートルズ365:ビートルズ、主演映画のミーティングを行なう。
ザ・ビートルズ / 1965年)
ビートルズ365:ビートルズ、主演映画のミーティングを行なう。ツアーを終えてロンドンに戻ったジョン、ポール、ジョージの3人は、主演映画第3作目として予定されていた『ア・タレント・フォー・ラヴィング』についての話し合いをブライアン・エプスタインと行なった。この話し合いで、ブライアンが権利をすでに買っていたリチャード・コンドンによる『ア・タレント・フォー・ラヴィング』の脚本が停滞しているため、メンバーは映画に反対。結果、映画の制作中止が決定した。
−2006年11月28日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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