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1月7日
昭和の喜劇王、エノケンが死去
(
榎本健一
/ 1970年)
戦前から活躍した喜劇俳優、榎本健一が死去した。享年65。死因は肝硬変だった。第二次世界大戦を挟み、激動の時代の中で庶民に娯楽を与え続けた偉人であり、“エノケン”の愛称で愛された。植木等や萩本欽一など、後続に与えた影響は計り知れない。晩年には病気で右足を失うという悲劇に見舞われながら、後進の育成にも邁進。舞台での歌唱曲などを集めたCDは多数リリースされており、その伸びのある声は死から何年経とうとも魅力的だ。
−2006年12月26日作成−
ラリー・ウィリアムスが死去
(
ラリー・ウィリアムス
/ 1980年)
あのジョン・レノンが多大なる影響を受けたロックンローラー、ラリー・ウィリアムスが死去。44歳という若さだった。米国ロサンゼルスの自宅で銃弾に倒れているのが発見され、当初は自殺と考えられていた。が、状況が不自然なことから、事件の可能性も言及される。しかしその後も犯人の逮捕どころか容疑者も浮かばず、謎の死となってしまった。ビートルズもカヴァーした「ディジー・ミス・リジー」「スロウ・ダウン」など、名曲を残した偉大な男である。
−2007年12月18日作成−
Gackt、MALICE MIZERを脱退
(
Gackt
/ 1999年)
ヴォーカリスト、GacktがMALICE MIZER(マリスミゼル)を脱退。“少女漫画を立体的に表現する”というコンセプトで始められたMALICE MIZER。2代目ヴォーカルを探していたMana(g)は、Gacktの低音ヴォイスに惚れ込み加入を決定。95年の「華麗なる復活劇」で新生マリスは走り出す。「月下の夜想曲」、「ILLUMINATI」といった楽曲重視のヒット曲を立て続けにリリースしていた矢先のGackt脱退、さらにKami(ds)の急逝と受難が続いた。しばらくは新メンバーでの活動を続けたが、2001年末に活動停止を発表。
−2000年12月22日作成−
死の道を選んでしまったHERO……沖田浩之、誕生
(
沖田浩之
/ 1963年)
'99年の3月に首吊り自殺を図り、多くのファンを嘆かせた歌手・役者の沖田浩之、神奈川県川崎市に生まれる。竹の子族時代にスカウトされ、'80年『三年B組金八先生』で役者デビュー。高校卒業と同時に、'81年「E気持」で歌手デビューも果たす。作詞・阿木燿子、作曲・筒見京平のゴールデンコンビによる同曲は、青山学院大学入学が決定していた沖田に合わせて、テーマはキャンパスラブ。新御三家以来の「大物男性アイドル登場」と騒がれ、レコ大新人賞も獲得。順風満帆なすべり出しだったのにね……ヒロくん。
−2001年12月25日作成−
ケニー・ロギンスが誕生
(
ケニー・ロギンス
/ 1948年)
'80年代のアメリカンロックを象徴するケニー・ロギンスが生まれる。'71年のヒット曲「プー横町の家」の作曲を手がけ、翌年から「ロギンス&メッシーナ」としてデュオで活動を開始。「ママはダンスを踊らない」「マイ・ミュ−ジック」などをリリースし、'77年からソロ活動をスタートする。そして、'82年の映画『フットルース』の主題歌を依頼された彼は、映画製作にも立ち会い世界的なヒットを記録する名盤を生み出すことになる。映画『トップガン』の主題歌も、作品とともにヒットを記録した。
−2002年12月25日作成−
TVアニメ『幽☆遊☆白書』放送終了
(
冨樫義博
/ 1995年)
1995年1月7日、最高視聴率24.7%を誇った人気アニメ『幽☆遊☆白書』の放送が終了。92年10月10日の放送開始から全112話がフジテレビ系で放送された。原作は冨樫義博の同名漫画。交通事故で死んでしまった主人公が生き返る条件として“霊界探偵”となり、人知れず数々の難事件に立ち向かっていく物語。アニメ版では描かれなかった部分もあるが、反対に原作では描かれなかった魔界統一トーナメント編のバトルシーンが追加されていた。放送終了から10年以上の月日を経た現在もなお、高い人気を保ち続ける作品。
−2009年01月01日作成−
コッポラ監督の甥とは言わないで!ニコラス・ケイジが生まれる
(
ニコラス・ケイジ
/ 1964年)
オスカー受賞経験もある俳優のニコラス・ケイジが生まれる。本名はニコラス・コッポラ。フランシス・フォード・コッポラ監督の甥にあたるのだが、コッポラ監督と関連付けられるのを避けるため、あえて“ケイジ”と名乗っている。自らを“コミック・オタク”と言い切るアメコミ好きで、『ゴーストライダー』の実写版では念願のダークヒーローを熱演していた。なお、一時、エルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと結婚(2004年離婚)。
−2008年01月07日作成−
ビートルズ365:ポールが死亡したというニュースがロンドンに広まる。
(
ザ・ビートルズ
/ 1967年)
ポールが自動車事故で死亡というニュースが67年1月7日にロンドンで広まった。69年にはイリノイ大学で発行された学生新聞『ノーザン・スター』でポール死亡説が大々的に取り上げられ、『アビイ・ロード』や『サージェント・ペパーズ・・・』のジャケットや「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」や「レボリューション9」などのなかにポールが死んだことを意味するメッセージが隠されていると、いくつもの例を挙げた。それに対して、ポールはライフ誌の取材に応じ、コメントを発表したことで、この死亡説も終わりを告げた。
−2006年03月08日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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