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1月12日
“スポーティ・スパイス”ことメラニーCが誕生
(
メラニーC
/ 1974年)
女性アイドル・グループ、スパイス・ガールズの“スポーティ・スパイス”として活躍したメラニーCが、英国に生まれる。もともとセッション・シンガーやダンサーとしての活動を行なっており、オーディションによってスパイス・ガールズに参加したのは94年のこと。96年にデビューした後はアイドル的な人気を獲得、本国のみならず日米でも活躍した。99年のソロ・デビュー後もヒット作を世に送り出し、ひとりのシンガーとしても高い評価を得ている。
−2006年12月26日作成−
RATMのザック・デ・ラ・ロッチャが誕生
(
ザック・デ・ラ・ロッチャ
/ 1970年)
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのシンガー、ザック・デ・ラ・ロッチャが米国カリフォルニアに生まれる。父親はメキシコ系で、ヒスパニック系社会派アーティスト集団“Los Four”の一員として知られる。母親も反戦を唱えており、政治的な環境に育った。当然のことながら彼もそのような社会的・政治的な思想からは強い影響を受けており、それはRATMの歌詞にもよく現れている。トム・モレロ(g)とともにバンドの方向性を決定づけた重要人物だ。
−2007年12月18日作成−
ムッシュかまやつが誕生
(
ムッシュかまやつ
/ 1939年)
学生時代にバンドを組んでから、いつの時代も音楽のフィールドで活躍し続ける、ムッシュかまやつことかまやつひろし、東京都に生まれる。50年代はロカビリー、60年代はグループサウンズ、70年代はニューミュージック、そして80年代のバンドブームでは若手バンドマン達とのセッション、90年代には渋谷系のアーティストの間で再評価されるなど、どの時代ででも〈音楽にムッシュあり〉。ちなみに、'99年の還暦パーティーは実行委員長をユーミンが務め、そのほか井上陽水、吉田拓郎など超豪華なメンバーが顔をそろえたという。おそるべし、かまやつパワー。
−2001年12月25日作成−
レッド・ツェッペリンの1stが米国発売
(
レッド・ツェッペリン
/ 1969年)
ニューヤードバーズのジミー・ペイジが'68年にバンド名を「レッド・ツェッペリン」に改名し、1stアルバム『レッド・ツェッペリン』を米国でリリースする。記念すべき初アルバムは、そのスケールの大きさから一世を風靡。ブルース、ロック、インド音楽……と変幻自在に楽曲を演じる彼らは、日本ではディープ・パープルとともに「ハード・ロックの二大巨頭」と称された。71年に発売された4thに収録された「天国への階段」は、故カラヤンをして「これ以上手を加えようのない名曲」と言わしめるなど、いやはや、伝説です。
−2002年12月25日作成−
『スラムダンク』漫画家・井上雄彦、誕生
(
井上雄彦
/ 1967年)
1967年1月12日、漫画家の井上雄彦が鹿児島県に生まれる。デビューは88年手塚賞入選の『楓パープル』。その後、90年より「週刊少年ジャンプ」にて『スラムダンク』の連載を開始する。同作は、現在までに単行本の発行部数が1億冊を突破、連載終了から10年以上を経た今もなお読者に支持され続けるバスケ漫画の金字塔的作品だ。なお、93年にはアニメ化もされている。その他、吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とした『バガボンド』、車椅子バスケットボールの世界を描いた『リアル』なども話題。
−2009年01月05日作成−
“Daisy, Daisy...”HAL9000の誕生日
(
スタンリー・キューブリック
/ 1992年)
映画史において燦然と輝き続ける名作『2001年宇宙の旅』に登場する、探査船ディスカバリーに搭載されたコンピュータ、通称“ハル”の誕生日(とされている日)。劇中でハルは、2つの指令の間で論理矛盾に陥り乗員の排除を開始。ボーマン船長(HAL9000による呼び名は“デイヴ”)の手によりボードを抜かれ停止する。その際の2人(1人と1台)のやりとり、ハルが「Daisy Bell」を歌う場面は正に名シーンと呼ぶにふさわしい。
−2008年01月08日作成−
ビートルズ365:ATV『バル・パーネルズ・サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム』に出演。
(
ザ・ビートルズ
/ 1964年)
好評を博した63年10月13日の初出演に続き、ATV『バル・パーネルズ・サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム』に2度目の出演。共演はアルマ・コーガン、コメディアンのデイヴ・アレン。午後8時25分から1時間の生放送では、ビートルズはメインとして出演。お笑いコーナーにも登場し、番組最後に「抱きしめたい」「オール・マイ・ラヴィング」「マネー」など計5曲を演奏した。このときの出演料は1000ポンド。初登場時の4倍の額にまで跳ね上がった。
−2006年03月08日作成−
※ 掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。
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