アントニオ猪木 2023/10/03掲載(Last Update:24/01/19 17:58)
2022年10月1日に79歳で惜しまれつつこの世を去った
アントニオ猪木 。日本を代表するプロレスラーにして実業家、政治家としてリングの内外で伝説的なエピソードを数々残してきました。偉人、カリスマ、挑戦者、変人、異端児、最強、英雄……果たして巨星・アントニオ猪木とは一体どんな人物だったのか?そして我々にとって、アントニオ猪木とはいかなる“存在”だったのか?新日本プロレス創立50周年を記念し製作されたドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』が10月6日(金)よりギャガ配給で全国ロードショー。このたび、映画冒頭の映像が公開されています。
「元気ですか!?」「馬鹿になれ!」、誰もが一度は耳にしたことのあるアントニオ猪木の発した[言葉]の数々を切り口に“挑み続けた男・アントニオ猪木”の真の姿に迫っていくドキュメンタリー映画である本作は豪華出演者も話題となっています。現在新日本プロレスのリングで壮絶な闘いを繰り広げている
棚橋弘至 、
オカダ・カズチカ 、
海野翔太 。彼らにとって伝説のプロレスラー・アントニオ猪木とは一体どんな存在なのか?同じく新日本プロレスの
田口隆祐 と
後藤洋央紀 は短編映画に俳優として出演し、猪木の弟子でもあり、共にプロレスの一時代を築き上げた
藤波辰爾 、
藤原喜明 は真の猪木像を証言します。プロレス界以外からも、
くりぃむしちゅー の
有田哲平 、講談師・
神田伯山 、俳優・
安田顕 、写真家・原悦生など錚々たる面子が出演。さらに、ナレーション・主題歌を
福山雅治 が務め、猪木の入場テーマ曲「炎のファイター」を「炎のファイター〜Carry on the fighting spirit〜」としてプロデュースし、映画に令和の“闘魂”を注入しました。
今回公開となったのは映画冒頭の映像で、猪木が“アントニオ猪木”になる前のブラジル時代を知る男の貴重な証言インタビュー映像。アントニオ猪木こと、猪木寛至は1943年2月20日に神奈川県横浜市鶴見区で産声を上げました。家庭の経済状況が悪化したことがきっかけとなり、14歳の時に家族と共にブラジルに渡航し、サンパウロ市近郊のコーヒー農場で少年時代を過ごします。1年半の労働契約を終えた猪木家はコーヒー農園で蓄えた資金を元手に近くの土地に家と畑を借り、別の農業で成功を収めます。一方で、陸上競技選手として1958年、1959年の全伯(全ブラジル)陸上競技選手権少年の部に出場した猪木は、砲丸(投げ)、円盤(投げ)の二種目で優勝するなど活躍。その際、ブラジル遠征中だった日本プロレス界の父こと、力道山の目に留まり、直接のスカウトを受けて1960年に帰国し、プロレスラー・デビュー。以降、同期の
ジャイアント馬場 らとしのぎを削り、リングネームを“アントニオ猪木”に改名。その圧倒的なカリスマ性で、リング内外で多くの伝説を残すことになります。
今回の映像ではそんな猪木が16歳頃にサンパウロ中央市場や青果市場(kinjo yamato)でトラックから青果類を荷降ろす仕事をしていた様子を目撃していたという、日系2世の内間政次氏(89歳)の証言インタビュー。同時期に青果市場(kinjo yamato)で卸業を営んでいた内間は「まるで映画のストーリーのようだ。ブラジルの市場で働いていた担ぎ屋の男が世界チャンピオンになったんだから。ファンタステックとしか言いようがない」と興奮気味に笑顔で回顧。そんな内間から私たちの知らない“アントニオ猪木”になる前の猪木がどんな人物だったのか、そしてどんな証言が飛び出すのか、猪木ファンならずとも気になる内容となっています。またナレーションを担当する福山雅治が、猪木の波乱万丈の人生を落ち着いたトーンで、時に優しく時に熱く、見る者の心のひだに触れてくるように語りかける本作をご覧になりながら、あなたも“アントニオ猪木をさがして”みてはいかがでしょうか?
また、映画『アントニオ猪木をさがして』の公開を記念して、新日本プロレス旗揚げ記念日ステッカーが10月6日(金)から3週連続の期間限定で入場者プレゼントとして全国の映画館で配布されます。是非この機会に劇場に足を運び、ここでしか手に入らないスペシャル・グッズを手に入れてください。
VIDEO
©2023 映画「アントニオ猪木をさがして」製作委員会