スペクトラムが、1980年に発表したシングル「
F・L・Y」のストリーミング再生回数が1,500万回超え、TikTok総再生回数13億回超え(3月6日現在)、Billboard JAPAN“Japan Songs(US)”第5位ランクインと、快進撃が続いています。これを受けて、
新田一郎(元スペクトラム / トランペット・ボーカル)からコメントが届きました。
ゲームやアニメを紹介する動画のBGMに使われたことで、海外でのサブスク、YouTube等の再生回数が急上昇し、右肩上がりに数字が伸びている「F・L・Y」。そもそも、事の発端は、アメリカのJira☆やThe Honoured Oneといった日本のアニメ・ゲームといったカルチャーを紹介するインフルエンサーが使用したことにより、ミーム化したこと。現在ではアニメ・ゲームの紹介にとどまらず、好きなアーティストや実際にサックスやトランペットでの演奏動画にも楽曲の使用は波及しています。
その中で、各種ストリーミングサービスにおけるバズが起き始めた昨年12月。当初、総再生回数が300万回ほどだったが、2ヵ月で1000万回増加し、現在では1,500万回を突破。さらに、TikTokで当楽曲を使用した動画の総再生回数も13億回を超えることとなりました。
そして、2月20日発表されたBillboard JAPAN“Japan Songs(US)”(集計期間:2025年2月7日〜2025年2月13日)では、「F・L・Y」が第5位にランクイン。アメリカ以外の国でも続々とチャートインしており、全世界的ブームに拡大しつつあります(イギリス14位、南アフリカ9位、ブラジル12位…)。
また、Spotifyのヴァイラルチャート(Viral 50)でも、グローバル(47位)アメリカ(19位)、タイ(37位)、カザフスタン(18位)、ペルー(11位)、チリ(17位)、エクアドル(18位)、サウジアラビア(42位)、ウクライナ(49位)、フィリピン(30位)、ベトナム(21位)、ボリビア(7位)、エルサルバドル(34位)、パナマ(32位)、韓国(21位)、グアテマラ(19位)、アルゼンチン(18位)と、各国でチャートインしている状況が続いています。
※()内数字は最高順位 2月25日現在 これを受けて、新田一郎はスペクトラムの結成当時にも触れながら、以下のようにコメントしています。
『1980年当時、音楽業界からは「登場が早すぎる」「日本人には8ビートしかウケない」同業者からは「トランペッターが歌って踊るなんて邪道」と賛否両論あったバンドでしたが、本当に45年早かったようです。(笑)今、世界の人々に聴かれている事は純粋に嬉しく思っていますが、誰よりも、今でも好きでいてくれる日本のファンのみんなが一番喜んでくれているのではないかと思うと、何よりもそれを一番嬉しく思います』
1970年代中半の日本の音楽シーンでは
上田正樹や
金子マリなどソウル、ブルース、R&Bなどのブラック・ミュージックをベースにしたバンドがマニアックな音楽ファンの支持を集めていたものの、一般的には浸透しておらず、まだまだ歌謡曲やアイドル全盛の時代。 新田一郎は、歌謡曲やアイドルを聴いてきた一般大衆をターゲットにテレビやラジオなどのメディアを通じて、メジャーという土俵でスペクトラムのような音楽性を一般的に受け入れられることを目指し、スペクトラムを結成。その結果、1st LP『
スペクトラム』がオリコンのベスト100に入り、グループのコンセプトが正しかったことを早くも証明。そして、2ndシングル「
イン・ザ・スペース」が、松下電器テクニクスのステレオのCMソングに起用されたほか、派手なコスチュームをまとってCFにも出演し、お茶の間にまで浸透。そして“イン・ザ・スペース”はチャートにランクインしました。
スペクトラムは、当初、日本初の管楽器だけのユニット“ホーン・スペクトラム”として結成。新田一郎が中心となり、ホーンアレンジも演奏も振り付けもやってしまうという唯一無二のホーンセクションとして組まれ、
沢田研二や
サザンオールスターズをはじめ、数多くのアーティストのレコーディングやライヴに引っ張りだこに。サザンオールスターズのレコーディングには、デビュー曲の「
勝手にシンドバッド」以来、
KUWATA BANDの「スキップピート」なども含め、数多くのシングル・アルバムにホーンアレンジ及び、演奏で参加しています。しかし、バンドがやりたいと思っていた新田は、当時の所属プロダクション「アミューズ」で、その機会を狙っており、同じ「アミューズ」所属のサザンオールスターズがデビューして、大成功を収めた年の暮、“ホーン・スペクトラム”の主要メンバー、新田一郎、
兼崎順一、それにベースの
渡辺直樹が一緒になってデモテープを制作。そこへ、1979年春、当時、
原田真二バンドにいたトロンボーンの吉田俊之、
キャンディーズのバックバンド、MMPにいたギターの
西慎嗣、
浜田省吾の後釜として“
愛奴”にいたドラムの岡本郭郎、
郷ひろみをはじめ、幾多のバックをやっていたキーボードの
奥慶一、まだ学生だったパーカッションの今野拓郎の5人が参加して8名の“スペクトラム”が誕生しました。