バックストリート・ボーイズのニック・カーターが誕生
バックストリート・ボーイズでの活動で知られるニック・カーターが、米国ニューヨークに生まれる。弟にシンガーのアーロン・カーターがいる。子どもの頃は数々のタレント・ショーに出演、CMなどでも活躍していた。92年、バックストリート・ボーイズに最年少メンバーとして参加。この時、彼は12歳だった。その後、90年代を通して世界中でアイドル的な人気を博し、2002年にソロ・デビュー。甘いルックスと力強い歌声で、女性ファンのハートを掴む伊達男だ。
−2006年12月26日作成−
ケミストリーの川畑要が誕生
ケミストリーの川畑要が東京都葛飾区に生まれる。歌手になる前はアルバイトで生計を立てていたといい、デビュー直前の職場は建築会社。なんでも、東京ディズニーランドにあるアトラクションの工事にも関わったらしい。テレビ東京系『ASAYAN』でのオーディション参加後の活躍は誰もが知るところであり、堂珍嘉邦とのハーモニーで多くのファンを魅了している。一時期は耳から“提げた”サングラスがトレードマークだったことも。
−2007年12月18日作成−
USA・フォー・アフリカがレコーディング
アフリカ難民の飢餓救済という目的のもと、アメリカを代表するビッグ・アーティストがUSA・フォー・アフリカを結成、レコーディングを行なった。当時「スリラー」で絶好調のマイケル・ジャクソンと、コモドアーズ脱退後ソロで人気爆発していたライオネル・リッチー共作の曲の名は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」。その他ダイアナ・ロス、ビリー・ジョエルなど豪華な顔ぶれで、初回売上げだけで6,500万ドルだったという。
−2000年12月22日作成−
モー娘。がメジャー・デビュー
モーニング娘。のデビュー・シングル「モーニングコーヒー」が発売。オリコン初登場6位を記録。デビュー前からインディーズCD「愛の種」を5日間で5万枚売り切る事を条件にされていた彼女たちだが、ここでもまた“怒濤のデビュー曲争奪戦”という至難が待っていた。それは、メジャー・デビュー候補曲3曲を5人がそれぞれ歌い、誰がメイン・ヴォーカルを取るかを決めるというもの。結局この「モーニングコーヒー」はその権利を安倍なつみが獲得した。競争心を煽らせる仕掛けは、この頃からずっと続けられているのですね〜。
−2001年12月25日作成−
マルチなカナディアン才女、サラ・マクラクラン誕生
女性シンガーばかりを集めた人気ライヴ・イベント『リリス・フェア』の提唱者、サラ・マクラクラン、カナダに生まれる。7歳でギター、11歳でピアノ、そして15歳の時にはクラシックの声楽や発声法を勉強。17歳の頃にすでにレコード会社からのオファーがあったが、デザインの勉強のため進学。しかし'88年にアルバム『タッチ』でデビューした。当初より卓越したソングライティングで高い評価を得ていたものの、ヒットが意外なほど少なく、全米第2位となった'97年の『サーフィシング』で確固たる地位を気付いた。
−2002年12月25日作成−
日本屈指のアニメーター、森 康二の誕生日
(1925年)
1925年、アニメーターの森 康二が鳥取県に生まれる。日本アニメーション技術の土台を築き上げ、後進の育成にも多大な貢献を果たした偉大なアニメーター。彼の存在なくては、世界に誇る“アニメ大国”は成し得なかったであろう。主に児童向け作品を手がけ、初期の『白蛇伝』から晩年の『ちびまる子ちゃん』まで、携わった作品はすべて未来への希望に満ちている。
−2009年01月22日作成−
スクリーン・デビューは『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、イライジャ・ウッドが生まれる
1989年『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』にてデビュー後、子役として活躍。『ロード・オブ・ザ・リング』にて主役であるフロド・バギンズを演じ、トップ・スターの仲間入りを果たしたイライジャ・ウッドが生まれる。『エターナル・サンシャイン』(2004年)、『シン・シティ Sin City』(2005年)、『フーリガン』(2005年)、『僕の大事なコレクション』(2005年)……と、多彩な役柄を演じ、早くも実力派としてのキャリアを築いている。レコード・レーベル“Simian Records”のオーナーとしても知られ、Heloise and the Savoir FaireやThe Apples in Stereoをリリース。
−2008年01月07日作成−
ビートルズ365:映画『ハード・デイズ・ナイト』のニュープリント&リマスタリング版初公開。
映画『ハード・デイズ・ナイト』のニュープリント&リマスタリング版初公開。日本は米国に続いて世界で2番目の公開となり、2001年3月31日からロードショー公開された。オリジナル・モノ音声を忠実に再現したデジタル・リマスターにより、音のバランスも格段と良くなり、ドルビー・デジタル5.1チャンネルに再編集されている。映像もオリジナル・フィルムまでさかのぼりネガを完全修復、デジタル処理によって見事に甦った。82年のニュープリント作成の際、冒頭に追加された「ぼくが泣く」は削除された。
−2006年03月08日作成−
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