永遠のスター、郷ひろみが誕生
歌手の郷ひろみが福岡県に生まれる。本名は原武裕美。72年のデビュー以降、日本人離れしたルックスと独特の高い声でヒット曲を連発。90年代以降もバラード系のシングルを立て続けにリリースし、さらにはリッキー・マーティンのカヴァー「GOLDFINGER '99」が大ヒットとなるなど、その人気は衰えを知らない。恋愛スキャンダル、結婚に離婚、その結婚生活を綴った著書の出版など、大ベテランになってもなお話題を提供し続けるスターである。
−2006年09月28日作成−
ニュークリア・アソルトなどで活躍、ダン・リルカが誕生
アンスラックスのオリジナル・ベーシストであり、ニュークリア・アソルト、ブルータル・トゥルースなどで活躍するダン・リルカが米国に生まれる。才能とアイディアが尽きることのないミュージシャンであり、先述のバンドのほかにも、S.O.D.やエクジット-13、果てはブラック・メタルのRavenousまで、関与したバンド/プロジェクトは多岐に渡る。ニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンの首領として、メタル/ハードコア界隈から絶大な支持を得る男だ。
−2007年09月27日作成−
ローラ・ニーロ生まれる
ローラ・ニーロ、ニューヨークのブロンクスで生まれる。ジャズ・シンガーのヘレン・メリルは叔母。デビュー曲「ウエディング・ベル・ブルース」はヒットには至らなかったが、1968年『イーライと13番目の懺悔』中の2曲をフィフス・ディメンションが取り上げたことで大ヒット。ソングライターとして脚光を浴び始める。イタリア系ユダヤ人の間に生まれた彼女は、ジャズ・トランペッターの父を持ったせいかゴスペル、ジャズなどの黒人音楽に強い影響を受けている。97年、卵巣がんのため死去。
−2000年09月26日作成−
ロックンロールの元祖、チャック・ベリーが誕生
ロックの祖、チャック・ベリーが米ミズーリ州に生まれる。ブルースの巨人、マディ・ウォーターズの紹介でデビューした時、チャックはすでに29歳。しかし代表曲「ジョニー・B・グット」のように、ダブル・ノートを使ったワイルドな歌唱と歌詞を重視する姿勢、そして天性のギター・テクニックは誰もが認める天才のそれであった。「生涯でただ1つの望みは、チャックのようにギターが弾けること」とキース・リチャーズに言わせた男なんだから。
−2001年09月26日作成−
ジャズ・トランペッターのウィントン・マルサリス、誕生
ジャズ・トランペッター、ウィントン・マルサリス、ニューオリンズに生まれる。父親がピアニスト・作曲家であるエリス・マルサリス、兄弟がジャズ・ミュージシャンのデルフィーヨとブランフォード・マルサリス。6歳でトランペットを手にし、19歳の時にはすでに卓越したトランペット技術を持っていたウィントン。その後、約2年間、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加。'84年にはハイドンやモーツァルトを演奏、史上初のジャズ/クラシック両アルバムのグラミー賞を獲得しクラシック・ファンからも熱烈な支持を受けることとなった。
−2002年09月27日作成−
上杉達也、トンガリ、マーグ、マーティ!声優の三ツ矢雄二が生まれる
1954年10月18日、声優/俳優の三ツ矢雄二が愛知県に生まれる。子どもの頃から児童劇団に在籍し芸能活動を行なっていた三ツ矢が、声優として本格的に始動したのは『超電磁ロボ コン・バトラーV』から。以降、『六神合体ゴッドマーズ』のマーグ、『タッチ』の上杉達也、『キテレツ大百科』のトンガリ、『さすがの猿飛』の猿飛肉丸といった、人気キャラクターの声を多数演じ、コメディからシリアスまでこなす多才な芸風で人気を博している。なお、洋画の吹き替えも多数手がけており、なかでも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(TV放映版)のマーティは人気。
−2008年10月15日作成−
ハリウッドではファンタジー映画も!「フラフープ記念日」
フラフープが日本初発売された日にちなみ、10月18日は「フラフープ記念日」と制定。近年、日本ではダイエット・ブームの到来で脚光を浴びているが、ハリウッドはすでに、フラフープを題材にしたファンタジー映画『未来は今』(1994年)で着眼済み。予想に反して大ヒットするフラフープによって巻き起こる騒動を、『オー・ブラザー!』のコーエン兄弟がユーモラスに描いている。
−2007年09月28日作成−
ビートルズ365:ポール、ジョンと初めて同じステージに立つ。
リヴァプールのニュー・クラブムーア・ホールにおいて、ポールがクォリーメンのメンバーとして、初めてジョンと同じステージに立った。ポールはクォリーメンのギタリストとして参加。しかし、アーサー・スミスの1946年のヒット曲 「ギター・ブギー」 のソロ・パートで致命的なミスをしてしまう。ポールは「リハーサルで簡単に弾けたから、みんなが僕のソロでいこうって言ってくれたんだ。ところが、出番になったら、ものすごくあがってしまって指が動かなくて、頭が真っ白になってしまった。リード・ギタリストとして客席の視線を一斉に浴びるのは荷が重過ぎた。あの日から数年前まで僕はステージでギター・ソロを弾くことはなかったんだ。できるようになったのはつい最近のことなんだ」と90年代半ばに思い返している。
−2006年09月28日作成−
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