“チータ”でお馴染み、水前寺清子が誕生
演歌歌手の水前寺清子が熊本県に生まれる。本名は林田民子。12歳で上京し、夜間の音楽学校に通いながら歌手を目指した。16歳から約4年間の本格的なレッスンを経て、64年に「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。ボーイッシュな風貌と独特の節回しで人気を獲得し、「三百六十五歩のマーチ」は日本人ならだれもが知るヒット曲となっている。ちなみに、愛称は“チーター”ではなく“チータ”が正解。本名の民子から、“小さな民子”が由来なんだとか。
−2006年09月28日作成−
帝王の恐妻、シャロン・オズボーンが誕生
ヘヴィ・メタル界の帝王、オジー・オズボーンの妻であるシャロン・オズボーンが、英国に生まれる。Jet Recordsの社長であり、辣腕マネージャーとして知られる父親、ドン・アーデンとマネージメント方法をめぐり犬猿の仲に。シャロンはオジーの活動を全面的に支えることとなった。さすがのオジーもシャロンには頭が上がらず、その歯に衣着せぬ発言や大胆な行動は、ファンの間でも賛否両論。が、廃人寸前だったオジーを立ち直らせた手腕は、誰もが認めるところだ。
−2007年09月27日作成−
ギタリスト・仲井戸〈Chabo〉麗市誕生
仲井戸麗市、新宿に生まれる。1970年、フォーク・デュオ古井戸のメンバーとしてデビュー。79年にはRCサクセションのギタリストとして活躍するが、RCの無期限休養を機に本格的なソロ活動に入る。小・中学生の頃から団体生活が苦手だった仲井戸は、テレビなどで時折悪態をつくこともあり、本番中のカメラに向かい「こんなところじゃ唄えねー」と絶叫したことも。そんな仲井戸が1人、テレビ局の廊下を駆け抜ける中、「良かったぞ」と声をかけたのは泉谷しげるだったという。2人は『泉谷しげるvs古井戸』などの作品も発表している。
−2000年09月26日作成−
夏川りみ、石垣島に誕生
夏川りみが石垣島に生まれる。'89年に「星美里」として演歌デビューした夏川だったが、思うような結果が出ず'99年に沖縄に戻って再デビュー。その3rdシングルとなる「涙(なだ)そうそう」で、日本各地にじわじわとブレイクを果たす。この曲は元々、同郷のBEGINが作曲を、森山良子が作詞を担当した曲。それをBEGINが沖縄サミットで歌う姿を見て、夏川は「これだ」と思い直接BEGINに交渉したという。沖縄の海のように透明感のある夏川の声が、人々の心へ届き始めている。
−2002年09月27日作成−
いつまでも少年の声、声優・宮田幸季誕生
日本の男性声優。1972年10月9日生まれ。81プロデュース所属。ボーイソプラノに似た高い音域と細く澄んだ声質が特徴で、少年役から青年役まで、まったく無理がなく演じることのできる声の持ち主。人間以外のキャラクターを担当することも多い。その特徴的な声質から“ヘリウムガスを吸ったような声”と同業者に言われ、それをキッカケに「ヘリちゃん」や「ヘリウム宮田」などとも呼ばれるようになった。またラジオなどで“死語”を多く発言していることでも知られている。なお、食べ物の趣味も一風変わっており、たびたび変なものを買ってきては周りに配っているらしい。
−2008年10月08日作成−
映画『お父さんのバックドロップ』が公開
宇梶剛士と神木隆之介が親子役を演じた中島らもの短編小説を原作にした映画『お父さんのバックドロップ』が公開に。スネオヘアーが歌った主題歌「ストライク」のPVが映画のサブストーリーだったことでも話題になった。中島らもがカメオ出演していたが、映画の公開を待たずに2004年7月26日逝去した。
−2007年09月28日作成−
ビートルズ365:ジョン・レノン生まれる。
リヴァプールのオックスフォード通りの産院で、船のウェイターとして働くフレッドとその妻ジュリアの間に生まれた。本名ジョン・ウィンストン・レノン(命名は叔母のミミ)。ジョンは1歳半のときに叔母のミミに預けられ、そこで過ごすものの、5歳の時に父親のフレッドが現れ、ジョンを引き取る。数週間後、帰ろうとする母のジュリアを追ってリヴァプールへ帰り、叔母のミミの家で生活をしていくことになる。そんなジョンの35回目の誕生日にあたる75年のこの日、ヨーコとの間にショーンが誕生。このことをジョンは「気分はエンパイア・ステート・ビルよりもハイさ」と発言している。
−2006年09月28日作成−
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