ビー・ジーズで活躍、バリー・ギブが誕生
ビー・ジーズのギブ三兄弟の長男、バリー・ギブが英国マン島に生まれる。後に移住したオーストラリアでビー・ジーズとしての活動を開始、デビュー後の成功はご存知の通り。バリーはギターも演奏し、聴けば彼とわかる独特の高い声を武器にする。口髭に長髪という逞しい顔つきで身長も高く、いかにも長男という雰囲気を漂わせ、グループを支えた男である。ソロとしても多数の作品を残しており、その才能に疑問を挟む余地はないだろう。
−2007年08月28日作成−
“世界のオザワ”こと小澤征爾、誕生
クラシック音楽の指揮者、小澤征爾が中国のシャンヤンに生まれる。幼い頃からピアノを学び、高校時代から斎藤秀雄に師事、本格的に指揮に取り組むことになる。59年にオーケストラ指揮者国際コンクールで1位を獲得して以降、欧州を中心に米国、アジアと世界を股に掛けて大活躍し、日本が世界に誇る名指揮者となった。2002年の『ニュー・イヤー・コンサート 2002』は、オリコン総合チャートで2位になるなど、一般層からの認知も抜群。
−2006年08月28日作成−
真心ブラザーズ「うみ」でプロ・デビュー
CX系テレビ番組『パラダイスGO! GO! 』のコーナーだった「勝ち抜きフォーク合戦」に出場した真心ブラザーズは、10週を勝ち抜き、シングル「うみ」でプロ・デビューを果たす。当時、メンバーの倉持陽一と桜井秀俊は、早稲田大学の同じ音楽サークルの先輩、後輩という関係。バンド・ブームでカタカナのバンド名が多かったから、漢字でつけてみようかと思い、このような名前になったらしい。最初は「THE真心」だけだったが、宗教団体みたいなので、「ブラザーズ」をつけてみた、という噂もあり。
−2000年08月28日作成−
アンドレ・カンドレこと井上陽水、デビュー
井上陽水がアンドレ・カンドレの名でデビュー・シングル「カンドレ・マンドレ」を発売。フォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」を聞いた陽水は、「これなら俺にもできる」と思い、同曲を制作。友人と一緒に深夜ラジオ番組『スマッシュ・イレブン』に売り込み、デビューまでの道が開かれる。♪カンドレ・マンドレ、サンタリ・ワンタリ〜。曲名にも歌詞にも、そして芸名にも深い意味はなし。ホリプロに所属するも泣かず飛ばずであったが、その後、本名の井上陽水として活動し、大ブレイクを果たす。
−2001年08月24日作成−
アメリカン・ドリームを地でいくG・エステファン、誕生
歌手のグロリア・エステファン、キューバのハバナに生まれる。キューバよりマイアミの貧民街に移住し苦労を重ねるが、同郷のミュージシャン、エミリオ・エステファンと出会いバンドを結成したことから運命は一変。ラテン・フレイバーとダンス・ビートを合体させたサウンドは、アッという間に全世界のダンス・フロアを席捲し、'85年「Dr.ビート」続く「コンガ」が世界的なヒットとなる。'90年、交通事故により瀕死の重症を負うも、カムバック。常に時代に見合った柔軟なサウンドを今でも送り出し続けている。
−2002年08月26日作成−
“ヤマカン”ことアニメ演出家・山本寛が誕生
1974年9月1日生まれ。アニメーション演出家。幼少時から漫画やアニメの影響を受け、大学ではアニメーション同好会に所属していた。卒業後、京都アニメーションに入社。デジタル映像開発室勤務を経て、同社の大阪スタジオであるアニメーションDoへと移籍。現在はアニメ制作会社・Ordet代表を務める。大ヒット・アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディング・ダンスや『らき☆すた』のオープニング・ダンスの“ヒットの仕掛け人”としても知られる。
−2008年08月29日作成−
「ビリーズ・ブート・キャンプ」のビリー・ブランクスの誕生日
(1955年)
ビリー・ブランクスがアメリカ合衆国ペンシルバニア州で生まれる。米軍新人育成訓練で行なわれている「ブートキャンプ」を改良した短期集中型エクササイズ「ビリーズ・ブート・キャンプ」を発案、エクササイズDVDとしては異例の大ヒットを記録した。またビリーは俳優としても活躍しており、米国テレビ・ドラマ「ER緊急救命室」にも出演したことがある。
−2007年08月28日作成−
ビートルズ365:映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の打ち合わせが行なわれる。
ビートルズのメンバーはポールの家に集まり、ブライアン・エプスタイン亡き後の様々なことを決めるべく話し合いを行なった。ポールはまず他のメンバーが到着する前に、トニー・バーロウと話し合いを行なった。その後、4人が集まり『マジカル・ミステリー・ツアー』プロジェクトを再開して、他に進めていたことをすべて保留にすることを決定した。トニー・バーロウは 「ポールは、大規模な新しい宣伝活動を行なって『マジカル・ミステリー・ツアー』の製作を発表してほしいと思っていた。また、エプスタインの死が時代の終わりに似ていると考えていた。ビートルズの歴史において、新たな明るい時代の始まりとして『マジカル・ミステリー・ツアー』を世界に放つことができた」 と述べている。
−2006年08月28日作成−
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