エアロスミス二枚看板の片割れ、ジョー・ペリーが誕生
エアロスミスのギタリスト、ジョー・ペリーが米国ボストンに生まれる。エリック・クラプトンやピーター・グリーンなど、ブルースに根差したギタリストから多大な影響を受け、バンド活動を開始。そのギター・プレイはチョーキングを多用せず、スタッカート気味のピッキングが特徴的だ。グルーヴィなスライド・ギターも素晴らしい。バンドではスティーヴン・タイラーと人気を二分する存在であり、派手でハイテンションな彼とは正反対の、クールなダンディズムを発揮している。
−2006年08月28日作成−
GN'Rの「スウィート・チャイルド〜」が全米1位に
ガンズ・アンド・ローゼズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」が全米シングル・チャートで1位に輝く。危険な香りに満ちたアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』の中において、一服の清涼剤とも言うべき優しさに満ちた名曲だ。が、オリジナルは6分近いこの曲を、レコード会社がバンドに無断でエディット。これに激怒したメンバーは、次なるシングルに8分の「パラダイス・シティ」を編集なしでリリースするよう指定したのは有名な話だ。
−2007年08月28日作成−
ジャックス、幻の1stアルバムリリース
日本のロック界に数々の名曲を残したジャックスの1stアルバム『ジャックスの世界』がリリース。早川義夫(vo、g)が高校の同級生と結成した「ナイチンゲイル」がバンドの母体となり、その後メンバーに谷野ひとし、木田高介らを加えデビューする。後にこのアルバムは、3曲目「からっぽの世界」の歌詞の一部に放送規制語を含むとされ販売自粛状態になり、92年の復刻まで幻のアルバムとなっていた。69年にジャックスは解散し、早川は書店を経営するも、94年には音楽活動を再開、ファンを喜ばせた。
−2000年08月28日作成−
日本最強コミック・バンドのリーダー、ハナ肇死去
“アッと驚く為五郎。ナヌ?”など多くの名台詞&ギャグを残した、ハナ肇(本名・野々山定夫)が肝細胞癌で死去。63歳だった。進駐軍のクラブなどでプロのドラマーとして活躍後、クレイジー・キャッツを結成。『おとなの漫画』『シャボン玉ホリデー』などテレビ界で活躍し、また映画『なつかしの風来坊』ではブルーリボン賞を受賞した。ちなみに、ドリフターズのメンバーの芸名を決めたのもハナ肇。当時ドリフターズにとってハナは神様的な存在であり、“ブー”などの名前もありがたく頂戴したとか。
−2001年08月24日作成−
麻宮サキも子持ち主婦。斉藤由貴、誕生
'80年代の人気アイドル・斉藤由貴、神奈川県に生まれる。'84年第3回ミス・少年マガジンを射とめて、ラーメンのCMで人気を得る。その翌年に「卒業」で歌手デビューし、いきなり30万枚のセールスを記録。その後、NHK朝の連続テレビ小説『はね駒』やドラマ『スケバン刑事』の初代・麻宮サキ役で一気にお茶の間のアイドルとなる。井上陽水の「夢の中へ」も、その不思議な踊りと相まってリバイバル・ヒットしましたね〜。94年の結婚以降、母として、女優として、マイペースに活動している。
−2002年08月26日作成−
“ルパン三世”こと声優・山田康雄誕生
1932年9月10日生まれ。日本の俳優、声優、テレビ司会者。コメディ役者になるため演劇の道に進む。役者業の副業として洋画の吹き替えの仕事に出会ったため、当初は吹き替えという仕事を軽視していた。が、突然の降板を監督から言い渡され、“吹き替えもまた役者の演技”と心を入れ替えたことにより、後に“クリント・イーストウッドの吹き替えは山田康雄”と世間に認知されるようにまでなる。アニメ嫌いとして有名だが『ルパン三世』は特別な作品だったようで、ルパン以外はアニメのレギュラーは少ない。他にもテレビなどでの軽快な司会ぶりを披露していた。1995年3月19日に逝去。
−2008年09月08日作成−
松田翔太の誕生日
俳優・松田翔太が松田優作と松田美由紀の次男として生まれる。兄は俳優の松田龍平。父親譲りの長い手足とルックスの良さが人気で、「花より男子」「ライアーゲーム」などテレビ・ドラマを中心に活躍中。17歳から2年間ロンドンのアート・スクールに留学しており、俳優になっていなかったら建築デザイナーを志していたそう。
−2007年08月28日作成−
ビートルズ365:ジョンとポール、ローリング・ストーンズのために楽曲制作。
ロンドンのクラブでローリング・ストーンズのメンバーと顔を合わせたジョンとポールが、彼らの目の前で曲を完成させた。出だしの部分をポールが、サビの部分をジョンが書き、ストーンズにプレゼントされた。その曲はのちにアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』に収録される「彼氏になりたい」。ストーンズはシングルでこの曲を発表。英国でトップ10入りを果たし、ストーンズ初の大ヒット曲(最高12位)となった。ミック・ジャガーとキース・リチャーズはこれに触発されて作曲をするようになったとか。のちにジョンはこの出来事について「通行人に配るチラシみたいなものだった」と発言した。
−2006年08月28日作成−
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