マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』、全米1位
マドンナのアルバム『ライク・ア・ヴァージン』が全米チャートで1位に輝く。彼女の2作目であるこのアルバムは、タイトル・トラックや「マテリアル・ガール」など、人気曲を含んでおり、全世界で2,000万枚以上という天文学的なセールスを記録した。ゴージャスなドレス姿で艶かしい視線を送る、セピア色のジャケットも秀逸なこの作品で、彼女はセクシー・アイコンとしての人気を確立。以降、その地位を長きに亘って守ることになる。
-2007年01月29日作成-
キャロル・キングが誕生
名ソングライターにしてシンガーとしての実績も素晴らしい才女、キャロル・キングが米国ニューヨークに生まれる。大学在学中のポール・サイモンとジェリー・ゴフィンとの出会いはその後の人生を決定づけ、特にゴフィンとは夫婦の関係のみならず、60年代を代表するソングライター・コンビとしてその名を残す。「ロコモーション」「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」、シンガーとしての『つづれおり』などなど、名作は数え切れない。
-2008年01月28日作成-
“アミーゴ”こと鈴木亜美が誕生
鈴木亜美、神奈川県に生まれる。98年、人気テレビ番組『ASAYAN』の オーディションで、13,500人の中からファン投票により見事グランプリを獲得。デビュー前から雑誌の表紙を飾り、レコード会社未決時には小室哲哉が臨時マネージャーになるなど、ファンの期待度はすでに頂点に。同年6月の「love the island」でデビューを飾る。陸上部で鍛えたスマートな体と、俗に言う“アヒル口”のかわいさで人気が急上昇。写真集『AmiGO』発売記念の握手会には、銀座の街をファン5,000人が埋め尽くした。
-2001年01月25日作成-
七光りとは言わせない。カリスマ・降谷建志、誕生
Dragon ash、Steady&Co.をはじめ、さまざまなアーティストとのコラボレーションで、日本のミュージックシーンを活気づかせてきた降谷建志、東京都に生まれる。幼稚園、小・中・高校の途中まで青山学院に通い、中学校時代からバンド活動をはじめる。町田庚同名原作の映画『けものがれ、俺らの猿と』に出演して話題になったが、実際のスクリーンデビューは、'95年『ゲレンデがとけるほど恋したい』。昔はいろいろあるもんです。
-2002年01月28日作成-
鼻と耳をチェーンでつなぐ、スキッド・ロウのレイチェル誕生
メタル・ロックバンド、スキッド・ロウのB.レイチェル・ボラン誕生。ジョン・ボン・ジョヴィと幼なじみのデイヴ〈ザ・スネイク〉セイボらとバンドを結成。'89年ボン・ジョヴィ発掘の大型新人」というコピーでデビュー。しかしそれとは裏腹な、パンク・スピリットあふれるステージングは男性ファンを獲得。1stアルバムは400万枚以上のセールスを記録した。しかし3rd以降、グランジ一色に様変わりした時代の流れや、メンバーの仲違いによりバンドは機能停止。だが、'00年初頭メンバー・チェンジを行ない、バンドは再開している。
-2003年01月27日作成-
『タッチ』の原作者・あだち充 誕生
1951年2月9日、ラブコメに野球などのスポーツを絡めた青春ものを得意としている、人気漫画家・あだち充が群馬県に生まれる。80年代以降の『少年サンデー』を支える作家の一人。主な作品に『タッチ』『みゆき』『H2』『陽あたり良好!』があり、いずれもアニメ化されている。なかでも『タッチ』は、アニメ・オリジナルの続編が制作されたり、実写版が制作されたりと、今でも絶大な人気を誇っている。どんなスポーツでも青春ラブコメに仕上げてくれる、そんな才能の持ち主。
-2009年01月31日作成-
才人、木村祐一が生まれる
俗に言うダウンタウン・ファミリーのご意見番、“キム兄”の愛称で知られるお笑い芸人、木村祐一が生まれる。タレントや構成作家としての露出はもちろん、俳優としても数多くの作品に出演。『下妻物語』『誰も知らない』『花よりもなほ』『ゆれる』『パッチギ! LOVE&PEACE』、バラエティ番組でみせる表情とはまた違った魅力に気付かされることも多々。“違った魅力”といえば、山田花子とデュエットCD「虹色橋」も聴き逃せない。
-2008年01月31日作成-
ビートルズ365:アメリカのテレビショー『エド・サリヴァン・ショー』に出演。
アメリカのテレビ・ショー『エド・サリヴァン・ショー』に初出演。「オール・マイ・ラヴィング」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」他全5曲を演奏した。この回の放送は視聴率72%を獲得。番組放送中のニューヨークでの犯罪件数は過去50年で史上最低だったともいわれている。 またこの日の生放送前に23日放送分の収録も行なわれ、そこでは「抱きしめたい」を含む全3曲が演奏された。事実上、この23日分の収録がアメリカにおける初めての公開演奏であった。
-2006年03月08日作成-
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