キッス、“Walk of Fame”に名を刻む
キッスが米ハリウッドの“Walk of Fame”にその名を刻んだ。この時まで名前がなかったのが少し不思議な気もするが、当時のキッスはオリジナル編成でのツアーが大成功となった後で、世界中で“やっぱりメイクしたキッスは最高だ!”という機運が盛り上がっていた時期だった。当日のメンバーは、真夏だというのにメイクにステージ衣装で登場。多くのファンを前に、当時のハリウッド市長からプレゼンテーションを受けたのでした。
−2006年07月25日作成−
ラズベリーズやソロで活躍、エリック・カルメンが誕生
ラズベリーズでデビュー、ソロとしても成功を収めているエリック・カルメンが米国クリーヴランドに生まれる。なんでも、両親が音楽にとても熱心で、幼い頃から環境には恵まれていたらしい。6歳からヴァイオリンを習い、後にはピアノ、ギターも覚えるなど、その才能を次々と発揮していくことに。パワーポップの元祖とされるラズペリーズ、ソロではラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を用いた「オール・バイ・マイセルフ」など、そのセンスは折り紙付きだ。
−2007年07月26日作成−
レイ・パーカーJr.の「ゴーストバスターズ」が全米1位
レイ・パーカーJr.「ゴーストバスターズ」がビルボードで1位を獲得(3週連続)。この年は映画産のヒット曲が豊作で、3月にはケニー・ロギンスの「フットルース」、4月にはフィル・コリンズの「見つめて欲しい」が1位に。さらにプリンスが7月に「ビートに抱かれて」、9月に「レッツ・ゴー・クレイジー」(いずれも映画『パープル・レイン』より)を立て続けにシングル・カット、1位へ押し上げている。ちなみに、1984年はマドンナやワム!がビルボードで初の1位を獲得した年でもある。
−2000年07月14日作成−
偉大な作曲家、小林亜星誕生
著作権をめぐる裁判沙汰や、永六輔、野坂昭如といった強烈な昭和ヒトケタ世代とタッグを組んだ「世直しトリオ」などの活動でも知られる作曲家の小林亜星、東京に生まれる。かつて超不評だった“E電”なる呼び名も提案した小林だが、忘れてならないのはその偉大な功績。レナウン「ワンサカ娘」、日立の「この木なんの木」など数々のCM曲、はたまた「ひみつのアッコちゃん」などのアニメ主題歌、そして「ピンポンパン体操」、都はるみ「北の宿」、ドラマ「寺内貫太郎一家」の主演など、その業績はまさに多岐にわたる。
−2001年07月25日作成−
何をしても話題騒然、マドンナ帝王切開で2児出産
パフォーマンス、言動、私生活、すべてがいつも話題となる歌手・マドンナが、映画監督ガイ・リッチーの子供を出産。帝王切開、さらには多量の出血で母子ともに危険な状態だったとして、世間をにぎわせる。マドンナにとっては前夫との間にできたローデスちゃんに続く2人目。出産後「数年前は何のためにこの世にいるのか分からなかったけど、今は彼と愛し合って分かち合うためにいるのよ」と、ガイと結婚した。
−2001年07月25日作成−
業界初4A面? あゆ、75分収録のマキシ「A」発売
同年7月に発売した「Boys&Girls」の大ヒットも冷めやらぬ8月、浜崎あゆみ「A」発売。「Boy〜」でさえ、リミックス8トラック+インストで全10曲、約55分の作品だったにもかかわらず、この「A」は「monochrome」「too late」「Trauma」「End roll」というCMタイアップが付いた4曲ともA面扱い、しかも計14トラックを収録した全75分という、マキシ・シングルとは思えぬ大容量。しかも、ジャケットにいくつかヴァージョンがあり、各収録曲の順番が異なるというオマケ付き。まさに、あゆ全盛期を物語る異例のマキシ・シングルなのであった。
−2002年07月25日作成−
「声優界の異端児」、谷山紀章誕生
日本の男性声優・歌手。賢プロダクション所属。1975年生まれ。「きーやん」の愛称で親しまれている。大人しい役からハイテンションな役まで幅広く演じる。『君が望む永遠』で主人公・鳴海孝之を好演したことによって一躍有名になった。また、飯塚昌明とのユニット「GRANRODEO(グランロデオ)」を結成し歌手としても活動している。トークに定評があり、ラジオなどでも活躍している。
−2008年08月06日作成−
社会派ドラマの匠、山本薩夫死去
映画監督・山本薩夫の命日。大学を中退して映画撮影所に入所し、助監督を経て監督デビューする。山崎豊子原作の3作『白い巨塔』『華麗なる一族』『不地帯』では、当時のスター俳優を多数起用してスケールの大きい社会派ドラマを作り上げた。最近では唐沢寿明と江口洋介で「白い巨塔」を、また木村拓哉を主演に「華麗なる一族」をドラマ化し、大ヒットを呼ぶなど改めて彼が残した功績に注目されている。
−2007年07月10日作成−
ビートルズ365:『ビートルズ・フォー・セール』レコーディング開始。
EMIスタジオ第2スタジオでアルバム『ビートルズ・フォー・セール』のレコーディングがスタート。初日となったこの日は、BBCテレビの「トップ・オブ・ザ・ポップス」の取材班がスタジオを訪問し、ビートルズの演奏風景を撮影。しかし、ビートルズの報酬をめぐってBBCとブライアン・エプスタインとの間で折り合いがつかず、結果、このフィルムは破棄されることになった。その後、午後7時から11時までのセッションでレコーディングが始められ、「ベイビーズ・イン・ブラック」を14テイク録音して完成させている。14テイクのうち完全ヴァージョンは5テイクのみ。ジョージによるオープニングのギター・パートでつまずいたテイクだけで5テイクあった。結局、このオープニングのギター・パートは、この部分だけで別に13テイク試みたものの、完成ヴァージョンに使われることはなかった。
−2006年07月24日作成−
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