1999年11月18日(木)
  
メタリカのカーク・ハメットが誕生
カーク・ハメット / 1962年)
メタリカのギタリスト、カーク・ハメットが米国サンフランシスコに生まれる。兄の影響でロックを聴くようになった彼は、ギタリストとしてジミ・ヘンドリックスから多大な影響を受ける。本格的にバンドでの活動を開始したのは82年にエクソダスを結成してからで、ベイエリア・スラッシュ・シーンの形成に初期段階から関わった。83年、デイヴ・ムステインを解雇したメタリカに誘われ、バンドに加入。決して派手なプレイヤーではないが、そのプレイは実に滑らかだ。
−2006年10月30日作成−
森進一が誕生
森進一 / 1947年)
森進一が誕生
演歌歌手の森進一が山梨県に生まれる。育ちは鹿児島県。中学校を卒業した後、集団就職のために上京するが、歌手への夢を捨てることはなかった。テレビののど自慢番組で勝ち抜いたことをきっかけに、66年に「女のためいき」でデビュー。いきなりのヒットを記録し、人気歌手のひとりとなる。「おふくろさん」などで聴かせるアクの強い独特の声は、モノマネの定番になるほどの認知を獲得。演歌界のみならずその知名度は絶大である。
−2007年10月30日作成−
王貞治に続く国民栄誉賞・古賀政男誕生
古賀政男 / 1904年)
王貞治に続く国民栄誉賞・古賀政男誕生
4000曲を超える歌謡曲を作曲、昭和の日本人の琴線に触れる歌を世に送り続けた古賀政男(1904〜78)が福岡県に生まれる。1930年(昭和5年)に「影を慕いて」で作曲家デビューを果たし、以後「酒は涙か溜息か」「湯の町エレジー」「柔」「悲しい酒」など傑作が次々とヒット。〈古賀メロディ〉と呼ばれ親しまれた彼の音楽の原点は、少年時代に聴いた朝鮮の労働者たちの哀歌と、いとこにもらった大正琴だったという。〈ショパンがピアノの詩人なら、古賀はギターの詩人〉とも評された。没後、その功績をたたえて国民栄誉賞が贈られた。
−2000年10月30日作成−
V6の岡田准一、誕生
岡田准一(V6) / 1980年)
V6の岡田准一、大阪府枚方市に生まれる。初めは、「零二」という名前になるハズであったが、祖母の「早死にしそうだからダメ」という一言で「准一」に変更。女の子のように華奢な印象であるが、小学校の時は卓球部や理科部に所属しており、太っていたという。だが中学に入り、体系をスリムにするためラグビー部へ入部。そして'95年、本人の知らない間に母親が『天才・たけしの元気がでるテレビ』の「元気ジャニーズ予備校」に応募し、見事に合格。'97年V6のメンバーとしてデビューに至る。
−2002年10月29日作成−
病弱だったドイツ・ロマン派の作曲家、ウェーバー誕生
病弱だったドイツ・ロマン派の作曲家、ウェーバー誕生
ピアノ曲「舞踏への勧誘」やオペラ「魔弾の射手」などで有名な作曲家ウェーバー、ドイツに生まれる。モーツァルトの実例を知る父親から、神童として育てられ、18歳でオーケストラの指揮をとるが、団員ともめ、自殺未遂を起こしたこともあったとか。30代半ばで「魔弾の射手」が成功し、生活は楽になる。が、もともと体が弱かったため、山積みになる仕事と病魔と闘う日々が続き、1826年、結核で死去。彼の身の回りは、死を予期していたかのごとく、整理されていたという。
−2002年11月25日作成−
日本アニメ界を代表する巨匠の一人、出崎統が生まれる
出崎統 / 1943年)
1943年11月18日、TVアニメの創生期から第一線で活躍し続ける、アニメーション監督の出崎統が東京都に生まれる。初めての制作現場は、初の本格的TVアニメであった『鉄腕アトム』(63年)。26歳で『あしたのジョー』の監督格に抜擢されて以降、『エースをねらえ!』『はじめ人間ギャートルズ』『ベルサイユのばら』など、さまざまな名作アニメを世に送り出してきた、日本アニメ界を代表する巨匠の一人。なお、“止め絵の演出”は出崎演出の代表的な技法のひとつ。
−2008年11月14日作成−
ジェームズ・コバーン死去。
1928年8月31日、アメリカ・ネブラスカに生まれる。数作の映画に脇役として出演した後、1960年の『荒野の七人』で頭角を現す。渋い存在感が人気を呼び、時代を代表する俳優のひとりとして数多くの映画に出演。1988年『白い刻印』でアカデミー助演男優賞を受賞している。晩年は『ナッティ・プロフェッサー』やアニメ『モンスターズ・インク』(声の出演)などコミカルな役どころにも挑戦。2002年、心臓発作のため死去。遺作は2002年の『American Gun』(日本未公開)。
−2007年11月02日作成−
ビートルズ365:ポール、『夜のヒットスタジオ』に出演。
ザ・ビートルズ / 1987年)
ビートルズ365:ポール、『夜のヒットスタジオ』に出演。
ポールは、シングル「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」のプロモーションも兼ねて、フジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ DELUXE』に、ロンドンからの衛星生中継にて出演した。その後も何度かこの番組にポールは出演し、90年の来日直前の出演では、番組内でクローズド・サーキットの告知を自ら行なったりした。ちなみに番組内で披露された「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」は、生演奏ではなく音に合わせただけのいわゆる口パクだった。
−2006年10月30日作成−
   ※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。
  


[インタビュー] 人気ピアノYouTuberふたりによる ピアノ女子対談! 朝香智子×kiki ピアノ[インタビュー] ジャック・アントノフ   テイラー・スウィフト、サブリナ・カーペンターらを手がける人気プロデューサーに訊く
[インタビュー] 松井秀太郎  トランペットで歌うニューヨーク録音のアルバムが完成! 2025年にはホール・ツアーも[インタビュー] 90年代愛がとまらない! 平成リバイバルアーティストTnaka×短冊CD専門DJディスク百合おん
[インタビュー] ろう者の両親と、コーダの一人息子— 呉美保監督×吉沢亮のタッグによる “普遍的な家族の物語”[インタビュー] 田中彩子  デビュー10周年を迎え「これまでの私のベスト」な選曲のリサイタルを開催
[インタビュー] 宮本笑里  “ヴァイオリンで愛を奏でる”11年ぶりのベスト・アルバムを発表[インタビュー] YOYOKA    世界が注目する14歳のドラマーが語る、アメリカでの音楽活動と「Layfic Tone®」のヘッドフォン
[インタビュー] 松尾清憲 ソロ・デビュー40周年 めくるめくポップ・ワールド全開の新作[インタビュー] AATA  過去と現在の自分を全肯定してあげたい 10年間の集大成となる自信の一枚が完成
[インタビュー] ソウル&ファンク・ユニットMen Spyder 初のEPを発表[インタビュー] KMC 全曲O.N.Oによるビート THA BLUE HERBプロデュースの新作
https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/tamagawa-daifuku/2000000812
https://www.cdjournal.com/main/special/showa_shonen/798/f
e-onkyo musicではじめる ハイカラ ハイレゾ生活
Kaede 深夜のつぶやき
弊社サイトでは、CD、DVD、楽曲ダウンロード、グッズの販売は行っておりません。
JASRAC許諾番号:9009376005Y31015