U2のカリスマ・フロントマン、ボノが誕生
U2のシンガー、ボノがアイルランドのダブリンに生まれる。本名ポール・ヒューソン。カトリックの父親とプロテスタントの母親の間に生まれたため、どちらの宗派からも真に歓迎されることはなかったらしい。これが初期U2でのソングライティングに影響を与えているとの説も。U2が成功してからはチャリティ活動に邁進、ジョン・レノンの「イマジン」を“嫌いだ。想像するだけでは何も変わらない”と断言。そう言うだけの行動は確かに見せている社会派だ。
−2006年04月24日作成−
スコットランドの吟遊詩人、ドノヴァンが誕生
フォーク・シンガーとして知られるドノヴァンが、スコットランドのグラスゴーに生まれる。本名はドノヴァン・フィリップス・リーチ。幼少期に急性灰白髄炎を患ったが、後遺症は残らなかった。14歳でギターをはじめた彼は、アート・スクールをドロップアウト、ストリート・パフォーマンスをしながら英国を廻ったという。“英国のボブ・ディラン”などと称されることもあるが、逸早くワールド・ミュージックの要素を取り入れるなど、その音楽性は実に多彩だ。
−2007年04月26日作成−
ブランキー・ジェット・シティ、アルバム発売と同時に解散発表
カリスマ“不良”ロック・バンド、ブランキー・ジェット・シティが、アルバム『HARLEM JETS』発売と同時にバンドの解散を発表。第6代目グランドイカ天キングという名前以上にビッグになった同バンドの電撃解散に、開いた口がふさがらなかったファンも多かった。7月9日に行なわれた横浜アリーナでのラストライヴは、デビュー曲「不良少年のうた」など全20曲をノンストップで演奏。あまりの興奮で貧血を起こすファンまで出る熱狂ぶりだった。ちなみに歴代のイカ天キングはフライング・キッズ、BEGIN、たまなど。
−2001年04月23日作成−
サイモン&ガーファンクル、来日公演
サイモン&ガーファンクル、後楽園球場にて来日公演を行なう。ポール単独では'74年に初来日を果たしていたものの、S&Gとしてはこのツアーが初来日となり、7・8日大阪球場、10〜12日後楽園球場にて計5回公演。16万人を動員する。しかし、前座の南こうせつが約1時間半歌い続け、当のS&Gは1時間くらいで退場。観客からはブーイングが巻き起こった。ちなみに、アンコールの時、ポールは大阪球場ではタイガースの帽子を、後楽園球場ではジャイアンツの帽子をかぶっていたとか。
−2002年04月24日作成−
世界一のトラブルメーカー、シド・ヴィシャス誕生
セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャス、ロンドンにて生まれる。世界をパンク・ブームに巻き込んだ同バンドだが、なんと言ってもファンの脳裏に今なお焼きついているのはシドだろう。ギターに触ったこともなく、歌も歌えないくせにメンバーに加わった彼は、何度も麻薬事件を起こし、あげくには恋人のナンシーに対する刺殺疑惑も。'79年にヘロイン中毒で死亡。わずか21歳であった。
−2003年04月25日作成−
波平、デギン・ザビ、猪熊滋悟郎!アニメ界の鉄人、永井一郎が生まれる
1931年5月10日、声優/ナレーターの永井一郎が大阪府に生まれる。アニメ黎明期から活躍する大ベテランの一人で、“アニメ界の鉄人”とも呼ばれている。『サザエさん』の磯野波平をはじめ、『機動戦士ガンダム』のナレーター/デギン・ソド・ザビ、『宇宙戦艦ヤマト』の佐渡酒造/徳川彦左衛門、『YAWARA!』の猪熊滋悟郎、『MONSTER』のDr.ライヒワイン、『うる星やつら』の錯乱坊など、代表作は数知れず。さまざまな人生経験を積んできた味のあるキャラクターを多く演じる。2009年第3回声優アワード功労賞を受賞。
−2009年05月01日作成−
生涯現役バレリーナ、草刈民代誕生
草刈民代が東京都で生まれる。8歳でバレエを始め、16歳から牧阿佐美バレエ団に所属。18歳で主役デビューの後、同バレエ団の主役を数多く務める。その容姿の美しさから“華のあるバレリーナ”として話題となり、1996年公開の映画『Shall we ダンス?』で初めての映画出演、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞など数々の賞を受賞した。これがきっかけとなり、翌年監督の周防正行と結婚、お互いの将来や夢を支え合う理想のカップルになった。
−2007年04月25日作成−
ビートルズ365:「ディジー・ミス・リジー」「バッド・ボーイ」のレコーディングを行なう。
この日の夕方、米国でリリースされるアルバム収録曲として、ラリー・ウィリアムズの「ディジー・ミス・リジー」と「バッド・ボーイ」の2曲を録音。午後8時から11時30分までにレコーディングを完了し、午前1時15分までにモノおよびステレオ・ミックスを仕上げた。ジョージ・マーティンによって翌日キャピトル・レコードに送られたこのテープは、5週間後にはアルバム『ビートルズVI』に収録され、店頭に並んだ。この2曲はオーヴァーダビングを最小限に留めた、スタジオでのライヴ演奏による録音だった。また「バッド・ボーイ」は66年発売のアルバム『オールディーズ』が発売されるまで、英国では未発表のままだった。
−2006年04月24日作成−
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