ギターの魔術師、スティーヴ・ヴァイが誕生
凄腕ギタリストとしてその名を馳せるスティーヴ・ヴァイが、米国ニューヨークに生まれる。10代初頭からギターをはじめ、ジョー・サトリアーニが師匠だったというのは有名な話。高校時代にはローカル・バンドでの活動を重ね、その実力を磨いていったという。弱冠18歳であのフランク・ザッパのバンドに加入、今までにないそのプレイは、多くのロック・ファンを驚かせた。その後の活躍はご存知の通り。スーパー・テクニックを聴かせるギタリストの先駆である。
−2006年05月26日作成−
K.クリムゾンなどで活躍、トニー・レヴィンが誕生
ロック・シーンで幅広く活躍するベーシスト、トニー・レヴィンが米国ボストンに生まれる。ブルックリンで育った彼は、10歳でアップライト・ベースを手にした。高校生になるとチューバも覚え、クラシックに親しんでいたという。そんな彼がジャズやロックの道に進んだのは、音楽学校時代にスティーヴ・ガッドと出会ってから。スタジオ・ミュージシャンとしてジョン・レノンらの作品でプレイし、後にはあのキング・クリムゾンのメンバーに迎えられたテクニシャンである。
−2007年05月29日作成−
真心ブラザーズの桜井秀俊が誕生
真心ブラザーズの桜井秀俊が神奈川県に生まれる。どちらかというと華のあるYO-KINGに比べ地味な印象の桜井だが、「モルツのテーマ」「ループスライダー」などは桜井の楽曲。ヒットの打率としては桜井の方がちと上な印象だ。真心以外の活動にも積極的で、桜井秀俊&パイオニアコンボ、世紀の(?)ポップ・デュオ、セキララ(つぶやきと桜井)、ポンキッキーズのコニーちゃんのデビュー曲「なまでこ」の作曲&編曲なども担当している。
−2001年05月25日作成−
フリッパーズ・ギター、名作『カメラ・トーク』を発売
“渋谷系”の代名詞、フリッパーズ・ギターの2ndアルバム『カメラ・トーク』が発売。前作からのネオ・アコ路線はそのままに、フレンチ・ポップスや映画音楽の要素を大いに取り入れた楽曲やその手法は、多くの人に影響を与えた。また、セールス的にもドラマ『予備校ブギ』の主題歌「恋とマシンガン」も収録されていたということもあり、成功。彼らの楽曲に元ネタやパクリが意図的かつ大量に使用されているのは周知の事実だが、「恋とマシンガン」はイタリアの犯罪コメディ映画「黄金の七人」のテーマ曲。
−2002年05月27日作成−
クイーンがシングル「炎のロックンロール」でデビュー
クイーンのデビュー・シングル「炎のロックンロール」は、マスコミや批評家に酷評された。夏に行なったキャンペーンも不評を買い、ラジオでもオンエアされずに散々だった。だが、それをものともせずアルバムは17週連続でチャートイン。ゴールド・ディスクを獲得し、“レッド・ツェッペリンの後継者”と呼ばれた。このことから、クイーンはいまだにマスコミ嫌いだという。なお、この翌年ごろから、ライヴ前に観客たちが「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」を歌うのが恒例となった。
−2003年05月27日作成−
『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ、誕生
(2001年)
『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する架空の人物。同作品の主人公。エヴァンゲリオン初号機パイロットであり、サードチルドレン。普段は第3新東京市第壱中学校の生徒。性格は非常に内向的である。原因に母であるユイの死と父であるゲンドウに捨てられたというトラウマが関係している。「逃げちゃダメだ!」のセリフはあまりにも有名である。声優は緒方恵美。シンジと偶然にも誕生日が一緒である。
−2008年05月29日作成−
脚本家、山田太一が生まれた日
山田太一が生まれる。小説家、また脚本家として主にTVドラマなどで活躍、1970年代には倉本聰、向田邦子と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれた。落ちこぼれ大学生3人の青春を描いたドラマ「ふぞろいの林檎たち」や映画『少年時代』(第45回毎日映画コンクール日本映画大賞受賞作品)など、数々のヒット作を手掛けている。
−2007年05月22日作成−
ビートルズ365:ビートルズ、EMIにてテスト・レコーディング
ビートルズはこの日初めてアビイ・ロード・スタジオにてセッションを行なった(ピート・ベストにとっては最初で最後のEMI録音となった)。第2スタジオで午後7時から3時間行なわれたこのセッション。ジョージ・マーティンのアシスタント、ロン・リチャーズの指揮のもと、多くの曲を演奏したのち、オーディションに合格。レコーディング開始OKが出ると、「ベサメ・ムーチョ」「ラヴ・ミー・ドゥ」「P.S.アイ・ラヴ・ユー」「アスク・ミー・ホワイ」の順番に4曲を録音した。マーティンは、エンジニアのノーマン・スミスが「ラヴ・ミー・ドゥ」に興味を持ち、テープ・オペレーターのクリス・ニールに呼びに行かせるまでスタジオにはいなかったそうだ。結果、セッションに最後まで立ち会ったマーティンは、ビートルズの音楽だけでなく、ユーモア・センスも気に入り、契約書に最終的な署名をする手配をした。
−2006年05月26日作成−
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