ブロンディの看板、デボラ・ハリーが誕生
ブロンディの看板シンガーとして活躍したデボラ・ハリーが米国に生まれる。マイアミで生まれた彼女は、養女としてニュージャージーのハリー家で育てられた。さまざまな仕事をこなしつつ、60年代半ばから音楽活動を開始、68年にはWind In The Willowsというフォーク・グループでデビューを果たしている。アルバム1枚でこのグループが終焉すると、70年代にブロンディを結成。その後の活躍は説明不要だろう。
−2006年06月28日作成−
ヒップホップ界の姐御、ミッシー・エリオットが誕生
フィメール・ラッパーのミッシー・エリオットが米国ヴァージニア州に生まれる。本名はメリッサ・エリオット。もともとは“Sista”というR&Bグループで活動していた彼女は、ジョディシのデヴァンテに見初められ、デビューのきっかけを掴んだ、というのは有名な話。プロデュースやソングライティングで経験を積んだ後、ラッパーとしてシーンに躍り出るや、瞬く間に人気を獲得していく。CMや映画への出演など、話題に事欠かないヒップホップ界の姐御である。
−2007年06月28日作成−
アカデミズム嫌いの“変人”音楽家、エリック・サティが死去
変わり者の音楽家としても有名な作曲家、エリック・サティが肝硬変に加え肋膜炎を併発し極貧状態で病院で死去。死後、友人たちがはじめて入った部屋は、洞窟にクモの巣がはったようなところだったという。13歳でパリ音楽院に入学するが、アカデミズムを嫌ってカフェのピアニストをしながら、大胆な着想と奇抜な表題の作品を発表。単調でありながらも叙情的な「ジムノペディ第1番」などが有名で、この曲は北野武監督映画『その男、凶暴につき』などでも印象的に使われている。
−2001年06月26日作成−
視聴者投票802,157票、鈴木あみがデビュー
事実上の引退状態から、2004年4月に復帰を果たした鈴木あみ(復帰後は亜美)、テレビ番組『ASAYAN』のオーディションでダントツの視聴者票を獲得し、デビュー。おてんばで目立ちたがり屋で、小さい時から歌手にあこがれていた彼女の口癖は「スカウトされるためにはどうしたらいい?」。しかし、陸上部の練習が忙しくなかなか東京に行けなかったために、『ASAYAN』のオーディションに参加したという。家族は結束が固く、唯一の家訓は“何でも自分でやる”。
−2002年06月24日作成−
『魔法の天使クリィミーマミ』の放送が開始される
(1983年)
83年7月1日から84年6月29日にかけて全52話が日本テレビにて放送された、スタジオぴえろ作のTVアニメ。ぴえろ魔法少女シリーズ第一作。ある日、助けた妖精のピノピノから、そのお礼として1年間だけ魔法のステッキと使い魔を授かった主人公・森沢優。さっそく魔法の力で16歳の姿に変身して街を歩くと、芸能プロダクションにスカウトされ、大人気アイドル・クリィミーマミとして活躍することに……。続編に『魔法の天使クリィミーマミ 永遠のワンスモア』『魔法の天使クリィミーマミ ロング・グッドバイ』がある。
−2008年06月30日作成−
トッド・ラングレンの娘だった!? 女優リヴ・タイラー誕生
リヴ・タイラーが米国メイン州ポートランドに生まれる。父親はエアロスミスのスティブン・タイラー、母は70年代の売れっ子トップ・モデル、ベベ・ビュエル。しかしながら二人は彼女が物ごころつく前に離婚していたため、母親の交際相手だったトッド・ラングレンを父親と教わり育った。エアロスミスの「クレイジー」という曲のミュージック・ビデオにも出演しているが、やはり印象的なのが映画『アルマゲドン』での親子共演か。
−2007年06月20日作成−
ビートルズ365:ジョンとヨーコ、交通事故にあう。
ジョンとヨーコ、ジュリアンとキョーコを連れてスコットランドを旅行中に自動車事故を起こした。原因はジョンが誤ってハイウェイをはみ出したこと。負傷した4人はサザンランドのローソン・メモリアル病院に入院。ヨーコは頭を14針縫う大怪我を負った。軽症のジュリアンは叔母のミミが連れて帰り、ジョン、ヨーコ、キョーコの3人は6日に退院。600ポンドでチャーターしたヘリコプターでスコットランドへ向かい、そこから飛行機でロンドンへ戻った。
−2006年06月26日作成−
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