盲目のギタリスト、ジェフ・ヒーリー誕生
ブルース・ギタリスト、ジェフ・ヒーリーがカナダのトロントに生まれる。1歳の時に眼球の癌により視力を失うが、3歳からギターを弾き始め、17歳でバンドを結成したそうだ。88年に『シー・ザ・ライト』でデビュー。このアルバムが米国でプラチナムを記録する大ヒットに。椅子に腰掛け、ギターを膝に乗せてプレイするスタイルも話題となった。90年代、ジョニー・ラングなどの若手白人ブルース・ギタリストが注目されたが、その先駆者だったと言えるだろう。
−2006年03月02日作成−
偉大なる女性ソウル・シンガー、アレサ・フランクリンが誕生
女性ソウル・シンガーの大御所、アレサ・フランクリンが米国メンフィスに生まれる。父親は教会の牧師、母親はゴスペル・シンガー。デトロイトで育った彼女だが、母親は10歳で家族のもとを離れた。しかし、マヘリア・ジャクソンをはじめとするゴスペル・ミュージシャンに囲まれて成長し、音楽的才能を開花させることに。デビュー後はしばらく苦難の時期を過ごしたが、自身のルーツであるゴスペル色を前面に押し出し大成功。後続にも大きな影響を与えている。
−2007年02月28日作成−
狩人が「あずさ2号」でデビュー
兄弟デュオ、狩人がシングル「あずさ2号」でデビュー。竜真知子の作詞、都倉俊一の作曲によるこの曲は、この年を代表する大ヒットとなった。「あずさ2号」とは、特急列車の名前。愛する人と別れ、その列車に乗って都会から信州へと旅立つ女性の心情を歌った名曲である。あまりにもこの曲のインパクトが強すぎるため、一発屋のイメージを持たれやすい狩人だが、地道に活動を継続し、90年代にはテレビをきっかけに再浮上。解散したのは2007年だった。
−2008年02月27日作成−
「音楽言葉遊び」を極めた嘉門達夫、大阪に生まれる
歌手の嘉門達夫、大阪府茨木市に生まれる。本名は鳥飼達夫。高校在学中に笑福亭鶴光に入門。関西のラジオ番組を中心に活躍するが、落語界に馴染めずに破門される。そして81年に出会った桑田佳祐(サザンオールスターズ)の別名・嘉門雄三を譲り受け、嘉門達夫として再スタート。ギターの弾き語りでコミックソングや替え唄を歌い、「寿限無NO1」「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」などヒット曲を連発する。ユーミンに「これだけは替え歌にしないで!」と言われた「卒業写真」もバッチリ変曲。この潔さがナイスです。
−2001年02月21日作成−
エルトン・ジョンが誕生
世界的エンターティナー、エルトン・ジョン、イギリスのミドルセックス州に生まれる。アルバムが7枚連続全米No.1を記録、「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」が世界的に大ヒットなどなど、その輝かしい功績はまさにスターの名にふさわしい。贅沢な生活や同性愛問題などなど、スキャンダラスな話題もかなり多いが、2002年には「昨夏に発売したアルバムが最後のアルバムになるだろう」と発言した。当時、エルトンはビリー・ジョエルとともにツアー中。その後も自身のツアーが待っている状態で、ホントに最後なの? と話題を呼んだが…。
−2002年02月25日作成−
沖縄の風を吹き込んだMAXのナナ、誕生
スーパーダンスグループ・MAXのナナ、誕生。両親の反対をふり切って上京し、安室奈美恵のバックダンサー・スーパーモンキーズのメンバーとしてデビューする。後には両親も応援してくれるようになったらしい。沖縄アクターズスクールのメンバー4人から結成されたスーパーモンキーズ、安室のソロデビューと共に、スーパーモンキーズからMAXに改名。当時、知念里奈やDA PUMPなども相次いでデビューし、音楽界に沖縄ブームを巻き起こすきっかけとなった。ちなみにMAXデビュー時のキャッチコピーは、「'95年型ピンクレディー」。
−2003年02月27日作成−
声優、柴田秀勝が生まれる
1937年、声優の柴田秀勝が東京都に生まれる。キャラクターを演じることはもちろん、ナレーションまでこなすベテラン俳優。『デビルマン』魔王ゼノン、『マジンガーZ』あしゅら男爵、『銀河鉄道999』機械伯爵など渋い声質を生かした、威厳ある地位の高い役柄を演じることが多い。特撮では“スーパー戦隊シリーズ”の所謂“悪の首領”役を多数務めている。
−2009年03月20日作成−
竜泉こと、堀部圭亮が生まれる
1966年3月25日、堀部圭亮が東京都で生まれる。勝俣州和とのコンビ「K2」での活躍に加え、ソロとしても多くのバラエティ番組に出演。また「竜泉」というペンネームで放送作家としても活躍しており、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』などでその手腕を発揮している。近年は役者活動にも力をいれており、TVドラマ、舞台、映画など、数多くの出演をこなしている。さらに2007年には、ネット発のギャグ・マンガ『やさぐれぱんだ』の実写版映画の脚本・監督を手がけるなど、多彩な活動ぶりを続けている。
−2008年03月20日作成−
ビートルズ365:ロンドンにて「ブッチャー・カヴァー」のジャケット撮影。
ロンドンのチェルシー地区にて「ブッチャー・カヴァー」の撮影が行なわれた。カメラマンはロバート・ウィタカー。アルバム『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』のジャケットやシングル「ペイパーバック・ライター」の英国でのプロモーションなどに使用された。英国では問題が起きなかったが、米国ではクレームが殺到。そのためアルバムは回収され、別ジャケットへ差し替えられた。この「ブッチャー・カヴァー」はアルバムを切り売りする米キャピトルへの抗議と考えられているが、書籍の『アンソロジー』によるとカメラマンのアイディアであったらしく、ジョンだけが乗り気だったそうだ。
−2006年03月08日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。