ドリカムの吉田美和、7年半ぶりのソロ作発売
DREAMS COME TRUEの吉田美和が、7年半ぶりとなる2ndソロ・アルバムをリリースした。タイトルは『beauty and harmony 2』。ドリカムで散々唄っているんだから、ソロなんて不要じゃないの?と言うなかれ。このアルバムのプロデュースはサム・クックやスティーリー・ダンを手掛けたアル・シュミット。R&B/ソウル色の濃い楽曲などもあり、ドリカムの明るいポップス路線だけではない、素晴らしい歌の技量を聴かせてくれるのだ。
−2006年04月24日作成−
ボブ・シーガーが誕生
いかにも米国らしいロックンロールを聴かせる男、ボブ・シーガーがデトロイトに生まれる。彼が音楽活動を開始したのは16歳の時で、The Decibelsなるバンドのメンバーとしてだった。このバンドはどうやらアセテート盤を制作したらしいが、成功を収めるには至っていない。しかしこの時、後にマネージャー/プロデューサーとなるパーチ・アンドリュースとすでに出会っていたそうだ。60年代後半以降、本国では高い人気を誇っている。
−2007年04月26日作成−
ドリカムの吉田美和が誕生
Dreams Come True(DCT)の吉田美和が北海道に生まれる。'88年に中村正人らとともに結成されたDCTは、翌年「あなたに会いたくて」でデビュー。低音部も完璧に歌いこなす吉田の才能は、かの和田アキ子も絶賛。DCTでヒット曲を連発しながらも、ソロやFUNK THE PEANUTS、Misiaとのコラボレーションや海外新出など精力的に活動を続けている。吉田は「ポップス界のプリマ」として、米TIME誌に日本人女性として初(皇室以外)の表紙も飾っている。
−2001年04月23日作成−
元ピチカート・ファイブの高浪敬太郎が誕生
元ピチカート・ファイブの高浪敬太郎生まれる。青山学院大学のサークルで一緒だった小西康陽らとピチカート・ファイブを結成し、細野晴臣のレーベルからデビュー。その後Vo.が田島貴男→野宮真貴と変遷した'94年。高浪は同バンドを脱退。ピチカートはその後、小西&野宮コンビで世界を股にかけ活躍をするが、暖かみのある高浪のサウンドが好きだったファンは離れていったりもした。その後、アレンジャーや選曲家として活躍し、'98年には元ポータブル・ロックの鈴木智文とKC'sを結成。手作りのウッディなサウンドを送り出している。
−2002年04月24日作成−
アニメーターの“りょーちも”が生まれる
(1979年)
1979年5月6日、アニメーターの“りょーちも”が兵庫県に生まれる。本名は澤良輔。別名義として“澤りょーらも”などもある。スカウトにより『BECK』で初原画を担当して以来、『創聖のアクエリオン』『ノエイン もうひとりの君へ』『時をかける少女』など、多くの話題作で原画を手がける。2007年にはGyaOでのみ公開された『トラボルタ』で原作・作画・アニメーションを担当。また2008年と2009年に2シリーズが放送された『鉄腕バーディー DECODE』ではキャラクター・デザインと総作画監督を手がけた。今注目の新進アニメーターの一人。
−2009年04月30日作成−
若き天才、オーソン・ウェルズ誕生
オーソン・ウェルズ(映画監督、脚本家、俳優)が生まれる。1938年のラジオドラマ『宇宙戦争』が全米で放送されるやいなや、実際に起きている出来事だと思い込んだ聴衆がパニックに陥った話はあまりにも有名。また、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした映画『市民ケーン』では弱冠25歳で制作・監督・脚本・主演を務め、アカデミー脚本賞を受賞。時間軸をパズルのようにバラした構成や、撮影監督グレッグ・トーランドによる人の目線の高さと同じ位置にしたカメラアングル、そしてパンフォーカス手法の代表作として、映画史に深く名を刻んだ。
−2007年04月25日作成−
ビートルズ365:ATV社、ノーザン・ソングスを買収。
ブライアン・エプスタインとディック・ジェームズが63年に設立した、楽曲管理を行なう音楽出版社ノーザン・ソングス。ディック・ジェームズは、自身が持つ株をATV社に売却。すると、ビートルズ側とATV社の間で残りの株の買い取りが始まり、結果、ビートルズが敗北。この結果ATV社がノーザン・ソングスの筆頭株主となり、事実上ATV社のものになった。そして、当時ビートルズのマネージャーだったアラン・クラインが、ビートルズの持ち株をジェームズの倍の値段でATV社に売る事で決着がついた。80年代にATV社は売却されたが、そこでこのATV社を購入したのがマイケル・ジャクソンだった。
−2006年04月24日作成−
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