スティーヴ・ウォルシュ(カンサス)、誕生
カンサスのシンガー兼キーボード奏者、スティーヴ・ウォルシュが米国ミズーリ州に生まれる。バンド名でもあるカンサスに移り住んだのは12歳の時。ヴァニラ・ファッジやアイアン・バタフライを好んだというスティーヴは、唄うことはもちろん鍵盤楽器にも非凡な才能を見せていたとか。事実、後にカンサスとなるバンドに加入したのはキーボーディストとしてだったらしい。かつては艶のある声が武器だったが、年齢を重ねるにつれハスキーに。それもまた魅力的である。
−2006年05月26日作成−
ウエス・モンゴメリーが死去
ジャズ・ギターの革命児とも謳われるウエス・モンゴメリーが死去。45歳という若さだった。親指によるピッキング、オクターヴ奏法など、それまでのジャズ・ギターとは違う独創的なプレイで人気を博し、後続に多大な影響を与えたことでも知られている。彼の死因ははっきりしたことが公表されておらず、愛して止まなかった煙草に起因する病気だった、ドラッグ渦だった、はたまた過労によるもだったなど、さまざまな憶測が飛び交っている。
−2007年05月29日作成−
坂本九の「スキヤキ」、全米チャートNo.1
「明日があるさ」のリバイバル・ヒットで、若者にも知名度がグンとあがった坂本九の国民的ヒット作「上を向いて歩こう」が、ビルボードで1位を獲得。アメリカでは「スキヤキ」と改題されて売り出された同曲であったが、当時、外国語の歌が1位になるのは初めてだったという。では、なぜ“スキヤキ”なのか。そもそも英国のジャズマン、ケニー・ポールが同曲をカバーするときに、英国人に有名な日本語“スキヤキ”にしたことが事の起こり。そのままのタイトルでアメリカにも行ってしまったというわけなのであった。
−2001年05月25日作成−
ジャズ界のファースト・レディ、エラ・フィッツジェラルド死去
50年以上もジャズ界のトップ・ヴォーカリストとして君臨し続けた、エラ・フィッツジェラルドが死去。死因は明らかにされていないが、数年前から持病の糖尿病が悪化し、'93年には糖尿病の合併症のため両足の切断手術を受けていた。ホームレスとして極貧の十代を過ごすが、'34年ニューヨークのアポロ劇場のアマチュア・ソング・コンテストで優勝、デビューに至る。広い音域と澄んだ歌声、抜群のテクニックやスイング感で多くの人を魅了し、〈ザ・ファースト・レディ・オブ・ソング〉と称されるほどの逸材であった。
−2002年05月27日作成−
ウォーホル追悼で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド復活
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに目をつけた、アンディ・ウォーホルは、早速バンドプロデュース業に挑戦。歌姫にニコを加入させ、1967年にファースト・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』をリリースさせた。しかし飽きっぽい彼はわずか1年で興味を失い、バンドはルー・リードとジョン・ケイルの仲違いにより'69年に解散。だが、ウォーホル追悼イベントで、ジョンはルーの曲を歌った。なお、この二人による追悼アルバムでは「邪険にしてごめん、アンディ」という曲があったという。
−2003年05月27日作成−
「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」ドラえもんのジャイアン、誕生
(????年)
本名、剛田武。のび太の同級生。みんなからジャイアンと呼ばれている。乱暴なガキ大将だが友情に厚い。アニメシリーズでは、のび太に酷いいじめをするが映画版では友情に厚い一面を見せる。学校ではいばり散らしているが親に頭が上がらず、妹のジャイ子には優しいお兄さん。歌手になるのが夢だが、ひどい音痴で近所中が迷惑している。憎めないガキ大将だ。
−2008年06月04日作成−
名悪役、室田日出男逝く
俳優・室田日出男が逝去。1957年に東映の第4期ニューフェースに合格、翌年映画デビューを飾る。脇役、悪役を中心に映画やテレビ約700本に出演、バラエティには出演しなかった。深作欣二監督『仁義なき戦い』シリーズでみせた憎々しいほどの悪いイメージが印象的、その役者哲学は死後もなお多くの役者から支持されている。
−2007年05月22日作成−
ビートルズ365:ジョンとヨーコが平和を祈念してドングリを植えるイベントを開始
ジョンとヨーコ、イギリスのコベントリー大聖堂の庭に、平和のシンボルとして2粒のドングリの実を並べて植えるイベントを行なった。これは「全イギリス彫刻展」に出品したアートのひとつ。2粒のドングリの実を植え、東と西が一つになるユートピアの観念を表わしたアートであった。ヨーコの話によると、このアイディア自体はジョンの発案だそう。翌69年に2人は世界各国の大統領や首相に、小さな箱に入れたどんぐりを「愛と平和の小包」として送り、植えてもらうように依頼するという平和イベントを行なった。ちなみに日本で受け取ったのは、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作首相だった。
−2006年05月26日作成−
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