モンタレー・ポップ・フェスティバルが開幕
(1967年)
伝説のフェスティヴァル、モンタレー・ポップ・フェスティバルが開幕した。3日間に渡るこのフェス、初日に出演したのはアニマルズ、サイモン&ガーファンクル、アソシエイションなど。しかしながら、3日目のジミ・ヘンドリックスによるギター炎上パフォーマンスにより、後にこのフェスは彼のものになってしまった。これが彼の米国デビューというのも伝説の一端。出演陣には他にザ・フーやジャニス・ジョプリンなどが名を連ねている。
−2006年05月26日作成−
スクリーミング・ロード・サッチが死去
ブリティッシュ・ロック・マニアなら必ず名前を耳にする、スクリーミング・ロード・サッチが首を吊って自殺。58歳だった。以前から鬱病の兆候が見られたそうで、この前年には母親を失っている。70年代初頭、ジミー・ペイジやジョン・ボーナム、ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモアらが参加した作品を発表しているのだが、どうもその経緯が曖昧で、謎の男とされている。まさか死によって実態が掴めなくなるとは、実に残念な話だ。
−2007年05月29日作成−
息子も話題なギタリスト、CHAR誕生
日本を代表するギタリスト・CHAR、東京に生まれる。そのギター・テクニックは幼少の頃からズバ抜けており、中学生の頃からスタジオ・プロとして活動。伝説のバンド「SMOKY MEDICINE」を経て、'77年にはソロで「気絶するほど悩ましい」などをヒットさせる。ちなみに、「RIZE」のボーカル・ジェシーは彼の息子。また同バンドのドラムはCHARとかつてバンドを組んでいたジョニー吉長&金子マリの息子・金子統昭でもある。
−2001年05月25日作成−
パラッパラッパーの生みの親。松浦雅也、誕生
マルチメディア・音楽家として名を馳せる、元PSY・Sの松浦雅也、大阪に生まれる。'85年にヴォーカリストChakaとPSY・Sを結成。デビュー当初から電子楽器を多用し、打ち込み+Chakaのよく通る声が人気を呼んだ。バンド活動中も、'93年には日本人ミュージシャン初のCD-ROMソフトを発売。'96年にバンドは解散するが、その直後に発売されたプレイステーション・ソフト『パラッパラッパー』が大ヒット。Chakaの後ろでひょろ〜っとキーボードを弾いてるただの長髪の人(←失礼!)だと思っていたら、大間違いですぞ。
−2002年05月27日作成−
ストーンズ、麻薬で逮捕
ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズの3人が、麻薬不法所持により逮捕。1964年にデビューした彼らのデビュー・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』は、ビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』に代わって1位に輝いた。だがそのイメージはテレビによりますます悪化。ついに'67年のこの日、キース宅に麻薬の捜査が入り逮捕される。結局、無罪や微罪として処理されたが、反骨精神あふれる彼らは、次のシングルで留置所の檻が閉まる音を使い、話題をさらったという。
−2003年05月27日作成−
『タッチ』の上杉達也と上杉和也が生まれる
(1968年)
人気漫画家・あだち充の代表作『タッチ』の主人公である双子の兄弟、上杉達也と上杉和也が生まれる。『タッチ』(「週刊少年サンデー」81〜86年連載)は、いわゆる“スポ根もの”とは違い、高校野球をテーマに上杉兄弟と幼なじみの浅倉南との恋愛模様が描かれた、スタイリッシュなスポーツ漫画の代表格。大きな反響を呼んだTVアニメのほか、2005年には原作をベースにしたオリジナル・ストーリーの実写映画が公開されるなど、時代を超えた人気を誇る。
−2008年06月15日作成−
京都は日本の宝どす。映画『舞妓Haaaan!!!』本日公開
映画『舞妓Haaaan!!!』が公開。“一見さんお断り”“野球拳”という独自な世界に興味を持っていた宮藤官九郎がシナリオを執筆、テレビドラマ「僕の魔法使い」でタッグを組んだ水田伸生監督と再び手を組んだ痛快コメディ映画。公開に先駆け“グループ魂に柴咲コウが”名義で主題歌「お・ま・え ローテンションガール」もリリースされる。
−2007年05月22日作成−
ビートルズ365:「マージービート・ショーケース」に出演
エセックスのロムフォードでジョン・スミス主催の「マージー・ビート・ショーケース」が開催(6回目・最終回)。出演はビートルズのほかに、ビリー・J・クレイマー・アンド・ザ・ダコタス、ジェリー・アンド・ザ・ペースメイカーズなど。また、この回にはその週のシングル・チャートで1位から3位を占めていたアーティストがメインとして出演した画期的なものであった。ブライアン・エプスタインはさらに5回の公演を計画していたのだが、各バンドの短期間での大成功も手伝って、スケジュール調整が難航。残りの回すべてをキャンセルせざるを得なくなってしまった。
−2006年05月26日作成−
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