「ZOO」は久々のシングルでした、菅野美穂が誕生
菅野美穂が埼玉県に生まれる。デビューはアイドル・グループ、桜っ子クラブさくら組の一員としてだった。1995年にソロ・デビュー、同じ年に1stアルバムもリリースする。翌96年にも2枚のシングルを出したが、その後は女優としての地位を完全に確立したこともあり、歌手活動は途絶えることに。そんな彼女が再び歌声を聴かせたのは2000年。ドラマの役柄である“蓮井朱夏”として、エコーズのカヴァー「ZOO〜愛をください〜」をヒットさせた。
−2006年07月25日作成−
トーリ・エイモスが誕生
女性シンガー・ソングライターのトーリ・エイモスが、米国ノースカロライナに生まれる。本名はマイラ・エレン・エイモス。2歳からピアノを弾き始め、5歳の頃にはすでに作曲を開始、しかもこの年齢で音楽院の奨学生にまでなっている。さらに、9歳になると作詞まではじめたというから驚きだ。が、ロックに目覚めたため、11歳で学校は辞めたらしい。どこか深遠で、強力な個性を感じさせるその作風は、天才的な感覚を常に漂わせている。
−2007年07月26日作成−
小さな頃から貴族趣味、のドビュッシー生まれる
「亜麻色の髪の乙女」「牧神の午後への前奏曲」などで有名なフランスの作曲家・ドビュッシー。パリ郊外で生まれた彼は、額の骨が突き出た奇妙な顔の少年だったとか。おまけに、ブルボンヌの有名菓子店で、友人が一番安いキャンディを食べているときでも、上等の菓子をほんの少し選ぶほどの貴族趣味の持ち主だったといわれている。年をとってからも、服装はダンディズムの極地であったが、太り気味で筋肉がたるみ、あだ名は〈脳水腫にかかったキリスト〉。ただ、子供の頃から感受性が強く、それがあの数々の名曲につながっているのかもしれない。
−2000年07月14日作成−
ラルク、計60万人動員したツアー終焉
L'Arc〜en〜Cielが全国ツアー「1999 GRAND CROSSTOUR」のファイナル公演を東京ビッグサイト駐車場で行ない、前日と合わせて25万人を動員した。12公演で60万人動員という大がかりなツアーの最終日。Hyde(vo)の「暑かった? おれたちがもっと熱くしてやるから。カモン・ベイビー!」というかけ声とともにライヴは開始され、ヒット曲計20曲を熱唱した。この模様は中国・東南アジア圏にも放送され、計1億人を熱くさせたという。
−2001年07月25日作成−
忍者、「お祭り忍者」でデビュー
記録よりも記憶に残るジャニーズ歌手・忍者がデビュー曲「お祭り忍者」を発表。元々は少年隊のバックダンサーとして、'85年に「少年忍者」の名で結成された彼ら。'90年4月の「忍者」改名時に古川栄司を加えて7人となり、この衝撃的なデビュー作を世に放つ。同曲は全日本歌謡音楽祭やFNS歌謡祭など、数々の新人賞を総ナメ。少年隊・光GENJIの先輩とともに紅白歌合戦出場も果たした。デビュー当時のキャッチフレーズは「世界は忍者を待っている」。世界にもこの曲が、届いたのであろうか???
−2002年07月25日作成−
『機動戦士ガンダム00』のBlu-ray Disc化がスタート
(2008年)
2008年8月22日、「ガンダム」のTVシリーズとしては初のハイビジョン制作/放送作品である『機動戦士ガンダム00』のBlu-Ray Disc化が開始される。第1巻(2話収録)と第2巻(4話収録)が同時リリースされた。“ガンダムの新しいスタンダード”を目指す『ガンダム00』では、年代表記を初めて“西暦”に設定。実際の世界と“地続き”の世界を舞台に、よりリアルに戦争を描いている。BD版は1080pのフルHDに対応し、音声データはリニアPCMを採用。ハイビジョン画質で制作された『ガンダム00』を本来のクオリティで楽しむことができる。
−2008年08月14日作成−
北川景子が生まれる
北川景子の誕生日。兵庫県神戸市出身。ファッション誌の専属モデルを経て、ドラマ「美少女戦士セーラームーン」のセーラーマーズ(火野レイ役)で女優デビュー。東京を舞台にしたハリウッド映画『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』では主演の一人に大抜擢され、メカニック役を演じるにあたってノー・メイクで出演するなど、徹底した役作りで高評価を呼んだ。「DoCoMo 2.0」のCMに出演し、人気も急上昇。
−2007年07月10日作成−
ビートルズ365:リンゴ、ビートルズを一時脱退。
ビートルズの中に流れる歪んだ空気に耐えられなくなったリンゴは、この日の第2スタジオでのセッションが始まってすぐに、ビートルズから離脱してしまった。このことは、事情を知っていた人たちの誰もが堅く口止めされたため、マスコミまでは届くことはなかった。しかし、リンゴが今後どうするか考えるために国外を旅しているあいだにも、セッションは続けられた。ドラマー不在の最初のセッションとなったこの日、3人は「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」のレコーディングを開始。ドラム(ポール)、リード・ギター(ジョージ)、ベース(ジョン)という編成で、ベーシック・リズム・トラックを5テイク録音した。のちにリンゴはこの曲でのポールのドラムの腕前をほめている。
−2006年07月24日作成−
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