B.サバスのうねりを支えるベーシスト、ギーザー・バトラーが誕生
ブラック・サバスのベーシスト、ギーザー・バトラーが英国バーミンガムに生まれる。本名テレンス・マイケル・バトラー。オジー・オズボーンとは同じ学校に通っており、10代から一緒にバンドを組んでいた。当初、ギーザーはリズム・ギターをプレイしていたらしいが、サバスの前身となるEarthを始動させるとベースに転向する。もちろんトニー・アイオミがいたからだが、あのうねるようなベース・プレイを生んだ訳で、この転向は正解だったということか。
−2006年06月28日作成−
スリランカ出身の女性MC、M.I.A.が誕生
英国を拠点に活動する女性MC、M.I.A.がロンドンに誕生。本名はマサンギ・“マヤ”・アルプラガサム。生後間もなくスリランカへと移住するが、武装派組織LTTEのメンバーだった父親とは生き別れに。戦火に追われ、家族は再び英国へと移り住む。ヒップホップやダンスホールなどに出会ったマヤは、2000年代に入るとクラブ・シーンで話題に。M.I.A.という名前は、Missing In Action(戦闘中行方不明)の略で、父親へのメッセージらしい。
−2007年06月28日作成−
あくなき探求者、コルトレーン死去
テナーサックス奏者ジョン・コルトレーン、肝硬変のためニューヨークで死去。父親に音楽の手ほどきを受けたコルトレーンは、19歳でプロ・デビュー。後に同じくジャズの巨人となるソニー・ロリンズとともに、黄金期を迎えていたマイルス・デイヴィスのシゴキを受ける。代表曲は「ジャイアントステップス」「至上の愛」など数知れず。常にスタイルを変え、そのアヴァンギャルドな演奏で崇拝者も多いコルトレーンだが、その実、飽くなき探求心と意欲で一時代を築いた努力の人なのでもあった。
−2001年06月26日作成−
黒人という宿命を背負って生きた女王、ビリー・ホリデイ死去
不幸な生い立ちからにじみ出る、気迫のブルース魂が多くの人を魅了した歌手、ビリー・ホリデイが死去。長年に渡る麻薬と深酒がその原因であった。15歳の父と13歳の母との間に生まれたビリー。10歳で強姦された時には、被害者であるにもかかわらず人種差別により不良少女として扱われ、感化院に送られたりもした。15歳で才能が認められ、歌手としてデビュー。'39年には「奇妙な果実」がその歌詞の内容とあいまって大ヒットもするが、差別問題はどこへでもついてまわり、次第に麻薬と酒に溺れていったという。
−2002年06月24日作成−
先見の明あり。スペンサー・デイヴィス誕生
1960年代の英国で活躍したスペンサー・デイヴィス・グループ。そのリーダーであるスペンサー・デイヴィスが生まれる。彼が目を付けたのが天才少年スティーヴ・ウィンウッドだった。弱冠16歳の彼のヴォーカルは、レイ・チャールズの再来と言われたほど。'63年にデビューし、徐々にスティーヴがオルガンやギターの才能も発揮。代表作は「ギミ・サム・ラヴィン」で、'99年の大ヒット映画『ノッティングヒルの恋人』でも使われている。なお、バンドは'67年にスティーヴが脱退して酷評されたが、スペンサーは精力的に新曲を発表しつづけた。
−2003年06月25日作成−
『ドカベン 甲子園への道』が劇場公開される
いまだ根強い人気を誇る水島新司の野球漫画を原作とした劇場アニメ。同年春の第1弾に続き、夏の「東映まんがまつり」で公開された劇場アニメの第2弾作。ドカベンこと山田太郎のいる明訓高校と、神奈川最強と呼ばれる投手・不知火のいる白新高校との、甲子園を目指した対戦が描かれている。不知火に7回までパーフェクトに抑えられた明訓高校だったが……。
−2008年07月11日作成−
映画『スチームボーイ』が公開された日
映画『スチームボーイ』の公開が始まる。『AKIRA』の大友克洋が監督、19世紀のスチームパンク的世界観を背景に、発明少年の冒険を描いたSFアニメ映画。企画立案から10年という長い期間を経て製作、入念に描かれたカットの数々がダイナミックなカメラワークによってよりリアルになり、素晴らしい完成度でファンを魅了した。劇中で流れるエモーショナルな音楽は『テキサス・チェーンソー』の音楽を手掛けたことでも知られるスティーブ・ジャブロンスキーが担当している。
−2007年06月20日作成−
ビートルズ365:映画『イエロー・サブマリン』公開。
映画『イエロー・サブマリン』のプレミア・ショーがロンドンのピカデリー・サーカスにあるロンドン・パビリオン・シネマで開催された。ビートルズはそれに続くパーティにも出席。しかし、ジョージとパティ、リンゴとモーリンは仲良く出席したものの、ジョンはシンシアではなくヨーコを伴い、ポールはジェーンを伴わずに1人で出席した。また、ローリング・ストーンズやトゥイギーなども足を運んだが、キース・リチャーズはファンと間違われためになかなか会場に入ることができず、招待券を見せることでやっと会場入りできた。
−2006年06月26日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。