歌も唄います、クイーンのロジャー・テイラーが誕生
クイーンのドラマーとして知られるロジャー・テイラーが英国に生まれる。幼少期には聖歌隊に在籍していた彼は、ドラムよりも先にギターとウクレレを覚えたらしい。また、歯医者を目指して医療学校に通ったこともあるとか。ミュージシャンとしての彼は、ドラマーとして素晴らしいのはもちろんシンガーとしても独特の声を持っており、初期クイーンでは自作のハード・ロック的なナンバーを歌ってバンドのアクセントになっていた。ソロ活動も盛ん。
−2006年06月28日作成−
エクストリームやV.ヘイレンなどで活躍、ゲイリー・シェローンが誕生
エクストリームやヴァン・ヘイレンに在籍したシンガー、ゲイリー・シェローンが米国マサチューセッツ州に生まれる。5人兄弟の三男で、非常におとなしいものの、創造力と運動能力は高かったらしい。全米No.1シングル「モザ・ザン・ワーズ」など、エクストリームでは大きな成功を収めたものの、ヴァン・ヘイレン加入後はファンに認められず、苦境に立たされる。決して下手なシンガーではないものの、入ったバンドがデカすぎた、ということだろう……。
−2007年06月28日作成−
井上陽水、小規模ライヴハウスで30年ぶりのライヴ
東京・赤坂のライヴハウス、loveで井上陽水がシークレット・ライヴを敢行。“声を出したい”という理由で告知ゼロで行なわれたため観客はわずか50人。「東へ西へ」「傘がない」など次々と名曲を披露し、「少年時代」では「この歌は随分いろんなところで歌ったけど、今日が一番いいね。こんな夜中に赤坂で少年時代……」と言うなど終始ゴキゲンな陽水であった。家族も駆けつけ、計11曲が歌われた熱狂のライヴは翌日の未明まで続いた。
−2001年06月26日作成−
あの悪ガキがナイトの爵位! ミック・ジャガー、誕生
ミック・ジャガー、ロンドンに生まれる。'63年にローリング・ストーンズとしてデビュー。'85年にはソロ・アルバム『シーズ・ザ・ボス』をリリースし、ストーンズ来日が未だ実現していなかった'88年、東京ドームにおける外国人アーティストとして初のライヴを行なったりもした。長年犬猿の仲と言われ続けれていたビートルズとは、米国テロ後のチャリティコンサート以来雪解けムード。2002年6月に行なわれたエリザベス英女王の戴冠50周年を祝うコンサートでもポールと共演している。同年には、英国政府よりナイトの爵位を授かった。
−2002年06月24日作成−
もはや名俳優! デヴィッド・ボウイの舞台公演初日
以前から役者稼業にも熱心であったデヴィッド・ボウイが、舞台『エレファント・マン』の主役ジョン・メリック役に抜擢。26週にもわたるロングラン公演となった。これは19世紀のロンドンで発見された象人間ジョンを、外科医トリーブスが研究するうちに、彼の知性や純粋な心に気付かされていくさまを描く、実話を基にした物語である。なお、この作品は同年デビッド・リンチ監督の手で映画化。ボウイは出演はしなかったが、後にリンチの『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』で出演を果たしている。
−2003年06月25日作成−
芸能界きってのアニメ好き、加藤夏希が誕生
あの中川翔子も“夏希様”と慕う、自他共に認める大のアニメ・ファン、モデル/女優/タレントの加藤夏希が誕生。端整な顔立ちから繰り出されるディープなアニメ/特撮トークは、“アニメ好き女子”のパブリック・イメージを破壊し、ネクスト・ステージを切り開いた。特殊能力を備えたタレントというだけでなく、女優としてのキャリアも着実に積んでいる。仮面ライダー史上初の女性ライダー(仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL/仮面ライダーファム役)としても知られる。
−2008年07月23日作成−
巨匠スタンリー・キューブリックが誕生した日
スタンリー・キューブリックが米国ニューヨークで生まれる。『2001年宇宙の旅』で強烈な印象を放ち、名作を次々と生み出していった映画監督。『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』『シャイニング』では、撮影監督を務めたジョン・オルコットによる繊細なライティングと縦横無尽なカメラ・ワークが光る。常に新しい挑戦を試みていたキューブリックのスタイルに合わせ、逸材で構成されたクルーたちは最善のモードを提案していった。通常の映画は35mmフィルムで撮影されるが、彼の作品の多くは70mmフィルムを用いているため、粒子が細かく圧倒的な高画質映像が味わえる。
−2007年06月20日作成−
ビートルズ365:映画『ヤア!ブロード・ストリート』撮影終了。
ポールが音楽だけでなく、脚本も手がけた映画『ヤア!ブロード・ストリート』の撮影が完了した。この映画は撮影とレコーディングが同時進行で行なわれた。これは従来の音楽映画の常識となっていた口パクを使わず、ハイライト・シーンのほとんどをライブ録音で行なったためである。また、ライヴ・レコーディングを中心にするためゲスト陣は豪華な布陣(デイヴ・ギルモア、ジョン・ポール・ジョーンズなどが参加)となった。「映画を作るからには最高の人間を集める事が僕の理想だった。日頃、僕が聴きたいと思っているミュージシャン。いつもいっしょに仕事をしたいと思っている連中を集めてみたいと思ったんだ」とポールは語った。
−2006年06月26日作成−
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