ディープ・パープルのイアン・ギランが誕生
ディープ・パープルのシンガー、イアン・ギランが英国ロンドンに生まれる。60年代初期から音楽活動をはじめ、エピソード・シックスに加入したのが65年のこと。69年にディープ・パープルに加入して以降、ハード・ロック・シンガーとしての名声を得ることになる。「チャイルド・イン・タイム」などで聴かれるその強烈なハイトーンは凄まじいの一言だが、そのスタイル故か、後年には衰えも指摘された。とはいえ、偉大なる功績を残したことに変わりはない。
−2006年07月25日作成−
クイーンのジョン・ディーコンが誕生
クイーンのベーシストであるジョン・ディーコンが英国に生まれる。10代の頃にはバンドを組んでいたものの、大学に入学後はそれほどシリアスな活動は行なっていなかったらしい。共通の友人を通じてクイーンに加入。メンバーの中で唯一、リード・ヴォーカルを一切取らなかったこともあり、もっとも地味な存在だったことは否定できない。が、「マイ・ベスト・フレンド」をはじめ、名曲の数々を作っている。フレディ・マーキュリーの死後は、半ば引退状態である。
−2007年07月26日作成−
音楽界のサラブレッド、Monday満ちる 誕生
日本が誇るジャズ・ピアニスト秋吉敏子と、アルト・サックス奏者チャーリー・マリアーノの間に生まれたサラブレッド。相米慎二監督の異色作『光る女』で、クラブの歌姫をその濃い顔をいかして好演。数々の賞を受賞し、以後「秋吉満ちる」の名で女優活動を。そして1991年、かねてからの願いがかなってアルバム『mangetsu』で歌手デビュー。活動フィールドをきっぱりと音楽に変え、名前も「Monday満ちる」に改名。その後数々のセッションを経て、クラブ・シーン初の、世界に通じる本格的シンガー・ソングライターとして活躍中。
−2000年07月14日作成−
史上最強3ピースの仕掛け人、ジンジャー・ベイカー誕生
伝説のトリオ・バンド、クリームのds.ジンジャー・ベイカー、ロンドンに生まれる。15歳の時は競輪の選手、その後広告関係の仕事に携わりつつも、突然ドラムに目覚め5ヶ月でプロになるという特異な経歴の持ち主。ジャズ系のバンドを転々として腕を磨き、'66年エリック・クラプトンと、かつて同じトリオにいたジャック・ブルースを新バンドに誘い込む。クリーム解散後もクラプトンとブランド・フェイスなるバンドで活動。ジャンキー経験のあるベイカーは、クラプトンがヘロインに溺れた時に救いの手をのべた、というエピソードもある。
−2001年07月25日作成−
光GENJI、彗星のごとく登場!
光GENJIがシングル「STAR LIGHT」でデビュー。先にバラエティ番組でGENJIと名乗るグループが発足し、レコードデビューが待たれていたが、後に光となる元イーグルスの二人が加わり光GENJIが誕生。歌も踊りもそんなに上手くはなかったが、10代の少年たちが一生懸命にローラースケートで走り回りながら歌う姿、CHAGE&ASKAによる切ない楽曲もウケ、一気に大ブレイク。女子小中学生の間で絶対的な人気を獲得し、誰のファンか、という話題で日々持ちきりとなった。
−2002年07月25日作成−
世界中が涙した感動作のアニメ版『アンネの日記 The Diary of Anne Frank』が公開
ナチスのユダヤ人迫害の中、屋根裏部屋に隠れ住みながらも人間の善を信じ、瑞々しい感性で日々を書き綴った少女、アンネ・フランク。少女の日記を忠実に描いたアニメーション映画が日本で公開される。監督は『それいけ!アンパンマン』の監督として広く知られている永丘昭典。アニメーション制作はマッド・ハウスが手がけている。『ピアノ・レッスン』で知られるマイケル・ナイマンが劇中の音楽を担当したことでも話題を呼んだ。
−2008年08月14日作成−
映画監督 降旗康男 誕生
映画監督、降旗康男が長野県松本市に生まれる。父親は元松本市長。東大卒業後に東映撮影所へ入社し、監督としてデビュー。以来、『蔵』『鉄道員(ぽっぽや)』『赤い月』など数々のヒット作を世に送り出してきた。2007年には妻夫木聡を主演に迎え、浅田次郎の同名小説を映画化した人情時代活劇映画『憑神』が公開、降旗×浅田の名コンビが8年ぶりに復活するということでも話題となった。
−2007年07月10日作成−
ビートルズ365:ビートルズ、初の北米ツアー開始。
アメリカ、カナダなどの24都市32公演を回ったこの初の北米ツアー。サンフランシスコからスタートしたこのツアーのチケットはまたたく間に完売し、フランク・シナトラやディーン・マーチンですらチケットを手に入れることができなかった。また、23日に行なわれたハリウッド・ボウル公演はキャピトルからの依頼でジョージ・マーティンの手によりレコーディングされた。その録音された音源は65年8月30日のハリウッド・ボウル公演の演奏とひとつにまとめられ、77年5月に『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』として公式発売された(全英1位、全米2週連続2位、日本では3週連続1位を記録)。
−2006年07月24日作成−
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