ジョンとは長いつきあい、ボン・ジョヴィのD.ブライアンが誕生
ボン・ジョヴィのキーボード奏者、デヴィッド・ブライアンが米国ニュージャージーに生まれる。本名はデヴィッド・ブライアン・ラッシュバウム。デビュー当時はデヴィッド・ラッシュバウムと名乗っていた。ジョン・ボン・ジョヴィとは高校生の頃から友人で、実はメンバーの中でもっとも古いつきあいになる。ジョンとリッチー・サンボラという強烈なフロントがいるために地味な印象もあるが、超名曲「イン・ジーズ・アームス」を手掛けるなど、バンドへの貢献度は高い。
−2007年01月29日作成−
元リンプ・ビズキットのウェス・ボーランドが誕生
元リンプ・ビズキットのギタリスト、ウェス・ボーランドが米国ヴァージニア州に生まれる。後にフロリダに移住した彼は、リンプのドラマーとなるジョン・オットーとは知り合いであったため、そのオットーの薦めによってバンドへの参加要請を受ける。ラップ・ヴォーカルとヘヴィ・ロックを融合させたリンプのサウンドにおいて、彼の繰り出すギター・サウンドは重要な位置を占めていた。が、2001年に脱退。一時的な復帰を果たすも、長続きしなかった。
−2008年01月28日作成−
作詞家の阿久悠が誕生
昭和を代表する作詞家、阿久悠が兵庫県に生まれる。80年代を象徴する松本隆とは正反対に、コピーライター出身らしいインパクトある詞曲が目立つ阿久。67年の「朝まで待てない」を出世作に、「どうにもとまらない」「ペッパー警部」、アニメ「デビルマン」や「宇宙戦艦ヤマト」などヒット曲を連発する。数々の賞を受賞する傍らで、オーディション番組『スター誕生!』を企画。また、阿久の自伝『瀬戸内少年野球団』は84年に映画化されている。同年代の作曲家・筒美京平とともに、再評価されている一人である。
−2001年01月25日作成−
カントリー界の大御所、ガース・ブルックスが誕生
カントリー界の超大御所ガース・ブルックス、オクラホマ州に生まれる。歌手コリーン・キャロルを母親に持ち、2nd『No Fences』が1000万枚、続く3rd『Ropin' The Wind』も1300万枚のセールスを記録。カントリー・ミュージック界初のポップ・チャートの上位入りを果たし、世間のカントリーに対する見方を変えた功績は少なくない。その後も米カントリー歌手としては快挙といえるUKトップチャート入りを果たすなど数々の記録を塗り替えている。また'00年には山火事で人命を救助したこともニュースになった。
−2003年01月27日作成−
「ジョジョ」すべての始まりはここから。ジョナサン・ジョースター死す
2007年に劇場アニメ版も制作された『ジョジョの奇妙な冒険』(原作・荒木飛呂彦)の第一部「ファントムブラッド」。その主人公であるジョナサン・ジョースターが1989年2月7日、船上で宿敵ディオの奇襲を受けカナリア諸島沖にディオと共に没す(享年21)。第一部の舞台は19世紀のイギリス。名門ジョースター家の跡取であるジョナサン・ジョースター(通称ジョジョ)と、養子であるディオ・ブランドーの二人の主人公が繰り広げるサスペンス活劇であった。
−2009年01月31日作成−
ヒーロー・ドラマから任侠映画まで、小林稔侍が生まれる
若かりし頃には、キケロ星人のジョー(『キャプテンウルトラ』)役も熱演。俳優・小林稔侍が生まれる。『網走番外地』『不良番長』に代表される任侠映画から、『狂い咲きサンダーロード』での過激なリーダー、抑えた演技にて日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した『鉄道員(ぽっぽや)』など、様々な役柄を巧みに演じ分けるその演技力は日本随一。バラエティ番組で時折みせるトボけた味わいもまた絶妙。
−2008年01月31日作成−
ビートルズ365:ビートルズ、初のアメリカ公演へ出発。
初のアメリカ公演のため、ロンドンのヒースロー空港より出発。この時点ではまだアメリカでのヒット曲は「抱きしめたい」だけであったものの、アメリカのケネディ空港には1万人近いファンが集まり喚声を上げてビートルズを迎えた。夜になるとビートルズが宿泊しているプラザ・ホテルをファンが取り囲むなどした。また、11日から始まるこのアメリカ公演はロックフェラー夫人でさえチケットを購入できず、プロモーターに頼んで何とか手に入れるほどであった。
−2006年03月08日作成−
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