メタル界の“殿”ことジョン・サイクス、誕生
ホワイトスネイクやブルー・マーダーで知られるギタリスト、ジョン・サイクスが英国に生まれる。見事なブロンドと端整な顔立ち、自信満々の口調などからついたあだ名は“殿”。白蛇の名作『サーペンス・アルバス〈白蛇の紋章〉』に多大な貢献をしたにもかかわらず、完成前に解雇されたのは有名だ。もしあの空前の成功を味わっていたら、後の運命は違っていたかもしれない。が、独特のギター・プレイと類稀な作曲能力は、日本では常に高い評価を得ている。がんばれ、殿!
−2006年06月28日作成−
ラッシュのフロントマン、ゲディー・リーが誕生
カナダの国民的人気バンド、ラッシュのベーシスト兼シンガーであるゲディ・リーがトロントに生まれる。本名はゲイリー・リー・ウェインリッブ。ナチスの迫害から逃れたユダヤ系ポーランド人を両親に持つ。“ゲディ”という芸名は、母親が発音する“ゲイリー”がこのように聴こえたために付けたらしい。華々しいミュージシャンではないが、そのベースの技術は高く評価されており、聴けばすぐに彼とわかる独特な声も、バンドに大きく貢献している。
−2007年06月28日作成−
小野リサ、ブラジルに誕生
日本が誇るボサノヴァ歌手、小野リサがブラジルのサンパウロに生まれる。72年に帰国した彼女は、10代で銀座のクラブなどで歌いはじめ、81年にはボストンの名門バークリー音楽院へ。89年に1st『カトリピ』を発表し、以降ほぼ年1枚のペースでリリースを重ねている。2002年には第1子を出産、特徴ある癒しの歌声に、母親の表情がさらに加わった。
−2001年06月26日作成−
ボブ・ディラン、バイク事故で死亡説流れる
フォーク・ロックの巨人ボブ・ディラン、ウッドストックの自宅近くでオートバイ事故に遭い重症。長い間姿を消していたため、死亡説、再起不能説、CIA陰謀説などが流れる。しかし'67年12月、長い沈黙の後に『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』でカム・バック。'68年のウディ・ガースリーの追悼コンサートには姿も現し、ファンを一安心させた。ちなみに、死亡説といえば'69年アメリカのある大学の学生新聞をきっかけにしたポール・マッカートニー死亡説が最も有名。
−2002年06月24日作成−
PP&M「風に吹かれて」リリース
団塊の世代には懐かしい「ピーター、ポール&マリー(PP&M)」。「花はどこへ行った」「パフ」に代表される、フォークソングの名手。かの日本フォーク界の重鎮、小室等もPP&Mの影響を受けたというほど。彼らが'63年に発表したのが「風に吹かれて」。ボブ・ディランの曲として有名だが、作った当時のディランはミネソタから出てきたばかり。若手アーティストの集まるNYのグリニッジ・ビレッジでこの歌を歌い始め、それに共感したPP&Mがリリースしたのが「風に吹かれて」が世に出るきっかけとなった。
−2003年06月25日作成−
“危険は無い”『AKIRA』島 鉄雄の誕生日
(2004年)
革命的漫画/アニメ超大作映画、『AKIRA』劇中にて最も重要な役割を果たす少年、島 鉄雄の誕生日。事故により未知の能力が覚醒、世界の行く末をも左右する力を身につける。アキラを元首とする独立国家“大東京帝国”を建国するも、力を求めるが故に自身を制御することができなくなり……。全人類におけるパラダイム・シフトを思わせるラスト・シーンは『2001年宇宙の旅』とはまた違うスピリチュアルなもの。
−2008年07月23日作成−
映画『魔女の宅急便』が劇場公開
スタジオジブリ製作映画『魔女の宅急便』の劇場公開が始まる。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』の宮崎駿監督が、魔女になるために修行する少女の成長を描いた長編アニメーション。日本では1年に1回は必ずテレビで放映されるほどの人気ぶりで、公開されて10年以上経った今でもその感動は色褪せない。主題歌にはユーミンこと荒井由実の「ルージュの伝言」、エンディングには「やさしさに包まれたなら」を起用、ヒットを呼んだ。また英語吹き替え版では、キキ役をキルスティン・ダンストが演じている。
−2007年06月20日作成−
ビートルズ365:映画 『4人はアイドル!/ヘルプ!」公開。
映画『ヘルプ!/4人はアイドル』、ロンドンのピカデリー・サーカスにあるロンドン・パビリオン・シネマで開催された。このプレミア・ショウにはマーガレット王女とスノードン卿が出席。ビートルズはブライアン・エプスタインとともにタキシードを着て出席した(ジョンはシンシアを、リンゴはモーリンを伴っていた)。会場には4000人のファンがビートルズを待ち、250人もの警官が出動。7人の少女が倒れて病院に運ばれた。混乱のため、ピカデリー・サーカスの地下鉄駅の入り口のうち、2ヵ所が閉鎖され、マーガレット王女の到着が数分遅れた。このプレミア・ショウはバラエティ・クラブの主催で行なわれ、6000ポンドの収益は施設に寄付された。
−2006年06月26日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。