「ヒーロー」でお馴染み、ボニー・タイラーが誕生
女性シンガーのボニー・タイラーが英国ウェールズに生まれる。幼少の頃から唄うことが大好きで、10代後半になるとR&Bグループでリード・ヴォーカルを取るようになっていた。その後、声帯の手術を受けたため、あの独特のハスキー・ヴォイスになったらしい。ソロ・デビュー後は「愛は哀しくて」や「ヒーロー」など、低迷期はあったもののヒット曲を連発。ロニー・スコット、ジム・スタインマンら、有能なスタッフに恵まれたのも、その才能があってこそだろう。
−2006年05月26日作成−
プロコル・ハルムの「青い影」が全英No.1
プロコル・ハルムのデビュー曲「青い影(A Whiter Shade of Pale)」が全英シングル・チャートで1位に輝く。バッハのカンカータをモチーフにした、ハモンド・オルガンによるイントロが印象に残る美しいナンバーで、後年になってもロック・クラシックスとして愛され続けている名曲だ。ちなみに、1stアルバム『青い影(Procol Harum)』のオリジナルにこの曲は収録されておらず、大ヒットとなった後に追加されたという経緯がある。
−2007年05月29日作成−
高校時には聖飢魔IIのコピーも、GLAYのTERU誕生
GLAYのVo.TERU(本名小橋照彦)が函館市に生まれる。小学校の頃から野球をしていたスポーツマンで、アダ名は〈テコ〉。高校の文化祭で聖飢魔IIをコピーし、初めてドラムを叩き音楽に開眼したという。その翌年TAKUROに誘われて「GLAY」を結成、その後HISASHIを加え高校卒業と同時に上京した。JIROがベースとして参加したのは'92年のこと。メンバーにドラムのいない特異な構成となってしまったが、彼らは同じ函館出身という4人の結束力を大切にしたいと考えこの形に落ち着いたとか。
−2001年05月25日作成−
AORの伊達男。ボズ・スキャッグス、誕生
70年代後半〜80年代にかけてブームとなったAOR=アダルト・オリエンテッド・ロックの旗手、ボズ・スキャグス、オハイオ州に生まれる。スーツを粋に着こなす伊達男、というイメージのボズであるが、デビュー当時は泥臭いR&Bを手掛け、服装もいたってラフ。これではモテん! と思ったからかどうかは定かでないが、70年代初頭からソフト&メロウにアダルトな音の世界を作り始め、'76年に発表した『シルク・ディグリーズ』の「ウィ・アー・オール・アローン」は、当時のデートのBGMとして欠かせない名曲と呼ばれるほどであった。
−2002年05月27日作成−
アイスランドの歌姫ビョークがバンド・デビュー
主演映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の大ヒットと、独自のファッション・センスが注目されて、知名度が上がったアイスランド出身のビョーク。最初にアルバムを出したのは、わずか11歳のとき。いくつかのパンクバンドを経て、1986年にシュガーキューブスのヴォーカルとしてデビュー。ファースト・シングルは'87年の「バースデイ」で、アイスランド初の世界レベルのバンドだった。しかし'92年にシュガーキューブスを脱退。翌年に『デビュー』という、心意気新たなタイトルでソロ・デビューした。
−2003年05月27日作成−
声優の宮野真守が生まれる
日本の男性声優。劇団ひまわり所属。『DEATH NOTE』の夜神月を始め数々の主役をこなし、若手ながら多種多様な役をこなしている。2008年に開催された第二回声優アワードで最優秀主演男優賞を受賞。また俳優としても活躍しており、舞台ユニット「SMILY☆SPIKY」としても活躍している。2008年からは歌手活動も本格的に始め、これからの活躍を注目されている。
−2008年05月29日作成−
『DEATH NOTE』の金子修介監督が生まれた日
映画監督の金子修介が生まれる。にっかつロマンポルノで監督デビュー後、一般映画に転向。『ガメラ』シリーズなど多数の映画の監督を務める。2006年、人気漫画が原作の映画『DEATH NOTE』、続編の『DEATH NOTE the Last name』が公開、主題歌にレッド・ホット・チリ・ペッパーの『ダニー・カリフォルニア』が起用されるなど、異例の大ヒットとなった。
−2007年05月22日作成−
ビートルズ365:ビートルズのレコーディングにブライアン・ジョーンズが参加
この日の「ユー・ノウ・マイ・ネーム」のレコーディング・セッションに、ポールに招待されてスタジオを訪れたローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが参加。午後7時から午前1時までのセッションではさまざまなパートを多数レコーディングした。ビートルズによるピアノ、ドラム、リード・ギター、ベース、ヴィブラフォンに加えて、ブライアン・ジョーンズはアルト・サックスで参加した。ポールは後にこう語った。「ギターを持ってセッションに来てくれると思ってたよ。そしたら、何と彼はサックスを持って登場した。感心するほどの立派な演奏じゃないけど、まさに僕らが求めていたものはあれだった。ブライアンはそんな風にできる奴だった」
−2006年05月26日作成−
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