はなわ「佐賀県」発売
お笑い芸人、“はなわ”がシングル「佐賀県」をリリースした。それまでは松井秀喜(米大リーグ ニューヨーク・ヤンキース)のものまねでマニアックな評価を得ていたに過ぎないが、故郷を愛情たっぷりにちゃかしたこの曲が大ヒット。PVには佐賀県知事までが出演し、県を上げてのキャンペーンとなった。これにより“ベース漫談”という唯一無二の芸で人気を確立、ガッツ石松の逸話を歌った「伝説の男〜ビバ・ガッツ〜」など、良質のコミック・ソングを披露している。
−2006年04月24日作成−
“狂気のオルガニスト”、ヴィンセント・クレインが誕生
ブリティッシュ・ロック・シーンの名オルガン奏者、ヴィンセント・クレインがレディングに生まれる。グラハム・ボンドに影響を受けたという彼がその名を知らしめたのは、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンに参加したことによる。70年からはアトミック・ルースターを率いて活動し、あまりに激しいプレイでオルガンが揺れてしまう様から、“狂気のオルガニスト”と称された。そのヘヴィな演奏には、熱心なマニアがついている。89年、自ら命を絶った。
−2007年04月26日作成−
Coccoの1stアルバムが発売に
Coccoの1stアルバム『ブーケンビリア』が発売。セールス的には2nd『クムイウタ』には及ばないものの、“アナタの首を海に沈めたい”というCocco節炸裂の「首。」から始まるこの作品、時として聴いているのが苦痛になってしまうほど痛々しい女の業と狂気、そして母性と無垢が露呈された衝撃作であった。ちなみに、彼女が自分につけたあだ名“あっちゃん”は彼女の本名(眞喜志智子=まきしさとこ)とは無関係。“飽きっぽい”だからだという。2001年4月には活動停止宣言。2004年にSinger Songerを結成し、シーンに復帰した。
−2001年04月23日作成−
レディオヘッド、'90年代の最高傑作と名高い『OKコンピューター』発売
レディオヘッドが3rdアルバム『OKコンピューター』を発売。バンド自身が初めて主導権を握り、ギターサウンドを中心にどん欲に新たな試みを取り入れて作ったこのアルバム、メンバー自身もレコーディング中は方向性が見えず、「皆にどう受け止められるか全くわからない」と述べていたという。だが、蓋をあければ、全世界でのセールスが600万枚を超える大ヒット。UKギター・ロックがたどり着いた1つの大きな成果、と絶賛を受けた。
−2002年04月24日作成−
伝説のスーパー・アイドル、山口百恵デビュー
語り尽くせぬ衝撃を与えた昭和の超スーパー・アイドル、山口百恵が「としごろ」でデビュー。オーディション番組『スター誕生』の第5回大会で準優勝。同じスタ誕出身の森昌子、桜田淳子らと“花の中三トリオ”として人気を得る。しかし、同曲の売り上げはわずか8万枚、週間チャート36位と伸び悩み。当時、3人の中ではいちばん地味だった彼女だが、「ひと夏の経験」が大ヒット、百恵伝説が始まる。その後、21歳で引退してからは一切テレビに出ず、時折発売される未発表曲を収録した作品集は常に好セールスを記録している。
−2003年04月25日作成−
第12回ソウル国際カートゥーン&アニメーションフェスティバルが開催される
(2008年)
1995年より開催されている、韓国の漫画/アニメ・フェスティバル“SICAF(ソウル国際カートゥーン&アニメーションフェスティバル)”の第12回目が2008年ソウルにて開催。韓国漫画関連の展示会のほか、世界30ヶ国のアニメーション作品を上映。日本からはProduction I.GとBMG JAPANのコラボレーションによるOVA『東京マーブルチョコレート』が出品され、正式コンペティション長編部門で大賞を受賞。
−2009年05月20日作成−
日本映画の基礎を作った監督の一人、稲垣浩死去
稲垣浩が芝居小屋の俳優の息子として東京・千駄木に生まれる。生活を助けるために小学校を退学し、子役として活躍。俳優として行き詰まったのち、衣笠貞之助の助監督を経て監督デビューを果たす。1955年に『宮本武蔵』でアカデミー賞外国語映画賞受賞、1958年には三船敏郎主演で『無法松の一生』を撮り、ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど、時代劇の達人として海外でも評価が高い。
−2007年04月25日作成−
ビートルズ365:BBCラジオ『サタデイ・クラブ』『ステッピン・アウト』の2本を収録。
BBCのラジオ番組『サタデイ・クラブ』『ステッピン・アウト』の2本分の収録が入ったため、オフを返上。最初の収録は『サタデイ・クラブ』で、初めてメインとして出演。プレイハウス・シアターで午後2時30分からリハーサルを開始し、本番は午後5時30分から1時間行われた。「マネー」他5曲を演奏し、番組は5月25日に放送。『ステッピン・アウト』は45分の休憩を挟んだ後、プレイハウス・シアターに戻り、午後7時15分からリハーサル。午後10時から11時15分に本番の収録を行なった。「プリーズ・プリーズ・ミー」他6曲を演奏。そのうち5曲が6月3日に放送された。
−2006年04月24日作成−
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