本田美奈子.が死去
歌手・女優として活躍した本田美奈子.が白血病により死去。38歳という若さだった。彼女の病気が判明したのはこの年のはじめ。体調不良が続いていたため、病院で検査を受けたところ、急性骨髄性白血病と診断されたという。夏には退院するほどまでに回復したが、完治するには至らず、惜しまれつつこの世を去った。アイドルを経て、晩年はソプラノ歌手として美声を披露。その評価が高まっていた時期だけに、このニュースは衝撃的だった。合掌。
−2007年10月30日作成−
ミートローフの「愛にすべてを捧ぐ」、全米1位
米国の巨漢シンガー、ミートローフの「愛にすべてを捧ぐ」が全米シングル・チャートで1位を記録した。アルバム『地獄のロック・ライダー2〜地獄への帰還』からのシングル・カットであり、オリジナルの『〜ロック・ライダー』から15年を経て発表される続編のオープニング曲としても、大いに注目を集めた。プロデューサーでありソングライターでもあるジム・スタインマンとのコンビは健在で、アルバムも大ヒット。オペラティックな歌唱が連日オンエアされていた。
−2006年10月30日作成−
ロシア最大の作曲家、チャイコフスキーが死去
交響曲第6番「悲愴」などで有名な作曲家チャイコフスキーが死去。死因はコレラとされているが、近年自殺説が浮上して話題を呼んだ。葬儀時に遺体が隔離されなかったなど不自然な状況があり、そこで注目されたのが彼の性癖。当時最大のタブーとされていた同性愛者であった彼は、晩年ある公爵の甥と関係を持ち、それを告発された。告訴状を受け取った検事はチャイコフスキーの法律学校時代の同窓生で、スキャンダルの発覚を回避するため彼に毒薬を渡し、自殺させたというもの。この説は現在の音楽学では否定されているが、果たして真相は?
−2000年10月30日作成−
ネプチューンがCDデビュー
TV『笑う犬の生活』シリーズを中心に人気のネプチューンが「君を探して」でCDデビュー。オリコン初登場16位を記録したこの曲には、なんとゆずがコーラスで参加(3rd「上を向いて歩いてゆこう」では曲も提供)。'00年9月には1stアルバム『君とケツカッチン』が発売。全シングル&c/w、コントにソロ楽曲と詰めに詰め込まれた全33曲の超大作になった。『笑う犬〜』からは半裸集団・はっぱ隊が誕生し、デビュー曲「YATTA!」も発売されヒットした。
−2001年10月24日作成−
イーグルスのグレン・フライが誕生
イーグルスのギタリスト、グレン・フライ、デトロイトに生まれる。デトロイトでは、後に地元を代表するロッカーとなるボブ・シーガーとバンドを組み、'60年代末にLAに移住。その理由は「成功を目指して」といったものではなく、ただ「彼女を追って」というものだったとか。そこで、〈6人目のイーグルス〉と呼ばれるJ.D.サウザーと出会い、一度はデビューするも失敗。だが、その後'70年8月にイーグルスとしてデビュー。4人のメンバーの個性をうまくブレンドして、バンドの個性を作り上げていったところには、グレンの功績が大きいとも言われている。
−2002年10月29日作成−
「Zガンダム」のカミーユ、声優の飛田展男が生まれる
1959年11月6日、日本の男性俳優/声優の飛田展男が生まれる。アーツビジョン所属。『キャプテン翼』(83年)の若島津健役が最初のレギュラーで、以後、さまざまな作品での経験を経て『機動戦士Zガンダム』(85年)の主役カミーユ・ビダンとして一躍注目を浴びる。繊細な少年、心優しい青年、熱血漢キャラから、冷徹な敵役やギャグ・キャラまで、声質や演技を使いわけて表現する演技派として知られる。現在はアニメのほか、ドラマCD、ゲーム、外国映画の吹替、舞台俳優など、多方面で幅広く活躍している。
−2008年11月05日作成−
松田優作、亡くなる
今もなお、新たなファンを増やし続けている俳優・松田優作が亡くなる。2006年には、大阪厚生年金会館大ホール/渋谷LIVE INN/新宿ツバキハウスでのライヴを収録したDVD-BOX『ALIVE〜アンビバレンス〜公式海賊盤』が発売され、“ミュージシャン”としての足跡にも再び光が当てられることとなった。彼が歌う、作詞:藤竜也/作曲:エディ藩(元ザ・ゴールデン・カップス)による「Yokohama Honky Tonk Blues」は格別の仕上がり。
−2007年10月31日作成−
ビートルズ365:「君はいずこへ」レコーディング。
10月24日に行なわれたセッションで9時間にわたってリズム・トラックとオーヴァーダビングを試みた「君はいずこへ」。そのセッションで録音されたテイクにビートルズは納得できず、この日、再録音が行なわれた。午後7時から午前1時までのセッションで、ビートルズは2テイク録音(10月24日のテイク1に続くものとしてテイク2と3の番号がふられた)。そして、テイク3にオーヴァーダビングを行なった。最後にはかなりイメージに近いものができあがったものの、まだ充分ではなかった。この日録音されたものは、テンポがやや速すぎ、曲調が激しくなりすぎていていたが、その他の点は、リリースされたヴァージョンとほとんど変わらないものであった。
−2006年10月30日作成−
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