“くになま”じゃありません、国生さゆりが誕生
女優・タレントの国生さゆりが鹿児島県に生まれる。『オールナイトフジ』などで芸能活動をスタートさせていたが、彼女をブレイクさせたのはあのおニャン子クラブ。会員番号は8番で、「会員番号の唄」では♪“くになま”さゆりじゃありません〜、と歌っていた。おニャン子卒業後は女優に転身、一時の不遇を乗り越え、悪女もこなす良い意味でアクの強い存在に成長。90年代後半からはバラエティ番組にも積極的に出演し、歯に衣着せぬ発言で人気を博す。
−2006年11月28日作成−
マニックスのリッチー・エドワーズが誕生
マニック・ストリート・プリーチャーズのギタリスト、リッチー・ジェイムス・エドワーズが生まれる。南ウェールズで育った彼は、マニックスの面々とは幼い頃からの顔なじみ。重要人物のひとりとはいえ、まともにギターは弾けず、作詞の面でバンドに貢献していた。数々の挑発的な発言や、剃刀で自分の腕を切りつけた“4 Real”事件など、初期のバンドに対する危険なイメージは彼によるところが大きい。95年、突然の失踪でファンに衝撃を与えた。
−2007年11月28日作成−
V6、初のコンサートを開催
V6(森田剛・三宅健・岡田准一・坂本昌行・長野博・井ノ原快彦)の初コンサートが大阪城ホールで開かれる。同年9月に六本木ヴェルファーレで鮮烈なデビュー発表を行なった彼ら。翌月には『Vの炎』なるレギュラー番組を持ち、森田・三宅はドラマに出演するなど、後のジャニーズ事務所の新人育成がここで確立されたといっても過言ではない。なおライヴ前に発表したシングルは、バレーボール選手権テーマソングの「ミュージック・フォー・ザ・ピープル」1曲のみ。しかしコンサートには彼らをひと目見ようと15,000人が訪れた。
−2000年11月29日作成−
その小悪魔ぶりはどこまで続く? ヴァネッサ・パラディが誕生
フレンチ・ロリータの女王ヴァネッサ・パラディ、パリの郊外に生まれる。14歳でリリースした『Joe Le Taxi』がヨーロッパ全土でヒットし注目を浴びる。そして、セルジュ・ゲンズブールに自らを売り込み、作品を発表。またその後、レニー・クラヴィッツとの共作アルバム内「Be My Baby」で、その名を全世界に轟かせる。が、ここで歌手業はほぼ休業。同時に行なっていた女優業に精を出し、主演映画を何本も発表。ジョニー・デップとの間にできたベイビーを育てる母としても健闘。恋多き女性にして、そのお相手の豪華な顔ぶれ。完敗です。
−2001年11月26日作成−
日本で人気に火がついたチープ・トリックのリック、誕生
チープ・トリックのリーダー、リック・ニールセン、シカゴに生まれる。グリム・リッパーズを母体に、チープ・トリックを結成。'77年にデビューするも全米ではセールスはイマイチ。だが、2作目『蒼ざめたハイウェイ』が日本で大ヒットし、来日して行なわれた武道館公演のライヴ盤が、本国アメリカに逆輸入され、全米でもブレイクに至った。現在活動中止中のイエロー・モンキーの吉井和哉が彼らのファンであることは有名で、'95年のリックの来日時には対談なども行なっている。
−2002年11月25日作成−
『ろくでなしBLUES』『ROOKIES』の漫画家・森田まさのり、誕生
1966年12月22日、漫画家の森田まさのりが滋賀県で生まれる。84年に『IT'S LATE』で手塚賞佳作に入選。その後、原哲夫のアシスタントを経て、88年より「週刊少年ジャンプ」誌上にて『ろくでなしBLUES』の連載を開始。連載は97年まで続き、アニメや実写映画も制作されるなど大人気となった。また『ROOKIES』(98年〜003年連載)も人気で、実写版TVドラマが2008年に放映されている。なお、2005年からは「週刊少年ジャンプ」誌上にて『べしゃり暮らし』の連載を開始している。
−2008年12月12日作成−
お嫁さん候補No.1、安めぐみが生まれる
『トゥナイト2』では山本晋也監督とのコンビで活躍、ホンワカとした癒し系の魅力で絶大な支持をほこる、タレントの安めぐみが東京都に生まれる。2007年7月には『こわい童謡 裏の章』で映画初主演を飾り、女優業へ本格的に進出を果たす。リリー・フランキーとのユニット“リリメグ”結成をはじめ、サンボマスター「光のロック」出演など、音楽業界とのコラボレートにも期待。
−2007年12月21日作成−
ビートルズ365:「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」完成。
11月24日からレコーディングを開始した「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が完成。全くタイプの違う2種類のヴァージョンを気に入ってしまったジョンは、ジョージ・マーティンに「2種類のヴァージョンをつなげてもらえるか」と要請。キーもテンポも違っていたために「それはできない」と返答されるも、ジョンは「だったら、キーもテンポも合わせることぐらいできるんじゃないの?」と返し、ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックは、12月22日の午後7時から11時30分までスタジオにこもった。テイク7の新たなミックスの速度をあげ、テイク26の新たなミックスの速度を落としたところ、テンポとキーが同時に一致。マスター・テイクを作ることができた。当初、この2つには半音の差があった。ちなみに、その2つのヴァージョンのつなぎ目は、曲の冒頭から1分のところ(cause I'm going to〜のI'mとgoingの間)。
−2006年11月28日作成−
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