ユーリズミックスのアニー・レノックスが誕生
ユーリズミックスでの活動で知られる女性シンガー、アニー・レノックスがスコットランドに生まれる。幼い頃から音楽的才能に長けていたという彼女は、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックでフルートを学んでいた。デイヴ・スチュワートと組んだユーリズミックスでは80年代を通じてヒット曲を連発。ソロになってからもその伸びやかな美声を武器に、精力的な活動を見せる。同性からも支持を得るクールな佇まいも魅力的だ。
−2006年11月28日作成−
池田貴族が死去
ミュージシャン、作家、霊能タレントとして活躍した池田貴族が、肝細胞癌によって死去。36歳という若さだった。96年に癌が発見され、手術を受けるも翌97年には再発。それでも入籍、娘の誕生など、家族に支えられ活動を続ける。幾度も手術を繰り返しつつ、癌遺児のためのチャリティ・コンサートを開催するなど、前向きな姿勢を失わなかった。死の直前、癌細胞の数は70個を越えていたという。娘を思う気持ちと病に立ち向かう姿に、心打たれたファンも多いだろう。
−2007年11月28日作成−
昭和の超特大ヒット曲「およげ!たいやきくん」が発売
約453万枚を売り上げた化け物ソング「およげ!たいやきくん」発売。フジテレビ系の「ひらけ!ポンキッキ」で使われていた曲で、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)はこの1曲で自社ビルを建ててしまったほど。「科学忍者隊ガッチャマン」「仮面ライダー」などのヒット曲を飛ばしていた子門だったが、「たいやきくん」ヒット時にはまだ出版社の社員で、わずか5万円しかもらえなかったという。ちなみに、このレコードのB面には、なぎらけんいちの「いっぽんでもにんじん」が収録されている。
−2000年11月29日作成−
一時遺体が盗まれる? チャップリン死去
喜劇王チャーリー・チャップリン、老衰のため死去。88歳だった。翌年3月には一時、棺桶ごと遺体が盗まれ、その翌日戻ってきたという珍事件もあった。意外にも、そのキャリアが歌手ではじまった(5歳の時)チャップリン。23歳でハリウッド映画界入りを果たすが、生伴奏がつく無声映画時代だけでなく、音声つきのトーキーの時代になっても、彼は音楽を効果的に使うスタイルを追求し続けた。映画が注目されるようになったと同時にその音楽も注目され、映画『ライムライト』の「エターナリー」をはじめ、愛され続ける楽曲を多く生みだした。
−2001年11月26日作成−
いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」発売
“歌手・いしだあゆみ”のイメージを確立した、「ブルー・ライト・ヨコハマ」が発売。ミリオンヒットとなり、翌年の日本レコード大賞作曲賞を受賞。筒美京平の名を知らしめることにもなった。だが、当のいしだ自身はあまり歌に自信がなく、歌うことはあまり好きではなったとか。ちなみに、後年、Mi-keがタイトルをパロッた「ブルーライト・ヨコスカ」を、クレイジーケンバンドは「レッド・ライト・ヨコハマ」なる曲を発表したりもしている。
−2002年11月25日作成−
ナヌ、バカボンのパパの誕生日なのだ
(1926年)
“昭和元年12月元日のクリスマスの夜”すなわち1926年12月25日、バカボンのパパが(恐らくは熊本県に)生まれる。産み落とされた直後に“天上天下唯我独尊”と発声した神童であったが、大きなクシャミをした際頭の歯車が飛び出し、天才と決別。バカ街道を驀進することとなる。熊本県菊池市の七城中学校を卒業後上京、バカ田高校に入学。バカ田大学在学中に後の妻・春菊と出会う。主席で大学を卒業後、長男・バカボン、次男・ハジメの2児を儲ける。幸せな4人家族の長、無職。
−2008年12月12日作成−
“第6回東宝シンデレラオーディション”グランプリ、黒瀬真奈美が生まれる
“クリスマス生まれのシンデレラ”、黒瀬真奈美が埼玉県に生まれる。2006年に映画『ラフ ROUGH』(原作:あだち充/主演:長澤まさみ、速水もこみち)でスクリーン・デビュー後、『眉山』『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』『ハタチの恋人』など話題作に次々と登場、鮮烈な印象を残している。『月とキャベツ』『地下鉄(メトロ)に乗って』で知られる篠原哲雄が監督をつとめたSHOWTA.の1stシングル「願い星」PVにも出演。
−2007年11月30日作成−
ビートルズ365:ポール、婚約を発表。
ポールがジェーン・アッシャーと4年間の交際期間を経て、婚約したことを発表。ポールはエメラルドとダイヤの指輪をジェーンに贈った。この二人の婚約は、アーティストとして評価されていた二人の婚約ということで、当時のマスコミ、ファンから理想のカップルともてはやされた。しかし、翌年7月、ポールはジェーンから一方的に婚約を破棄されてしまった。ちなみにポールは、63年から66年にかけて、ロンドンにあるジェーンの自宅を拠点とした活動を続けていた。
−2006年11月28日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。