2018年10月11日(木)
  
「わたしの彼は左きき」、麻丘めぐみが誕生
麻丘めぐみ / 1955年)
「わたしの彼は左きき」、麻丘めぐみが誕生
歌手・女優の麻丘めぐみが大分県に生まれる。大阪で育った彼女が芸能界デビューを飾ったのは4歳の時で、舞台での子役としてだった。72年に歌手デビューし、翌73年に「私の彼は左きき」が大ヒット。トップ・アイドルとしての人気を確立する。結婚を機に芸能界から遠ざかるが、83年の復帰以降はテレビのバラエティ番組などでも活躍。同世代の元アイドルが見る影もなくなっていくのを尻目に、そのチャーミングさはかつての面影を確かに残している。
−2006年09月28日作成−
名ジャズ・ドラマー、アート・ブレイキーが誕生
アート・ブレイキー / 1919年)
名ジャズ・ドラマー、アート・ブレイキーが誕生
ジャズ・ドラマーのアート・ブレイキーが、米国ペンシルバニア州に生まれる。10代からミュージシャンとしての活動を開始、1940年代になると、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクといった面々とも共演を果たしている。50年代以降はジャズ・メッセンジャーズを率い、ファンキー・ジャズのムーヴメントを築いたのは、よく知られるところだ。61年の初来日時、その熱烈な歓迎に感動し、大の日本びいきに。90年に死去するまで、毎年のように来日していた。
−2007年09月27日作成−
女性シャンソン歌手のエディット・ピアフが死去
エディット・ピアフ / 1963年)
女性シャンソン歌手のエディット・ピアフが死去
戦後最大のシャンソン歌手エディット・ピアフ、消化器系の出血が原因で死去。1915年にパリの労働者街で生まれた彼女は、「私の兵隊さん」「愛の賛歌」「バラ色の人生」などを世に送り出す。40年にジャン・コクトーが書いた「冷淡な美男」で女優として開眼、『ムーラン・ル−ジュ』(44年)で知ったイヴ・モンタンを愛して売り出し、46年に男性グループ「シャンソンの友」を世に送った。結婚・離婚を何度も繰り返し、パートナーには恵まれなかった。
−2000年09月26日作成−
アレサ・フランクリンがライヴ・デビュー
アレサ・フランクリンがライヴ・デビュー
アレサ・フランクリンがNYのヴィレッジ・ヴァンガードでライヴ・デビュー。'42年3月に生まれ、12歳で聖歌隊ソロの大役を務めたアレサは、'60年に「ビリー・ホリデイ以来最高の歌手」というふれこみでデビュー。しかしポップ路線は完全に失敗し、移籍後のこのライヴを経て大成功を収めることになる。女性初のロックン殿堂入り、グラミー賞最多受賞(17回)、米TIME誌で女性として初めての表紙……。伝説はここから生まれたのだ。
−2001年09月26日作成−
ホール&オーツのダリル・ホール、誕生
ダリル・ホール / 1948年)
ホール&オーツのダリル・ホール、誕生
〈全米最強のデュオ〉とも呼ばれた、ホール&オーツのダリル・ホールが生まれる。幼少時代からR&Bが好きだったダリルは、18歳ですでにスタジオで働いていた。そして、ダンスショーで知り合ったジョン・オーツとともに共同生活を送り、'72年『ホール&オーツ』でデビューする。「プライヴェート・アイズ」「サラ・スマイル」など数多くのヒット曲を生み出し、ロバート・フリップやトッド・ラングレンなどとのコラボレートも実現。'85年には、ダリルの敬愛するテンプテーションズのメンバーと共演を果たすなど、成功を見事勝ち取った。
−2002年09月27日作成−
声優・杉田智和、誕生
杉田智和 / 1980年)
声優・杉田智和、誕生
日本の男性声優。アトミックモンキー所属。1980年10月11日生まれ。低音を武器に青年役を数多くこなす。高校在学中に芸能事務所へと入り、予備校時代には初のレギュラーを獲得。大学卒業までは学業と並行して声優活動を行なっていた。アドリブ演技に定評があり、多くの作品でその実力を発揮している。また声優としての活動以外にもドラマCDの脚本や作詞も手掛けている。
−2008年10月10日作成−
♪赤いリンゴにくちびるよせて 映画『そよかぜ』公開
並木路子 / 1945年)
並木路子が主演し、戦後初めて制作/公開された映画『そよかぜ』(佐々木康 監督作品)が劇場公開された。主題歌だった「りんごの唄」は爆発的なヒットを記録。戦後歌謡曲第1号として日本歌謡史に残る楽曲となった。戦後の焼け跡となった日本で、3ヶ月で7万枚のセールスを記録したとか。
−2007年09月28日作成−
ビートルズ365:ジョンとヨーコ、ロンドンにて個展を開く。
ザ・ビートルズ / 1967年)
ビートルズ365:ジョンとヨーコ、ロンドンにて個展を開く。
ロンドンのリッソン・ギャラリーで、ヨーコの個展「ヨーコ・プラス・ミー」が1ヵ月間開催された。個展タイトルの「ミー」とは、匿名で資金援助をしていたジョンのことだったと、後にヨーコは語った。ちなみに「ハーフ・ア・ウィンド」という副題がつけられたこの個展では、白く塗られ、半分に切断されたさまざまな日用品が展示されていた。この個展でジョンはヨーコから自作の詩集を送られ、当然お互いのパートナーにばれないように(当時、ジョンもヨーコもそれぞれ結婚していたため)二人は文通を始めたそうだ。
−2006年09月28日作成−
   ※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。
  


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