スラッシュ、GN'Rを公式に脱退
ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュが、バンドを脱退したことが公式に表明された。すでに公然の事実として受け止められており、GN'Rの実態もないような状況だったとはいえ、本人からの発表はやはり重いものがあった。“1994年以降、W.アクセル・ローズと話をしたのは2回だけ”というコメントに、ファンは諦めの溜息をつくしかなかったのである。アクセルとの関係改善に向けて努力はしたそうだが、彼が応じることはなかったらしい。
−2006年09月28日作成−
SEAMOが誕生
ラッパーのSEAMOが愛知県に生まれる。本名は高田尚輝。もともとはシーモネーターという名義で活動しており、その名前からもわかる通り、時にジョークも交えたスタイルをとっていた。nobodyknows+やHOME MADE家族といった同郷のアーティストとの親交が厚く、“塾長”の愛称で親しまれている。SEAMOに改名後はさだまさしの「関白宣言」をリメイクした「関白」、「ルパン三世のテーマ」を用いた「ルパン・ザ・ファイヤー」などをヒットさせている。
−2007年09月27日作成−
元ママス&パパスのミッシェル、D.ホッパーと結婚
元ママス&パパスのミッシェル・フィリップスが、当時、映画『イージー・ライダー』の怪演で注目されていたデニス・ホッパーと電撃結婚! そして、1週間で離婚。ミッシェルといえば、元モデルのクールな美人。グループのリーダー、ジョンと結婚していたが、解散と同時に離婚し、ホッパーと入籍。しかしその後もウォーレン・ビューティと深い仲になったり、元の旦那・ジョンとヨリをもどしたり、ラジオ局の重役と結婚したり……。ちなみに彼らの代表曲「夢のカリフォルニア」は、香港映画『恋する惑星』にも使われた名作。
−2000年09月26日作成−
レイドバックで賛否両論、クラプトン初来日
ヘロイン中毒から復帰し、健康と意欲を取り戻したエリック・クラプトンが待望の初来日。東京と大阪でコンサートを行なう。当時、3大ギタリストの2人(ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック)がすでに来日していただけに、最後の大物とファンの期待は高まるばかりだったという。しかし、そのステージは当時流行していた“レイドバック”と呼ばれるのんびり、ゆったりとした演奏で、ギター・ソロを取ることも少なく、クリームやデレク・アンド・ザ・ドミノスで聴かれるプレイを期待していたファンはちょっぴりがっかり。
−2001年09月26日作成−
ビースティー・ボーイズの悪ガキ・ギタリスト、アドロック誕生
ビースティー・ボーイズのギタリスト、アドロックことアダム・ホロヴィッツ、米国に生まれる。'83年、悪ガキ仲間だったマイク・ダイアモンドと、アダム・ヤウクの2人が結成したビースティー・ボーイズに、アドロックが加入。'86年にはヒップホップ&ロック&下世話なユーモアを加えたデビューアルバム『ライセンス・トゥ・イル』を発表し、大ヒットする。しかし同時に、人をナメきった態度がスキャンダラスに取り上げられ、ステージに飛んできたビールの缶をバットで撃ち返し、それが観客に当たったと逮捕されてしまったこともあった。
−2002年09月27日作成−
“タイムボカン”シリーズでおなじみ、声優の岡本茉利が生まれる
1954年、女優/声優の岡本茉利(岡本茉莉)が東京都に生まれる。幼い頃より女優として活動していたが、1970年『みなしごハッチ』のゲストを経て『いなかっぺ大将』で本格的に声優としてデビュー。その後は『花の子ルンルン』のルンルン・フラワーや、『タイムボカン』の淳子、『ヤッターマン』の上成愛といった“タイムボカン”シリーズのヒロイン役を担当。女優としても、“男はつらいよ”シリーズをはじめ、『幸福の黄色いハンカチ』『あゝ野麦峠』といった名作映画で大活躍。
−2008年10月24日作成−
ミュージシャンでもあります、山本耕史が誕生
月9黄金期を支えた『ひとつ屋根の下』シリーズでは(柏木)文也役で出演。現在ではドラマ/舞台と、硬派な役柄で知られる山本耕史が生まれる。2004年には、NHK大河ドラマ『新選組!』にて土方歳三役を務め絶賛(大河ドラマとしては初の続編『新選組!! 土方歳三 最期の一日』も製作)、近年評価が最も高まっている俳優の一人。山口智充/佐野元春とともに“The Whey-hey-hey Brothers”としてCDを発表するなど、音楽への造詣も深い。
−2007年09月28日作成−
ビートルズ365:スウェーデン・ツアーから帰国。
初の本格的な海外ツアーとなったスウェーデン・ツアーから帰国。空港ではファンから熱狂的な歓迎を受けた。このとき、偶然エド・サリヴァンが空港を通りかかり、ビートルマニアの姿を目撃したことでビートルズに強い印象を持ち、自らビートルズのマネージャーが誰なのか調べ、ロンドンのホテルからすぐに出演交渉の電話をかけたそうだ。この空港での騒動が、アメリカではまだ無名だったビートルズが、エド・サリヴァン・ショーに出演するきっかけとなった。
−2006年09月28日作成−
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