ボトルネックは絶品、デュアン・オールマンが誕生
オールマン・ブラザーズ・バンドのギタリスト、デュアン・オールマンが米国ナッシュヴィルに生まれる。10代のはじめからギターに熱中した彼は、先にギターをはじめていた弟のグレッグをあっという間に追い抜いてしまったという。彼の十八番と言えばスライド・ギター。まるで空を駆け抜けるようなそのプレイは“スカイドッグ”の異名を取り、ブルースを追求していたエリック・クラプトンは本場の演奏は違う、と衝撃を受けたという。71年、23歳で死去。
−2006年10月30日作成−
ジョー・ウォルシュが誕生
イーグルスのギタリストとして知られ、ソロとしても成功しているジョー・ウォルシュが米国カンサスに生まれる。高校時代はいくつものバンドで活動するなど、音楽に熱中していた。69年、ジェイムス・ギャングの一員としてデビュー。イーグルスに加入するのは75年だが、それ以前からギタリストとして高い評価を得ている存在だった。そのプレイとともに、アグレッシヴなステージングも有名であり、時にはドン・ヘンリーやグレン・フライよりも目立つとも言われている。
−2007年10月30日作成−
泉谷しげるが衝撃的デビュー
泉谷しげる、ライヴ・アルバム『泉谷しげる登場』でデビュー。20以上の職を転々としながら音楽活動をしていた泉谷は、当時全盛だった四畳半フォークとは別の「都会派労働者賛歌」を本作で披露。その1曲目を飾る「白雪姫の毒リンゴ」は自殺推奨ともとれる厭世的な歌詞だが、そこは「オマエら寄付しろ!」の泉谷。その底に眠る前向きなエネルギーは今もなお変わることはない。泉谷は吉田拓郎・井上陽水・小室等とともにフォーライフ・レコードの設立者としても知られている。
−2000年10月30日作成−
その武勇伝は数知れず、YOSHIKI誕生
元X-Japanのリーダー、YOSHIKIが千葉県に生まれる。バンドのシンガー、TOSHIとは幼なじみの関係。穏やかな性格であったTOSHIとは対称的に、徹底的な完璧主義者であったYOSHIKIはTOSHIを振り回すことも度々だったという。“度重なる破壊行為で居酒屋会のブラックリストに載った”“ホテルの部屋が狭いと怒って、備品を窓から投げ捨てた”“ライヴ前に食べたカレーが辛かったので、そのまま帰った”など、YOSHIKI伝説は数えきれない。2000年6月には新会社の設立と新音楽レーベルの始動を発表した。
−2001年10月24日作成−
RIP SLYMEのMC・SUが誕生
RIP SLYMEのMC・SU(本名大槻一人)が神奈川県辻堂北口に生まれる。'94年8月に結成され、同年12月には新人ラッパーコンテストで優勝するなど、早いうちから頭角を現していたリップ。'01年のメジャーデビュー以降、「One」「FUNKASTIC」などのヒット曲をリリースしている。EAST ENDのバックダンサーだったSUが加入したのは'98年。メジャーデビューの日に入籍した。それから1年後には、船上結婚式も行なっている。
−2002年10月29日作成−
桜木花道やドロロ兵長ほか、声優の草尾毅が生まれる
1965年11月20日、声優/歌手の草尾毅が埼玉県で生まれる。青二プロダクション所属。80年代から声優としての活動をはじめ、『鎧伝サムライトルーパー』(88年)の真田遼役でブレイク。以後、『SLAM DUNK』の桜木花道、『ドラゴンボールZ』のトランクス、『ケロロ軍曹』のドロロ兵長、『NG騎士ラムネ&40』のラムネスなどといった人気キャラクターを演じている。また音楽活動にも精力的で、『サムライトルーパー』時には声優5人によるユニット、N.G.FIVEを結成。同ユニット解散後はソロのアーティストとして活躍している。
−2008年11月14日作成−
映画監督、市川 崑の誕生日。
1915年、三重県に生まれる。1940年代より監督として活躍し、70本を越える映画を製作。各種映画賞の他、1982年に紫綬褒章、1988年には勲四等旭日小綬章も受勲している。トリュフォー、北野武をはじめとする後に続く映画監督に多大な影響を与えたが、自身の制作意欲も衰えることを知らず、現在もコンスタントに作品を発表する正に“映画の人”。
−2007年11月02日作成−
ビートルズ365:「フリー・アズ・ア・バード」英国でオンエア開始。
午前4時にアビー・ロード・スタジオは、イギリスのラジオ局に「フリー・アズ・ア・バード」のCD-Rを配布。英国で最も早くその音源を放送したのがBBC1。放送は配布からわずか7分後の午前4時7分であった。夜が明けて朝を迎えると多くのラジオ局が放送を開始。また、この日はジョージ・マーティンやジェフ・リンが顔をそろえて、『アンソロジー』の記者会見をロンドンのサヴォイ・ホテルで400人のジャーナリストやカメラマンを迎えて実施。ジョージ・マーティンは、ジェフ・リンのプロデュースについて「非常に素晴らしい仕事をした」とコメントした。
−2006年10月30日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。